3.聖騎士夫妻は演技する
次の日、セリウスが目を覚ますと隣にステラの姿はない。ぎし、と音がして身体を起こすと、寝室の床に彼女が這いつくばっていた。
「何をしているんだ、君は」
思わず素の声が出た。
「何って見てわからないか?腕立て伏せだよ」
ステラはこちらを見もせずに、腕を曲げ伸ばして、ふっと息を吐く。シルクの夜着の胸元がひらりとのぞいて、思わず昨夜を思い出したセリウスは慌てて目を逸らした。
「まさか姫殿下に腕っぷしで勝とうなどとは思っていないだろうな...?」
彼女が本当にあの蛮族の長であるのならやりかねないこともない。訝しげに尋ねると、ステラはこちらをチラリと見てため息をついた。
「何言ってんだお前は。姫君をお殴り遊ばせた時点で極刑だろうが。あたしは今考え事してんの。体を動かせば頭も動く。ついでに力もついて得ってもんだ」
「...そうか」
言わんとすることはわからんでもない。
そして夜着のまま100回目を数えたステラは、ばっと顔を上げて何かを思いついたようだった。
「なあ、わざわざ“魅力に欠ける女”を自ら選んで騎士達に当てがうほど、姫君は嫉妬深いんだったな?」
「...ああ、騎士達に“どれほど姫君が妻に比べて素晴らしいか”を語らせて喜ぶほどには」
苦々しげに答えたセリウスに、ステラは嬉しそうににまにまと笑う。...なんだか嫌な予感がする。
「そうかそうか!ならば徹底的に逆のことをしてやろう!いいか?今日からお前とあたしは“馬鹿みたいに愛し合うおしどり夫婦”だ!」
「...は?」
セリウスの困惑の声が、寝室に小さく残った。
————
「結婚おめでとうセリウス、奥方とはいかが?」
王城の客室にて。
婚姻を終えたセリウスが登城するやいなや、控える聖騎士達の目の前で姫君は彼の顎にするりと触れた。
セリウスは苛立ちを抑えて微笑み返す。
寡黙な彼が微笑む姿は、姫にとって初めての光景だった。
「姫殿下。ちょうどこちらからお礼申し上げねばと思っていたところで。ステラは本当に素晴らしい妻です」
「...?ああ!そうね、わたくしたちの関係には“素晴らしく丁度いい妻”でしょう」
一瞬意味がわからず首を傾げた姫君は、思い至ったように可愛らしくぽんと手を叩く。そして彼の微笑みに気分を良くして、嘲るように微笑み返した。
セリウスは姫君の返答に変わらぬ笑みを浮かべたまま頷く。
「ええ。あれほど美しく聡明で、魅力的な女性は他におりません。俺は一目ですっかり彼女に心を奪われました。まこと素晴らしいご縁に感謝いたします」
姫君と聖騎士達は彼の言葉に目を見開く。
しかしセリウスはもう姫君の目など見ていなかった。
「では、鍛錬に参りますので」
セリウスは美しく会釈をすると、すっと彼女の横を躱すように通り過ぎる。
客室に取り残された姫君は「へ...?」と間抜けな声を上げ、騎士達もまた、口を開いたまま彼を見送った。
一方、ステラも髪を引っ詰めにすることをやめていた。豊かな真紅の髪をふわりと背に下ろし、潰した胸は解いて整え、エメラルドの瞳が映えるよう紅で彩った。
そして古いドレスを脱ぎ去ると身体にぴたりと添った優雅なドレスを自ら選び、セリウスは黙って財布を開いた。
それから二人は王都で開かれる数々の夜会に、頻繁に姿を現すようになった。
聖騎士とその正妻としては、全く前例のない行動である。
絢爛豪華なシャンデリアの光の中、二人は仲睦まじげに微笑み合い、腕を絡ませていた。時にはステラがイタズラっぽく頬をつついて、セリウスが少し困ったように笑みを浮かべて何かを囁き返す。
聖騎士と思えぬ姿に明らかに周囲の注目を集めていたが、二人はまったく気にすることもない。
誰がどう見ても、円満すぎる新婚夫婦である。
「まさか聖騎士殿が夜会に出られるとは思いませんでしたなあ」
「その上、かの奥方様を連れていらっしゃるとは」
あからさまに二人を揶揄する言葉に、ステラはにっこりと完璧な笑みを浮かべた。
「ええ、夜会に不慣れなわたくしの為に、主人がドレスを仕立ててくださいましたの。今までは酷い姿をお見せしてお恥ずかしいことですわ」
隣に立つセリウスも、続けて甘やかな笑みをステラに向けた。
「夜会は愛しい妻を公然と連れ歩ける、絶好の機会ですから。素晴らしい妻を迎え、はしたなくも男として舞い上がっているのです。どうぞお許しを」
その後も話しかける度に返ってくるのは、互いへの甘い惚気話ばかり。“赤毛の老馬”から見違えるほどに美しく変貌したステラの姿と、妻へと臆面もなく愛を囁く聖騎士の姿は瞬く間に社交界の噂となった。
そう。ステラとセリウスが行ったのは、姫君と世間に対する徹底的な夫婦仲の主張。
「姫殿下には、いくら感謝を申し上げても足りません」
二人は必ず、同じ台詞を告げて会話を終えた。




