29.賑やかな朝食
「なっ、なんでお前がここにいるんだイリーゼ!?」
「兄さんこそ!!何で勝手に相談せずに決めたわけ!?」
「でっ、でも手紙をやったろ!?」
「事後報告じゃない!!」
早朝の屋敷に騒がしい声が響く。
食堂へと訪れたセリウスが眉を顰め、隣のステラが「あら」と瞳をまばたかせると、既に席にかけていたルカーシュがあわあわと両手を宙に浮かしていた。
「あの、喧嘩はよくないと...まずは話し合いを...」
「だってチャンスにはすぐ飛びつくべきだし!」
「だからって妹の意見は聞かないの!?」
椅子から半ば腰を浮かせたままのルカーシュは、助けを求めるように視線を右往左往させる。だが当の兄妹は互いしか見ていない。
「だいたい兄さんはいつもそうよ!」
「だってイリーゼ、俺だってお前のために...!」
「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて...!」
「外野は黙ってて!!」
「外野は黙ってろ!!」
「はいっ、すみませんっ!!」
よかれと仲裁に入った彼は同時に二人から怒鳴られ、びくっと肩を上げて目を瞑った。
そしてまた二人はルカーシュに目もくれず、ぎゃいぎゃいと喧嘩の続きを始めてしまう。
「わたしはずっと兄さんの勝手なところが嫌いだって言ってるのに!」
「何で嫌いなんて言うのイリーゼ!?お兄ちゃん泣いちゃうよ!?」
「そうやっていつも逃げるんだから!」
「俺が可愛い妹から逃げてるわけないだろっ!」
「じゃあもっと真面目に話を!」
「お兄ちゃんはいつだって真面目だけど!?」
イリーゼが大きく怒鳴り、耳をつんざくイズラールの叫びがセリウスの堪忍袋をブチッ!と切れさせた。
「良い加減に黙らんか貴様ら!!!」
痺れを切らしたセリウスが低く一喝し、二人がびくん!!と肩を大きく跳ねさせる。
その声はまるで鋼を叩いたように食堂の壁に反響し、窓辺の小鳥がばさりと飛び立った。
可哀想にルカーシュまでもが酷く驚かされ、「ひっ」と小さく声を上げて椅子の上でぴょんと跳ねた。
雷を落としたセリウスはこめかみに青筋を立て、争っていた兄妹をぎろりと見下ろす。
「朝からうるさく騒ぎ立ておって...、人の家に邪魔をしているという自覚も無いのか貴様らは...!」
低く押し殺した声音には、静かな怒気が滲んでいる。
大きな体躯が食堂の入口を塞ぐように立つだけで、場の空気は一瞬で張り詰めた。
「す、すみません...!」
「だってセリウス、イリーゼが...」
地響きのような声とあまりの剣幕にイリーゼが怯えて後ずさり、イズラールが言い淀む。
「誰が口を開いていいと言った」
セリウスはぴしゃりと遮ると、苛立ちを露わに言葉を続けた。
「いいか。もとより俺は貴様ら部外者を置いてやる事を認めていない。妻の温情あってこその現状という事を忘れたか」
彼の言葉に二人は気まずそうに肩を落とし、ルカーシュまで「すみません...」と小さく縮こまる。
セリウスはそんな彼らを見下ろしたまま、ゆっくりと胸の前で腕を組んだ。
「だがこれ以上騒ぐなら問答無用で外へ放り出す。喜ぶが良い、雪が溶けた今なら凍死することもないだろう」
冗談に聞こえない脅しに、さあ...っと三人の顔が青くなった。怯えきったルカーシュがカタカタと小刻みに震える。
とどめに「返事は」と圧をかけられ、三人は「はいっ」と慌ててびしっと背筋を伸ばした。
「ならば座れ。音を立てるな」
イリーゼとイズラールはそろそろと命令通りに席に着く。
まるで叱られた新兵のように揃って身体を硬くする彼らに、ステラは小さく吹き出すとくすくすと肩を震わせた。
「もう、あなたったら。ここは兵舎じゃないのよ」
二の腕をするりと撫でられ、ようやくセリウスが圧を緩める。ステラは彼へ「座りましょ」と促すと、にっこりと三人に微笑みかけた。
「怖がらせてごめんなさいね。さ、落ち着いたところで朝ご飯にしましょう?温かいスープが冷めてしまってはもったいないわ」
机の上にはラウールによって既に朝食が用意され、いつもの豆のスープが湯気を立てている。
焼き目のついた黒パンの香りに、バターのやわらかな甘い匂い。瓶詰めの赤いジャムは朝日を受けて宝石のように光っている。
切り替えるように明るく笑うと、ようやく三人の肩の力が抜けた。
「イリーゼさん、自由に召し上がってね。パンの上に好きなものを乗せて食べるのがこちらの文化なの」
指し示された大皿の上に並ぶ朝食を眺めて、イリーゼが「わあ...」と頬を上げる。
美しく盛りつけられた品々は色とりどりで見慣れないものばかり。
ステラは素直な彼女の反応に、嬉しそうに頷いて一つずつ指を差した。
「まずバターに、これはライディルのハム、この瓶は黒すぐりとコケモモのジャム、これは鮭の燻製とディルね。サワークリームと穴あきチーズに、あとこれはおすすめのブラウンチーズよ。山羊のチーズだけれど、キャラメルみたいな甘さがあるの」
旦那様の好物なのよ、と軽く片目を閉じれば、セリウスがむず痒そうに咳払いをした。
言われた通りにイリーゼがパンにチーズを乗せて一口かじる。
「...!これ、甘くて美味しいです!辺境伯様!」
追い討ちのようにイリーゼからぱあっと笑顔を向けられて、ますます彼はいたたまれない顔で「そうか」とぶっきらぼうに答える。
するとルカーシュも一口齧ってセリウスに微笑んだ。
「おや、本当ですね。セリウス、貴方が甘い物を好んでいたなんて意外でした」
公開処刑のような言葉に、いよいよ羞恥に耐えきれない。彼はギッとルカーシュを睨みつけた。
「何が悪い」
「ひっ、なんで睨むんです」
ルカーシュはびくっと身を引いて怯み、困ったように眉を下げる。
「はあ、セリウスは本当に怒りっぽいんですから...」
だがルカーシュは困った顔でさえも、まるで白百合の妖精のように美しい。
サラ、と落ちる銀髪を指でするりと耳にかけ、物憂げな表情を浮かべる様は耽美で繊細。ため息すらも絵になるのだ。
するとイリーゼが、今気づいたように目をぱちくりさせた。兄弟喧嘩ですっかり彼の存在など目に入っていなかったのだ。彼女は隣の兄へとこっそり囁きかける。
「兄さん、あの綺麗な人は誰?」
「は?あいつに興味あるの!?ダメだよお兄ちゃんは認めないよイリーゼ!?」
「...もういい、兄さんに聞くんじゃなかった」
イリーゼはため息をついて兄に寄せていた身をすっと離すと、立ち上がって丁寧に礼をした。
「あの、名乗りが遅れてごめんなさい。わたしはこのイズラールの妹、イリーゼ・ランベルクと申します。兄が大変お世話になっております」
その仕草はまさに学園の主席らしく、年相応の幼さは感じさせない。
ぺこりと頭を下げた彼女にルカーシュは少し驚くと、穏やかに片手を上げてみせた。
「ああ、お気になさらず。ルカーシュ・ファルメスと申します。兄君やセリウスと同じく、元聖騎士の縁で身を置く者です」
どうぞ掛けて、とやんわりと促され、イリーゼはもう一度小さく礼をして掛け直す。
イズラールは気に入らない顔でルカーシュを睨みつけた。
「騎士なんかじゃないけどね。こいつと話すと弱虫がうつるよイリーゼ」
「なんて失礼な事いうの兄さん!うちの兄がすみません...!」
「ああいえ、イズラールはいつものことですから...。それに事実でもありますし」
慌てて謝るイリーゼにルカーシュはそう言って、少し寂しげに苦笑する。前回の事があってから、彼はすっかり気落ちしてしまっているらしい。
ステラは静かに傾けていたティーカップを置いて視線を上げた。
「そういえば、ルカーシュ様は絵がとてもお上手なんですってね。赤狼が教えてくれましたの」
「えっ?いや、そんな大したものでは...」
控えめに返した彼は、ふと彼女の言葉に不思議そうに顔を上げる。
「奥方様は赤狼殿とよく話されるのですか?」
領の騎士とはいえ、彼は乱暴で粗雑な男だ。
領主のセリウスにすら噛み付くような野蛮な男が、淑やかな女主人と気が知れているとは思えない。
しかしステラはルカーシュの疑問を知ってか、にっこりと笑みを返した。
「ええ、意外でしょう?彼とはとっても気が合うのよ。二人であなたの描く絵を楽しみにしているの」
含んだ笑みに、セリウスは妻を見やるとため息をつく。まったく、今度はいったい何を企んでいるのだか。
「おかげで王都まで画材を買いに行く羽目になった。無駄にすれば許さんぞ」
「はい、すみません...」
ルカーシュが肩をすぼませて謝ると、イリーゼがきょとんと目を丸くする。
「騎士なのに絵を描くんですか?」
「うっ、はい...。そのように言付かりましたので...」
悪気のない“騎士なのに”、があまりに刺さって涙目になるルカーシュ。イズラールは相変わらず気弱な彼に、呆れきって肩をすくめた。
「ふうん。辺境でも絵描きさんは気楽でいいね。ま、守ってあげるからたくさん描くといいよ」
嘲りを隠さない彼にセリウスが「やめないか」と静かに嗜める。だが当のルカーシュは申し訳なさそうな顔をするばかりで
「はい...。すみません、イズラール」
とまた眉を下げるのだった。
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「ジェンキンス、戻るまでの世話は任せた」
「かしこまりました、旦那様」
朝食後しばらくして。
玄関口に立つイリーゼを視線で指したセリウスに、ジェンキンスが整った礼で応える。
するといつの間にやらセリウスの隣に並んでいた赤狼が、ぽん!とルカーシュの背を叩いた。
「よっ、待たせたな!今日は存分に描けよ!」
「はっ、はい。頑張ります」
兜の内から威勢よく笑いかけられ、ルカーシュは慌てて胸元へ手帳を押し込めた。
セリウスがむ...、と眉を寄せたのを見て、赤狼は彼の肩も軽く小突いてみせる。
「なんだ、寂しがるなよ辺境伯殿。手合わせならいつも通り付き合ってやる」
セリウスは途端に目を見開き、慌てて表情を整えると「調子に乗るな」と兜をコンと小突き返した。
赤狼がくくく、と笑う。
「それじゃ、お兄ちゃんはお仕事だから」
すっかり戦支度をしたイズラールも、イリーゼの頭をさらりと撫でる。慣れた仕草は実に兄らしく、薄紫の瞳が優しげに彼女へ細められる。
しかしイリーゼは不満げな顔をして兄をじっと見上げた。
「...戻ったら話があるから」
「わかったわかった」
彼女の真剣な言葉にも、ひら、と手を挙げると、彼は軽く笑って背を向けてしまう。
「行くぞ」とセリウスの声で扉が閉められ、見送るその場にはイリーゼとジェンキンスの二人だけが残された。
「...いつだってこうだわ」
小さな呟きが静まった玄関へ反響する。
その声は酷く悲しげで、少女には似合わぬほど大人びた悔しさを馴染ませる。唇を噛んでぎゅっと両手を握るイリーゼに、隣に立ったジェンキンスは小首を傾げて微笑みかけた。
「申し遅れましたね。わたくしは家令のアルバート・ジェンキンスと申します。旦那様と奥様がご不在の間、貴方のお世話を仰せつかっております」
「...あっ、すみません!よろしくお願いします!」
はっとして頭を下げるイリーゼに、彼は目尻の皺を深めた。
「ええ、こちらこそ。ではまずは、屋敷のご案内からいたしましょうか」




