2.北方蛮族の長、聖騎士を問う
「飼い殺しの聖騎士とは腑抜けたものだな、ヴェルドマン」
低く言い放たれた声に、セリウスがぴたりと手を止めた。
先ほどまでまるで怯えた猫のように丸めていたステラの背が、ゆっくりと伸びていく。
見上げたエメラルドの瞳がセリウスの目を威嚇するように貫く。目を見開いた瞬間、ぐっと胸ぐらを掴まれ引き寄せられた。
「カーラ・バザロフスカの名を忘れたとは言わせんぞ。我が宿敵クラウスの子、セリウス・ヴェルドマンよ」
セリウスの視界がぐるりと回る。
そして次の瞬間、ステラは彼に鮮やかに跨り、悠然と見下ろすと固く詰めた髪を解き放った。月光に照らされた赤髪が炎の瀑布のように肩に流れ落ちていく。
その姿に息を呑んでいたことに気づき、シーツに背を押し付けられたセリウスは慌てて口を開いた。
「何をする、いや、君は何を言っている...!?」
困惑しきって言葉を詰まらせる彼に、ステラはくつくつと笑うばかり。可笑しいのだ、巡り合わせも、今までのふざけた令嬢の人生も、聖騎士などというこの男も。
「ここまで言われてまだわからんとは。やはり噂に違わぬ顔だけの男か」
「なっ...!?」
ステラの侮蔑を込めた乾いた笑いに、セリウスが険しく眉を寄せる。
だがステラはさらに容赦なく嘲笑った。
「あの凄まじき剣を息子は忘れてしまったか?“聖女の慰み者としての一生”が英雄の子の望みとは嘆かわしいな!」
その言葉を受けた途端、セリウスの瞳が怒りにぶわりと燃え上がった。
「貴様...!狂言の侮辱もいい加減にしろ!!」
彼の右手がステラの胸ぐらを掴み返し、彼女を引き寄せる。かち合った視線を逸らさぬまま、セリウスは地響きのような声で吠えた。
「貴様に俺の何がわかる!!英雄たる父の背を追い、領民を護るべく研鑽を重ね、ようやく戦を終えて呼び立てられた王の御許にて聖騎士などに任命され、抗えぬ俺の気持ちが!!」
彼の拳が強く軋む。そして吐き出すようにステラへと感情を叩き込んだ。
「領民を置き去りに、歪んだ王城とぬるい戦場で己が錆び腐っていく」
「それをただ耐えねばならぬことが、どれだけ...、どれだけ屈辱的か...!!」
夜着の胸元を掴み上げた指先は震え、関節は白く浮き立っている。ステラは怒りと悔恨に満ちた彼の目をまじまじと見ると、へえ、と嬉しそうに頬を上げた。
「なんだ、とんだ見下げた男かと思いきや。身の内に志が燻っていたか」
そして掴まれた胸ぐらをそのままに、うんうん、と満足げに頷く。それから掴まれた拳を柔く握り込み、彼へと悪戯っぽく微笑みかけた。
「それでお前、姫君には操を捧げたのか?」
「馬鹿を言え!誰があのようなふしだらを抱くものか!こんな立場でなどなければ...、俺は...!!」
茶化されたと感じて怒鳴り返した彼は、視線を落としぎりり、と歯噛みする。ステラはますます嬉しそうに笑みを浮かべると、ふっと息を吐き出すように笑った。しばらく肩を震わせて、己を殺した男とよく似た彼を見つめる。
「ふん、かつてはクラウスほどの男なら、この身をくれてやってもいいと思っていたが。...今世で王国からお前を奪うのも悪くない」
「...何を言っている...」
セリウスは予想だにもしない返答に、思わず指の力を抜いて呟く。ステラはにっこりと微笑み返すと、彼の胸をトンと突いた。
「いいか坊や、あたしは欲しいと思ったものは必ず手に入れる。お前の父の命だけはファーレンの谷で貰い損ねたがな」
「はあ、右腕一つしか手に入らんかったのが未だに惜しい。前世の唯一の後悔と言えよう」
そうしてわざとらしいため息をつく彼女の言葉に、黙っていたセリウスはわなわなと震え出す。
「な、なぜその場所で父が腕を失ったと...、彼奴の首と引き換えに父の利き腕が失われた事は身内しか知らぬはず...。まさか、本当にお前は...」
震えたままに見上げた女は、ばさりと豊かな髪を背に跳ね除けながらからりと笑った。
「まだ言わせるか。お前の父の宿敵、バザロフスカが首長。お前の目の前にいるのはその記憶を宿した女だ」
「“血を以て根絶やしにせん”とこちらを滅ぼしておきながら、我が平原を魔物に明け渡すとは悲しいものよ」
「...っ!」
セリウスは思わず息を飲む。
聖騎士に任命され城務めとなり、領内を騎士達に任せきりとなったことで北の地に魔物が増えているのは重い事実である。
そして、今しがた女の口から言い放たれた“血を以て根絶やしにせん”とは...蛮族との戦における亡き父の口癖のような、固い決意の言葉。
一介の令嬢が、戦の父を知るわけがない。
「...。信じられんが...、...もはや、疑うべくもない...」
まじまじと見上げて呟く彼に、ステラはくくく、と笑うと彼の胸に指を当てた。
「では、改めて聞こう。血生臭い戦場の騎士に戻る気はあるか?旦那様」
ステラは試すように彼を見下ろす。
“戦場”と聞いたセリウスは目を見開くと、その目に確かな焔を一つ灯した。
「...戻れるのであれば、今すぐにでも」
互いに向かい合ったシーツの上。
血の因縁を抱えた二人の影が重なった。




