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【連載版】聖女様、夫は返していただきます【コミカライズ進行中】  作者: 蟹子


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35.戦の現実




 ゼーマンと名乗った男は不精髭を撫でてイリーゼを見やる。

イリーゼは彼の傷を負った片目が白濁しているのを見て、ごくりと唾を飲んだ。

彼はその視線に気づいて「ああ」と頷く。


「これは四年前に敵兵にやられたものだ。見えていないが、痛くはない」


 彼はそう言いながら、棚からカップを取り出す。

そしてその奥から何やら一抱えの丸い缶を引っ張り出して、カルテを雑に避けて置くと蓋を開けた。


「コーヒー飲むか。薄いがな」

「いらん。菓子だけくれ」

「お前には言っとらん」


 ベッドにどかっと座る赤狼と雑な会話をしながら、ゼーマンは菓子の缶をイリーゼに寄せる。

そして作業台で銀色の計りのカップを炙っていた火を止めて、その中身をカップに注いだ。


「火傷するなよ」


 無骨なカップに注がれた薄茶の液体が湯気を立てる。イリーゼは赤狼に倣ってベッドの隣へ腰掛けると「ありがとうございます」と控えめに口をつけた。


「...う、」

「不味いだろ。ただ苦いんじゃなくて質が悪いんだ」


 赤狼が笑い、ゼーマンがフンと息を吐く。


「旦那様がわざわざ貴重な豆を取り寄せて下さるんだ、文句は言えん」


 紅茶が一般的なこの国で、コーヒーなんてものはまだ馴染みがない高級品。それもようやく船を経て海の向こうから王都港へやってくるのだ。遠い辺境に運ばれる頃には質が落ちきっている。


「お前は相変わらず“旦那様、旦那様”だな。もうちっとくらいワガママを言やいいのに」


 赤狼が面頬を少しだけ上げて缶の菓子を口に入れる。

ついでに「ん、」と差し出された同じ菓子を受け取りながら、イリーゼは二人の会話に不思議そうな顔をした。


「なんと言われようが、俺ぁ旦那様には一生頭が上がらんよ。隣国から攻め入ったクズどもを皆殺しにしてくださったお方だ」


 ゼーマンは薄いコーヒーを啜って呟き、はっとイリーゼに気まずそうな顔をする。


「...嬢ちゃんに話す事じゃなかったな」


 誤魔化すように苦い顔をした彼に、イリーゼはぐっと唇を噛み、椅子から身を乗り出した。


「いえ、わかります。わたしと兄も敵兵によって親を失ったので。...でも兄は、わたしに戦場の話を聞かせてはくれない...」


 兄は自分を汚れない王都に置いて、自分ばかりを戦に差し出してきた。そしていつも「楽勝だったよ」なんて笑って傷を隠すのだ。

聖騎士の間はそれも落ち着いていたが、やめてしまったこれからはまた同じことが繰り返されてしまう。

 払いきれない学費がかかっているのだ。もっと苛烈に、どんどん兄は自分を顧みなくなるだろう。


 ゼーマンは彼女の言葉に、落ち窪んだ目を微かに見開く。そして顎に手を当てて少しばかり考えると、もう一度静かに言葉を漏らした。


「...そうか。お互い、奴らのせいで家族を失ったってわけだ」


 奴ら。つまりこの国と接する隣国は大国だ。

イリーゼの故郷である国の西側からこの北の辺境までを覆い、こちらの領土を狙っては度々戦を仕掛ける交戦的な帝国。


「聞かせてくださいませんか、お話の続きを。兄が遠ざけたがる戦の現実を...、私は知りたいんです」


 イリーゼは彼の傷の内の白濁した瞳を見つめる。

その薄紫の瞳は真剣で、一つの揺らぎも見られない。


 もう兄に、大人に誤魔化されたくないのだ。

親を失った戦...。四つの頃の記憶は炎と母の言葉だけで、それ以外はうっすらとしか覚えていない。

自分はいつも蚊帳の外で、安全な場所で兄を待つだけだった。


 ...だがきっと、この人はわたしに教えてくれる。


 学園で主席を勝ち取った聡い少女は、辺境伯夫人が己をここに連れた意味を理解した。

何も知らない自分に、見せようとしているのだ。

戦というものがどんなものか。


 ゼーマンは彼女の姿勢に驚きつつも、困った顔をして赤狼を見やる。そして彼が鎧の右肩を軽く上げた様子を見て、ようやく重い口を開いた。


「...元々俺は平原近くの村出身でな。平原の蛮族が十九年前に討たれてやっと戦が落ち着いたかと思えば、四年前に隣国が攻め入って来やがった」


「俺は唯一の村医者だったから、その地を離れるわけにはいかなかった。家族にもっと内地へ行けとは言ったが、...頑固な妻と娘だったよ」


 ゼーマンは湯気の立つ水面に映った己を見つめる。

揺らいだ水面が、彼の表情を歪ませた。


「案の定村まで敵の手が伸びて、薬草摘みから戻った俺は目の前で殺される二人を見た。駆け寄った俺は返り討ちに合い、そこに現れたのが旦那様が率いる騎士達だった」


 昨日のことの様に忘れもしない。

血で潰れた視界の中で剣を振るう、若き辺境伯の姿を。


「まだ18の旦那様は俺が家族に縋り付く前で、敵兵を皆殺しにしてくれた。その迷いのない太刀筋たるや、俺にはまるで戦神に見えたよ。...このお方なら、敵国の奴らを全員殺してくれると思った」


 軽々と振るう鋼の大剣。

漆黒の鎧に返り血を纏わせ、次々に切り伏せる様はただの人とは思えなかった。

護るべきものを失った己に、“このお方をお支えせよ”と啓示を受けた気がした。


 ゼーマンは静かに告げると、まずいコーヒーを喉に送る。


「だから俺は、ここで旦那様を...、騎士達を治す。敵国の奴らを一人でも多く殺してくれることを願って。それが生き残ってしまった俺の宿命だ。復讐の為に人を治す、医者にあるまじき医者だよ」


「そうでなければ、俺は許されない」


 彼は全てを話し終えると、コーヒーを全て飲み干してコンと机に置く。

イリーゼは息を止めて聞いていたが、胃の中にそれらの彼の言葉を収めると、カップをぎゅ...と握りしめた。


 自然と浮かぶ兄の顔。

ゼーマンの自罰的な眼差しは、どこか自分を見つめる兄と似ていた。それはきっと———–似通ったものを心の内に抱えているから。


 彼女は意を決してごくごくと全てを飲み干して、カップを同じくコンと置く。


「...兄の気持ちがわかりました。私が何をすべきなのかも」


 イリーゼは振り返って赤狼を見る。

赤狼は彼女の凛とした瞳を受けて、兜の中でくぐもった笑いを返した。


「それじゃ、砦と平原を見せてやる。これからお前の兄貴が戦い、守るべき場所をな」


「ごちそうさん」とゼーマンに声をかけ、赤狼は立ち上がる。イリーゼもその後ろを追うと、ぺこりと扉の前で頭を下げた。




————




 「見ろ、これが落とし戸だ。ここの仕掛けを引っ張って段階的に落とすことが出来る」


 赤狼がガン、と鉄のレバーを引くと、重い金属音を響かせて鉄の落とし度が勢いよく落ちる。


「挟まりゃ即死だ。無闇に触れんようにな」


 目の前で地面に叩きつけられた鉄の扉に、イリーゼは跳ねてしまった胸を抑えた。

赤狼は扉を上げると、彼女の手を引いて歩いていく。


「この出っ張ってる石を叩けば矢が飛び出る。それで、そこに突き刺さってる白骨はわざと残してる。来たやつの戦意が失せるだろ。おっと、気をつけろ。今は作動させてないが格子が開けばその足元は針山になる」


 イリーゼは赤狼がずんずんと歩いていくまま手を引かれ、次々と説明されていくあまりに非道な砦の仕様にただ驚きのまま頷いて進む。


「この砦は国境を護る文字通りの要塞だからな。敵をいかに効率的に殺すか考えられてる。だから平原の民は砦には手を出さず、谷に誘い込んで前辺境伯を殺そうとしたくらいだ」


 からりと笑う彼女は、前世の敵の話をしているというのにどこか誇らしげだ。


「砦の見た目は無骨だが、悔しい程に仕掛けは整い、末端の兵までも統率が行き届いている。伯爵とはいえ辺境伯はそういう男だ。王都の豚どもとは違う、鋼のような護りの血筋なんだよ」


「護りの血筋...」


 イリーゼは鎧を纏った夫人の言葉を繰り返す。

王都の貴族達にはそのような気概どころか、庶民を思う志すら感じることはできなかった。

彼らと同じ貴族の階級を持ちながら、日々戦いに備え、国境を護る貴族がいるとは。


「世の中には知らないことが溢れてる。今のお前は乾いた大地と同じだよ。雨を吸って膨らみ、いずれ芽を出し日に当てるのさ」


 赤狼はそう言うと、砦の外に停めていた馬へ彼女を引き上げた。


「さあ、行こう。我が平原は広い。お前の目では見渡しきれんくらいにな」




ゼーマンの話を聞いて、何かに気づいたイリーゼ。

次回、彼女の決断は...?

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― 新着の感想 ―
それぞれに守るものと、それを背負う矜持がある「辺境伯家」と「蛮族達」。 立場こそ敵対していても、戦う理由は「両者とも」同じ。だからこそ、本気で挑むし、くだらない貶め方をしない。 もしかしたら、現在の敵…
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