24.噂巡る都
「えーとこの木炭に絵の具に溶き油、あと平筆と細筆...」
王都の画材店にて。
ステラは画材を手に取ると、次々にセリウスの腕へと押しつけていく。
細工の美しい木箱に収められた絵の具、平たいパレット、木炭の詰まった紙箱、手の中で散らばりそうになる筆の束...。
みるみるうちに腕の中で山と積み重なっていくそれらに、セリウスは怪訝な顔をした。
「なんだこれは。こんなに必要なのか」
ばらけそうになるそれらを抱え直す彼に、また手帳をぽんと乗せてステラが振り向く。
「せっかく描かせるなら本気でやらせたいからな。ルカーシュに必要なものを全部聞き出してきた」
ぴらりと見せられたのは小さなメモ。
ルカーシュの繊細な字でずらりと書き連ねられた内容は、セリウスの知らない名前のものばかりだった。
「なんでも柔らかい木炭じゃないと繊細な絵は描きづらいんだとか、筆もちゃんとしたものじゃなきゃ油絵の具に抜けてくっついちまうらしい。それが売ってるのがこの画材店だって言うからな」
「そんなものの為にわざわざ...」
ずっしりと重い画材の数々と、ルカーシュに教えられただろう専門的な話をするステラ。
セリウスはむう、と不機嫌な顔をした。
あの日、平原で離脱したルカーシュは戻った屋敷で自分と顔を合わすなり、「すみません」と気まずそうに顔を逸らした。
しかし赤狼はそんな彼の背中をばん!と叩いて「いいや、謝るな。今回の件は前進だ!」などと笑ったのだ。
彼女はそんな気の一つもないのだろうが、やはり他の男と距離が詰まるのは気に入らない...。
当の本人はそんな事を気付きもしないのか、巻きのキャンバス布をどさっと彼に押し付け、「これで全部だ」と満足げに頷いた。
「これは随分と良いものをお選びで。しかも、あの辺境伯ご夫妻自らお求めに来られるとは」
画材店の店主が優美なバネ式のレジスターをシャンと開いて紙幣を数える。
「実はこのわたくしも、聖女の正体を暴いたあなた方の勇敢さに感銘を受けた一人でして。ご来店、誠に光栄にございます」
きっちりと前髪を撫でつけた店主は、恭しく胸元に手を当てた。
どうやらこの様子では、二人とも庶民から英雄視されているらしい。
やたらと視線が気になると思ったが、そう言う事であればより身の振り方には気をつけねば。民衆の望む“真実の愛で結ばれた夫婦”の称号を崩すわけにはいかない。
「ええ。知り合いの画家に勧められて、わたくしも絵を始めてみようと思い立ったの。暇で何もしないよりはいいでしょう?」
「それはそれは。素晴らしい試みでございます」
そんな会話を滑らかにこなしながら、ステラはセリウスに微笑みかける。
「辺境から主人がわざわざ連れてきてくれたのよ。ね?あなた」
セリウスはあまりに高額な支払いに固まっていたものの、「流石はお優しいご主人であられますな」などと笑いかけられ、ぎこちなく口元をひくつかせた。
買い揃えた画材の数々を御者に預け、馬車に積み込まれるのを見届けてふう、と息をつく。
セリウスはせめて長い黒髪が目立たぬよう、首の後ろで小さく結って纏めた。
「さて。買い物も済んだし、まずは飯かな」
ぱさ、と日傘を開いたステラの装いは淑女らしさを増して優雅だ。傘の影が目立つ髪と目元を隠し、赤い唇を際立たせる。セリウスはその姿をじっと見つめていた自分に気付き、思わず彼女の日傘を手に取った。
「両手が自由な方がいいだろう」
そう言って彼女を見下ろせば、ステラは見上げて唇を小さく噛む。
「キザめ。どこで覚えたんだそんなの」
「今そうしたいと思った。さあ手を」
腕に絡めるように誘導され、ステラは不服そうに彼の二の腕に指を添わせた。
紳士に差し出された腕は淑女から取るものだ。
演技でやっていた時はなんともなかったというのに、いまさら素で寄り添えと言われると小っ恥ずかしい。
セリウスは少し耳を赤らめるステラににやけそうになりつつ、口元を隠して歩き出す。
毎夜触れているというのにこんな小さなやりとりですら赤くなるのだ、この可愛らしい妻は。
ステラは生暖かいセリウスの視線に気づかないふりをして、振り切るように前を向いた。
「さあ、どこに行こうか。せっかく王都なら屋台で買い食いもいいな」
辺境は寒さが酷いので、暖かい夏場でなければ屋台が出ることは少ない。せっかく焼いた肉やソーセージもすぐ冷え切って固くなってしまうのだ。
半日かけてやってきた王都は暖かく賑やかで、おそらく出店も賑わっているだろう。
「そんなものに手を出すのか。もっと良い店があるだろう」
セリウスは彼女の提案にぎょっとする。
彼は由緒正しい伯爵家の育ちであり、しかも厳しく騎士道教育を受けたのだ。その場で買ったものを食べながら歩くなどと紳士のふるまいにあらず。はしたない行いである。
「お前は知らんだろうが、平原は幕を立てて羊や焼き飯を振る舞う文化があった。そういう場には庶民の自然な会話が集まる。王都の状況を知るにはちょうど良い」
「...なるほど」
意図はわかったが、せっかく王都に来たなら普段口に出来ない良い食事をさせてやろうと思ったというのに。
セリウスは若干残念に思うものの、ステラは「どんな食い物があるかなあ。肉とついでにエールなんかありゃいいな」とやけに楽しげだ。
その姿があまりに無邪気なおかげで、まあいいか...と思ってしまうのだった。
広場に出ると、あちこちに立てられた屋台は庶民で賑わいを見せている。
混じり合った香ばしい食べ物の匂いにステラは嬉しそうに瞳を輝かせた。
「うーん、いいな!あの串焼き肉と、腸詰めも美味そうだ。うわっ、魚の揚げ物だ!セリウス、あれ食べよう!」
淑女らしさをギリギリ損なわない為の小声とはいえ、彼女の声は跳ねている。
まあ、確かに新鮮な海の魚介は魅力的である。なにしろ山間部の辺境では塩漬けの鮭か干したタラばかりしか出回ることはない。
「少しは落ち着け。そこのエールを見落とすぞ」
セリウスがくすりと笑って言ってやれば、ステラは「でかした」と彼に肩を小さくぶつける。
屋台の主人が目を丸くする中で“庶民の真似事をする世間知らずのお貴族様”を装ってチップを多く支払い、木影で目立たない広場脇のベンチに腰掛けた。
「んーっ、うまい!なあ、この身ふわっふわだぞ!この酢もフライにあっててエールが進むなあ!」
ステラが白身魚の揚げ物を頬張り、木の杯に泡立つエールにぺろりと口の端を舐める。
セリウスは喜びを隠さない彼女に思わず目尻が下がってしまう。普段から食事を美味そうに食べる女だが、これほど喜ぶのであれば買った甲斐があるというものだ。
「ほら、お前も。冷める前に食べた方がいい。エールもちょびっとだけやるから」
いきなりステラからフォークに刺した揚げ魚を目の前に差し出される。
「!」
セリウスは思わず目を見開くが、彼女は笑って「ほら」と急かす。
セリウスは辺りをちらりと見回して誰とも視線が合わない事を確認してから、ぱく、とフォークの先を口に入れた。
そして焦りを悟られないようにすっと体勢を戻す。
柄にもない行為に口元を抑え、体温が上がるのを誤魔化す。心臓に悪い事をする...、となんとか気を落ち着けていれば、ステラがにっこりと微笑んだ。
「な?いけるだろ。はい、これも飲まなきゃもったいない」
さらに飲みかけのエールを手に持たされ、セリウスは泡が口の形に消えたそれを見て口を引き結ぶ。
ステラを振り返れば「うまいぞ」と尖った犬歯をきらりと見せて笑った。
...屈託なく笑いおって、この妻は。
目を閉じてぐっと大きく杯を煽ると、ステラが「あっ!こら、そんなに飲むな!」と慌てた声を上げた。
セリウスは口から離した杯を彼女に押し付けると、はあーーーっとため息を吐く。
「...君は、こう言う事は平気でするのだな...」
火照る顔を隠すように俯いてつぶやくが、ステラは返された杯をうわあ、と声を上げて覗き込んだ。
「飲み過ぎだろ...一口で半分も行くなよ...」
「やかましい。仕返しだ」
「善意を仇で返すの間違いだろうが...」
落ち込みつつちびちびとエールを舐めるステラに、セリウスはやれやれと串から肉を外していく。
「しかもなんつー無粋なことを...」
「何がだ」
「串は串のまま食べるんだよ辺境伯殿...っと、なんだ?やけに騒がしいな」
そんな話をしていると、気がつけば広場の中心にぞろぞろと人々が集まり始めていた。
何事かと影から覗いてみれば、男の陽気な声が大きく響く。
「さあよってらっしゃい見てらっしゃい!真実の愛に打ち倒された悪の聖女!その末路の酷さを聞きたくないかい?」
「まさか、あれが人形劇になってんのか!?」
「いや待て。聖女の末路だと?」
小声で叫んだステラに、セリウスがしっと唇に指を当てる。
見慣れない弦楽器を肩からかけた芝居師の男は、羽付きの帽子を揺らしてにっこりと観客に笑いかけた。




