26.路地裏の誘い
「これはこれは...。まさか辺境伯ご夫妻とは露知らず...」
背の低い芝居師が誤魔化すように笑う。
彼は羽付きの膨らんだ帽子を胸元へ下ろす。
すると顔を上げた芝居師は、怯えた様子から打って変わってにまりと妖しく微笑んだ。
「申し遅れました。わたくしは吟遊詩人マハリーク。けしてあなた方を害するものではございません」
ステラは急に一転した彼の態度へ瞳を細める。
「ふうん、“吟遊詩人”ね。ただの大道芸人ではないって事か」
ええ、とマハリークは恭しく首を垂れた。
「かつては王家の御前にて詩を紡いだ宮廷詩人。今や王宮を追われて放浪先で人形まで操るようになりました。勝手なご無礼を働き、申し訳ございません」
くるくるとした薄茶の癖毛を低く下げたまま、どこか演技じみた口調で彼は答える。
セリウスが納得した顔で口元に指を当てた。
「なるほど、城に身を置いていた者か。...だがそうだとしてレオニダスの存在はまだしも、聖女の幽閉まで何故知っている」
たとえ城内にいたとて、王家の醜聞となりかねる姫君の処遇は宮廷詩人に与えられるほど軽い情報ではない。
彼をじっと見つめれば、マハリークはへらりと軽く笑った。
「そりゃ、王家に内通者がいるからでございますよ。まだ誰とはお教えできませんがね。その上で、わたくしは雇い主からあなた方に言伝を頼まれております」
胸元から差し出されたのは、一通の質の良い箔押しの便箋。
混じり気のない白色になめらかな手触りといい、庶民がこれほど高価な便箋を使う事はまずないだろう。
差出人は高貴な身分の者に違いない。
「わざわざお手紙とは、まるでこちらが接触することを予想していたような口ぶりだな」
ぴっと受け取って指で挟んだステラが便箋を透かし呟く。
中にはカードらしき厚みの紙が一枚。インクの透けから大した文章は書かれていないようだ。
おそらくは何らかの指示か誘いか...。
ならば目の前のこいつを絞ってからだ。
セリウスへと視線を向ければ、彼は静かに瞬きを返してマハリークへ向き直った。
「名を言えぬとは用心深いな。既に堕ちた聖女の立場をさらに落とし、我々を英雄のように持ち上げて何をさせたい」
彼は低く告げながらマハリークを見据える。
あの断罪事件から王家は既に弱体化しているのだ。もはやあえてつつかなくとも、崩れる事は目に見えている。
ステラはゆったりと腕を組み、品定めするように彼を見下ろした。
「王家の崩壊をやたらと急がせたいらしいな。お前の主人は国家転覆でも狙う輩だろう。王家に連なる血か、それとも宰相あたりと言ったところか」
マハリークはその言葉に満面の笑みを浮かべると、
「ご名答!」と弦楽器をジャン!と鳴らした。
「我が主は堕ちた王家を追い落とし、真の王となられるお方。わたくしは王道への絨毯を敷く、従者の一人でございます」
彼は鳶色の目を三日月のように細めて見せる。
「主はあなた方のお力添えをご期待しておられる。聖女を暴いた愛の象徴、病んだ王家に立った正義の旗を」
試すように含んだ台詞。
やはり目当ては英雄に向けられる衆望か。
奴の言う通り、こちらを“正義の旗”として利用し、王権をもぎ取りたいのだろう。
ステラはハッと息を吐いて笑い捨てた。
「そんな事だろうと思ったよ。だがこちとら充分王家を虐めてやったつもりだ。今さら弱い者虐めは興が乗らんな」
ひらりと手のひらを上げて隣のセリウスを促す。
彼も頷いてステラに続けた。
「そもそもこちらに利があると思えん。陰謀に与して得る富など興味はない」
さらりと黒髪を背に流した彼は、マハリークへ一歩近づく。そして頭上からぎらりと睨みつけた。
「この場で主の名を言え。話はそれからだ」
金の眼光を受けたマハリークは笑顔のまま黙り込む。
「申し上げられませぬ」
セリウスは歯向かう小男へやれやれと息を吐く。
簡単に吐くとは思わなかったが、結局は実力行使しかないようだ。
セリウスは壁に追い詰めたマハリークの顎にするりと手を当てた。尋問は好まないが慣れている。彼が息を吸ったのと同時に、その輪郭を大きな手で覆うようにわし掴んだ。
「この貧相な顎を砕かれたくなくば名を答えろ。多少芸に支障が出るかもしれんが、俺の知ったことではない」
時間の無い尋問には目や歯が効果的だ。
過敏な神経、視界に近い圧迫感は恐怖を煽る。
冷え切った低い声で告げられた言葉に、マハリークはじっとりと肌を汗で湿らせた。
セリウスは戦場で武勲を上げ、捕虜を捕え、多くを手にかけてきた男である。
必要とあらば躊躇はない。
「...お好きになさいませ。わたくしは道具。壊されたところであの方の痛みにもなりませぬ」
だがマハリークは震えながらも頑として名を発さず、彼の手の中でぎこちなく笑みを繕った。
セリウスはその返答へ一切の表情を消す。
「よかろう。ならば望み通りだ」
彼は指先に強く力を込める。
軽く壊せば気が変わるだろう。どのくらい力を入れれば顎にヒビが入るか程度は把握している。
押し潰すように圧がかかり、ミシ、と顎の骨が軋む音を立てた。
マハリークは覚悟を決めて目を瞑る————
「やめとけ。奴はよく飼い慣らされてる」
命じたステラが腰に手を当て、小さくため息をついた。
セリウスの手がぴた、と止まる。
上に何がついているかはわからんが、このマハリークには戦士の暴力を自ら受け止める覚悟がある。
つまりはそれほど主への信奉が芯まで達しているのだろう。
人間の信心というものは厄介だ。聖女ほどの決定的な事象がなければ、外から崩す事などできない。
「安易に駒を潰して主とやらの恨みを勝っても面倒だ。セリウス、いいな」
セリウスはマハリークを睨んだまま指を離す。
そして懐から取り出した手拭いで丁寧に指を拭いた。
手を何度かぱんぱんと払い、先ほどの暴力性を忘れたようにステラの腰へと腕を回す。
彼女はセリウスが引いたことを確かめると、壁に立てかけていた傘を手に取る。
はっ、はっ...、と路地裏に響くマハリークの乱れた息。
彼女は汗に濡れたマハリークへ静かに告げた。
「その主とやらに伝えておけ。人に頼み事をする時は直接頭を下げに来るもんだとな」
二人はくるりと踵を返すと、貴人の所作へと戻って優雅に手を取り歩き去る。
「予想通りでつまらなかったな。辺境で手一杯なのに王都の面倒に付き合ってられるか」
「もっともだ。時間の無駄をしたな」
革靴とヒールの音がゆっくりと遠のく路地裏。
残されたマハリークは震える指先を抑えたまま、手紙を胸元へ収めるステラへ唇の端を上げた。
クーデターの誘いをとりあえず躱した二人ですが...?




