28.一日の終わり
屋敷についた時には、既に深夜を過ぎていた。
出迎えたジェンキンスは、セリウスの腕に抱えられた眠る少女と二人の顔を見比べて「何事です」と目を丸くした。
「奥様、流石に思い切りが早いのでは...。急がずともまだ数ヶ月ですからゆっくり待たれては」
夫婦仲に疑いはないのだ。家令一同、二人の子をゆっくり楽しみにしているのに、養子などとは気が早すぎる。
慌てた様子でステラを気遣う彼に、セリウスが疲れた顔で「違う。イズラールの妹だ」と嗜める。
「いや、流れによっちゃ案外ありかもな」
などとステラがくすくす笑うので、彼は「イズラールの親族になどなるものか」と心底不機嫌な顔をした。
屋敷は規模さえ大きいものの、砦を兼ねた軍事施設である為に客室がそもそも少ない。
その少ない二つは既にイズラールとルカーシュに割り当てられているのだ。妹とはいえ年頃の娘を同室にするのはよくないだろう。
仕方なくセリウスの亡き母親が使っていたという部屋を急遽掃除し、張り替えたシーツと厚い羽毛布団にイリーゼを寝かせたのだった。
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寝室に戻ったセリウスが、コルセットの紐を解くステラの肩へもたれかかるように顎を預ける。
「......疲れた...」
ステラは一瞬どきりとしたが、力の抜け切った声にほっと息をつく。
確かに、今日は一日で多くの事がありすぎた。
王都での買い物と情勢把握だけのつもりが、王権を狙う陰謀に、怪しいマハリークとの駆け引き、おまけに民心掌握の為の演技、とどめとばかりにイズラールの妹の誤解で大事故になる所だった。
本来のセリウスはいわゆる脳筋。
人間の思惑の探り合いという社交については、とにかく疲れるばかりで苦手なのだ。
それは聖女を欺く時も変わらず、「王都は嫌いだ」がしばらく寝る前の口癖になったほど。
「お前にしちゃなかなか良く頑張ったな。で、邪魔なんだけど手伝うか離れるかしてくれるか?」
ステラはぽんぽんと彼の頭を撫でてやる。
背中に覆い被さられてはコルセットが緩められないから、こちらも早く楽になりたいのだが。
「手伝う...」
彼は気の抜けた声で答えると、肩に顎を乗せたまま慣れた手つきで紐を緩める。
ったく、こういうことばっか上手くなりやがって。
簡単に外されたコルセットを受け取りながら、ステラは呆れと感心が入り混じったため息をついた。
足元には先に脱ぎ捨てていたバッスルとスカート、ワインレッドのジャケット。
ついでにブラウスを脱いでステラは抜け殻のようになったそこから一歩抜け出した。かかんで拾おうとするが、羽交締めにされては腰が曲げられない。
「なあ、拾えない」
「明日にしろ」
「いや、お前がどけばいいんだろ」
「嫌だが」
「嫌だがじゃなくてな」
駄々を捏ねる子供のようになってしまったセリウスを、ステラは「あーもう」とずるずる引きずって鏡の前に移動する。
髪を留めていたピンを何本か抜けば、纏めていた髪がふぁさりと広がった。
「...いい香りがする...」
ステラの髪に顔を埋めて、セリウスが息を吸う。
何言ってんだか、こいつは。
「鏡に写るとますます情けないねえ」
大きな図体で肌着姿の妻へ被さる姿は、まるでじゃれつく大型犬。辺境伯の威厳をすっかり失った彼に笑っても、セリウスは「何とでも言え」と擦り寄った。
「終わったか...?早く寝よう、眠い、限界だ...」
化粧を拭き取って肌へ香油を塗るステラへ、セリウスが後ろから溶けかけた声でぼやく。背に掛けられた重みはずっしりと増して、低い声がさらに低く落ちている。
ステラは(先にベッドへ行きゃいいのに)と思いながらも「はいはいおまたせ」と適当に返事を返した。
ベッドへなんとか倒れ込めば、そのまま抱き込まれるなりセリウスが寝息を立て始める。
本気で限界のくせにあんな駄々をこねてたのか、この旦那様は...。あの夜にこっちがちょっと好いてるなんて伝えてやったおかげか、すっかり甘え倒すようになりやがって。
だが背中を包み込む体温はじわりと肌に馴染んで、深くゆっくりとした彼の寝息はこちらまで何故か安心させる。
不思議なものだな、...今世というのは。
前世で長を張っていた頃には、こんな眠りなど一夜もなかった。
焚き込めた香と深酒で誰と務めを果たせども、それを温もりと感じたことはない。その内の誰かに甘えることもなければ、甘えられることもなかった。
ただ義務だった。それ以上でも以下でもない。
消えゆく運命の少数部族を、繋ぐための夜だった。
だが今は、この情けない温もりが妙に愛おしい。
こんな大きな男を可愛らしいとすら感じてしまうのは、そろそろどうかしているのかもしれないが。
もしもかつての同胞が知れば、仇の子の寝首をかかない己を堕ちたと見下げるだろうか。
そんな事を考えながらも、寝息に誘われるように意識が溶けてゆくのだった。
ちょっと小休止して次回はドタバタ...!?




