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【連載版】聖女様、夫は返していただきます【コミカライズ進行中】  作者: 蟹子


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38.春の芽生え




「まさかイリーゼさんが軍医を目指すとは...。すごいですね、まだ12歳なのに...」


 いつもと変わらぬ討伐後の平原にて。

ルカーシュが手帳に風景を描きながら呟くと、隣に座ってその絵を覗き込む赤狼が、ふふん、と自慢げに胸を張った。


「そうだろ?俺がイリーゼを焚き付けたんだ。あいつは頭がいいから向いてると思ってな」


「確かに...、彼女は学園の主席ですもんね。私とは大違いです」


 ルカーシュは控えめに笑いながら平原の木々を描いていく。ただ絵を描くだけの、使える才のない自分とは悲しいほどに大違いだ。

するとそれを聞いていたのかいなかったのか、赤狼が「ていうかさ」と話を変えた。


「なんでお前は風景ばっか描くんだ?騎士達を描いたりしないのか」


 いきなり尋ねられたルカーシュが「えっ」と小さく声を上げる。

そして少し言い淀むと、「ああ、まあ...」と答えづらそうに彼は口にした。


「風景はただそこにあるだけで私を傷つけませんから...。人にはあまりいい思い出が無いので...描きたいと思えないんです」


「ふうーん...」


 赤狼は自分が聞いたくせに、まったく気のない返事をする。

 気まずそうに答えたルカーシュは深く追求されない事にほっとして、ふたたび絵を描くために視線を風景に戻した。

するとその途端に「あっ!!」と声を上げられ、彼はびくんと肩を跳ねさせる。


「な、なんですか急に」

「見ろ、兎だ!兎は描けないのか?」


 赤狼が指を差した先には、確かに穴から顔を出した野兎がいた。まだほんのり白い毛が残ったまだら模様の兎は、ひくひくと鼻を動かして辺りを見回す。


「ええっと、待ってください...」


 ルカーシュはサッサッと素早く木炭を動かして、瞬く間に絵の中に兎を描き込む。

そして出来上がった兎はまるで目の前の姿を映し取ったように鼻をひくつかせ、片足を上げてぴんと耳を立てていた。


「うわっ、すごいな!今の数秒でこんな精巧に描けるのか」


 赤狼がぐい、と覗き込んで楽しげな声を上げる。

ルカーシュは照れた様子で「まあ、動物なら」と答え、さらに赤狼は機嫌を良くして両手をぐっと握った。


「なんだ、動物なら描けるのか!じゃあそうだな、狐は?狐も描けるか」


 期待の眼差しを向けられて、若干のこそばゆさを感じながらルカーシュはさらさらと一匹の狐を描いてみせる。

すると先ほどの兎の背後で獲物を探すように体を低くした狐の絵が加わり、赤狼は「おお!」と声を上げた。


「すごくいいな!じゃあ鷹!鷹も描いてくれ!あと羊だろ、毛並みのいい馬だろ...」


 すっかり興奮した様子の赤狼は、次々に平原へ加える動物の名を挙げていく。

ルカーシュは「待ってください、いま描きますから」と焦りながら苦笑しつつ、手帳の中の平原に生き物を描き加えていった。



「おお〜〜〜!!」


 手帳を両手で持ち上げた赤狼は、嬉しそうに大きく感嘆する。


「すごいなあ!俺の好きな平原の動物ばっかりだ!本当に自然で、生きてるみたいじゃないか...。なあ、目の前に居ないのにどうやって描いてんだ?」


 赤狼があまりに喜ぶので、ルカーシュまでなんだか嬉しくなってしまう。

胸が浮くような気持ちに頬を綻ばせた彼は、「ただ覚えている姿を思い浮かべて描くだけです」と赤狼に微笑んだ。


「覚えている姿ねえ...。俺も色々覚えてるはずなんだけどなあ...」


 角度を変えて絵を眺める赤狼が、感心したようにぶつぶつと呟く。

ルカーシュは彼の純粋な絵への興味がますます嬉しくて、おもむろに手に持った木炭を差し出した。


「その、赤狼殿も描いてみませんか」


 なぜそんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。だが、彼の描く姿を見てみたくなったのだ。

 おずおずと言ったルカーシュに赤狼は振り向く。

そして「俺が?」と首を傾げると、ルカーシュはこくりと頷いた。


「ええと、もしかしたら私より才があるかもしれませんし」


 本当はちょっとした興味だった。

いや、同じ感覚を共有したかったのかもしれない。


 だが赤狼はその言葉を聞くなり、「そうか!じゃあ描こう!」と鎧の肩を上げて木炭を受け取る。

 そして新しいページにさっそく描き始めるが、彼の鋼を纏った指先はツルツルと滑って、うまく木炭が握れないようだった。


「うう...、んん...?むむむ...!」


「...だあっ!しゃらくさい!!」


 赤狼はしばらく唸っていたがついに痺れを切らし、右手に嵌めた手甲をぽいっ!と地面に脱ぎ捨てた。


 そこに現れたのはなんと、長く美しい指にしなやかで華奢な“女の手”

ルカーシュは思わず大きく目を見開いた。


「っ...!?」


 慌てて赤狼の顔をばっと見るが、手帳に向き合い背を丸める姿はあまりに真剣。

まじまじと彼...いや彼女の描く様子を眺めながら、ルカーシュはドキドキと迅る心臓を抑えた。


 しかし赤狼はいざ知らず、「できた!」と声を上げて狼面の顔を上げる。

そして「どうだ!そこそこ上手く描けたぞ」と見せられたその絵は————


 うねった線で、なんとも形容のし難い形をしていた。



「これは...ツノの生えた、......牛...?」


 ルカーシュが受け取った絵を見つめて尋ねる。


「牛じゃない、ライディルだ!!」


 不満げに怒鳴ったその声は、意識してしまえばどう聞いたって女の声。

気づいてしまったルカーシュは早鐘のように打つ心臓を必死に抑えながら、憤慨する赤狼へ振り向いた。


「...その、...付かぬことをお聞きしますが...。もしや、赤狼殿は女性なのですか...?」


「へっ!?」


 赤狼は驚いた声を上げる。


「いや、そんなわけ、何をいきなり...、ってああっ!!」


 狼狽えた赤狼は、あわあわと誤魔化して上げた自らの右手に間抜けな声を上げた。

そしてばっと焦ってその手を隠すと、ルカーシュに向かって「...誰にも言うなよ」と釘を刺す。


「い、言いません。誓って。かならず」


 ルカーシュは彼女の低く凄んだ声に小声で答え、こくこくと頷いて見せる。


「ならいい。言いふらせば殺すからな」


 この物騒で豪快な赤狼が女性だったとは...。

暴れ者の若い男だと思っていたのが、まさか女戦士だったなんて。しかも、あの手の見た目。

もしや歳も自分と変わらないのではないか...?


 彼はまだバクバクと跳ねる心臓をなんとか落ち着けようと、握った手帳に視線を移す。


 するとそこには変わらず、こちらを脱力させるような謎の生き物。


「ふっ...」


 先ほど彼女のあの、間抜けな叫びと慌てよう。

そしてこの...、のたくったような絵を堂々と見せながら自信満々な「ライディルだ!」と言い切った声。


 彼はそれが重なった瞬間、急に耐えきれなくなって吹き出してしまった。


「ふふっ!あは、ふふふ...!!」

「なんだ、何がおかしい!」


 腹を抱えて笑うルカーシュに、赤狼は焦ったような声を上げる。

するとルカーシュは絵を見つめ、震えたまま笑いを堪えてやっと返した。


「いや、その...。ずいぶんと、丸っこいライディルだなあと思いまして...」


 手帳に描かれたライディルは、どう見たって別の生き物。なんだか気の抜ける線で描かれたそれは、あの雄々しいツノを持った美しい鹿にはとても見えない。


「失礼な!このツノはすごくいい感じに描けただろうが!」


 赤狼が横から指を差し、鎧の肩を軽くこちらにぶつけられる。


「あはは、いやこれはどう見たって...」


 笑い返したその瞬間、ドキン!!と遅れて胸が跳ねた。


 ...な、なんだろう。この感覚は。


 鼓動が耳まで響いて治らない。

冷たい鎧が触れた肩が、なぜだか熱を持つ。


 先ほどまで、距離の近さなどなんとも思わなかったと言うのに。あの手を見てしまったせいか、どうにも心が落ち着かない。


 ルカーシュは隣の赤狼をじっと見つめる。


 兎を見つけて指差した、子供のように明るい声。

出来上がっていく絵に興奮して、次々に動物の名を上げる姿。

重い鎧を軋ませて嬉しそうに絵を見つめる仕草。

そして初めて平原の絵を描いた時に見せた、あの切なげな...感傷に満ちた寂しげな様子。


 今までの彼女の態度が、無邪気な反応が、自分に絵を描けと言って小突いたあの瞬間が頭の中で交錯する。

 そしてその刺激を与えた存在こそが“目の前にいる女性”だと認める度に、何かが胸の内を締め付け、温かな感覚が膨らんでいく。


 ———知らない。

こんな感情は、初めてだ。

どうしてだろうか、返す言葉が見つけられない。


「おい、なんとか言え!人の絵を笑っておいてダンマリか!」


 みるみる上がっていく体温と頬の熱さに、ルカーシュは黙り込んでしまうのだった。





ほぼ素の赤狼モードで気を抜いて、完全にやらかしてしまったステラ。

えらいことになってしまいました。

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