18.一つの精算
「本当に、うちのファビアンが大変なご迷惑を...!」
腰を低くして必死に頭を下げるヴィオレッタに、セリウスが「いや...」と気まずそうに後退する。
ステラは眼鏡が落ちそうな勢いで首を垂れる彼女に一歩近づくと、そっと彼女の肩に手を触れた。
「どうかお気になさらないで、わたくしたちもご主人と過ごす日々はとても楽しかったのです。ね、貴方」
実際、彼の存在はステラのことを想像以上に楽しませたのだ。
穏やかな微笑みを浮かべて振り返ると、セリウスは彼女に少し呆れてから「まあ、賑やかではあったな」と渋々答える。
それを聞いた途端、ヴィオレッタに倣って深く頭を下げていたファビアンは顔を上げる。
彼はまったく悪気のない顔で「そうでしょ?」とへらりと笑った。
「僕がいたからきっと深まった仲もあると思ったんだよねえ。どことは言わないけど。ねえセリウス?」
「お前な」
セリウスが眉を寄せると、ファビアンはいつものように軽快に笑って口元を押さえた。
「あはは!いや、ごめん。...ちょっと、気恥ずかしくてさ」
ファビアンは少し目を逸らしてから、すうと息を吸う。すー、はーと息を吸って落ち着けると、彼の青い目は真剣な表情でまっすぐにこちらを見据えた。
「...セリウス、そして奥方様。己を見失い逃げ出そうとした僕に、大切なものを思い出させていただいたこと、心から感謝いたします」
そして彼の瞳は隣に立つヴィオレッタへと向けられる。
「おかげでようやく、彼女に正面から向き合える。夫として、一人の男として」
ヴィオレッタは彼を見上げて、すみれ色の瞳を嬉しそうに細めた。
ファビアンは微笑んで頷くと、またこちらに視線を戻す。そしてゆっくりと確かめるように言葉を紡いだ。
「セリウス。僕が一年もの間ずっと君にしつこく喋りかけていたのは、君が羨ましかったからなんだ。聖騎士になっても己を貫き、姫君に屈さず、清廉な君が」
「......」
セリウスは彼のいつになく真剣な言葉を受けて、戸惑ったように黙り込む。
「だから、君に汚れてほしくなかった。君が聖女に本気で対抗する気だと知って手を貸したのは、君の姿勢を心底尊敬していたからだ」
ファビアンは黙ったままの彼に向かって、柔らかく微笑んだ。
「君は誰よりも本当の“聖なる騎士”だった。高潔な騎士だったんだ。それは今も変わらず、僕にとっては眩しく遠い憧れだ」
そして彼は少し寂しそうな笑みを浮かべる。
静かな彼の言葉は噛み締めるように続けた。
「僕に出来ることが見つけられたら、必ず君に恩を返そう。ありがとう、セリウス」
青く透き通った瞳を閉じると、彼はまた頭を深く下げる。
セリウスはそんな彼の様子をじっと見つめると、いたたまれないようにくしゃ、とこめかみをかき上げる。
「俺は何もしていない。全てはお前の内情を推し量ることのできた妻の采配だ」
そして少しの沈黙と共に、困ったようにステラへと視線を向けた。
ステラは首を傾げて、彼へにこりと笑って促す。
微笑みを受けたセリウスは一つため息をつくと、ファビアンの前へと右手を差し出した。
「しおらしいのは気味が悪いぞ、ファビアン。お前は俺の“親友”なのではなかったのか?」
頭の前に差し出された手に、ファビアンは視線を上げると目を見開く。
それからむず痒そうに視線を逸らしたセリウスを見るや否や、彼は嬉しそうににまーーっと口の両端を上げた。すぐさまぎゅっと両手で彼の手を握る。
「...そうだね。そうだった!僕はずーっと君の親友だからね!ね、もう一回言って?俺の親友ってもう一回言って?ねえねえセリウスおねがぁい♡」
「前言撤回する」
「あれ?照れちゃった?照れちゃったの?ざんねんでしたー!僕には通用しませーん!しっかり記憶に刻んだもんね!“お前は俺の親友なのではなかったのか?”」
「やかましい!さっさと帰れ!!」
からかわれて赤くなったセリウスがファビアンの手をばっと振り払うと、あははは!とファビアンが腹を押さえた。
ステラとヴィオレッタも二人の様子にくすくすと口元を隠して肩を震わせる。
ファビアンは目尻に浮いた涙を指先でぬぐうと、馬車の扉を開けながら彼に笑いかけた。
「じゃ、そろそろ本当に帰るよ。君が寂しいといけないから、またちょくちょく遊びに来てあげるね」
「遠慮というものを知らんのかお前は」
セリウスは呆れた顔をするものの、どことなくその横顔は嬉しげだ。
「よければまたご夫婦でいらして。何もない所ですけれど、夏はベリーがたくさん実りますの」
「まあ、素敵!ぜひそうさせていただきたいわ」
ステラとヴィオレッタもそっと手を握り合い、互いに微笑み合う。
セリウスとファビアンは妻達の穏やかな交流に、どちらともなく頬を緩めた。
ヴィオレッタが乗り込むのを待ってゆっくりと馬車の扉を閉めたファビアンは、雪の上を走り始めた馬車の窓から顔を出す。
「またね、セリウス!それから奥方様!」
大きく呼びかけられたステラが目を丸くした。
「照れ屋の赤狼くんにどうぞよろしく!」
ステラに向かってにっこりと歯を見せて笑った彼の笑顔は、悪戯っぽく輝いている。
その顔はまさに“最初から全てわかっていたよ”とでも言うように。
ステラはきゅっと口を結ぶと、かあっと顔を赤くしてその場に立ちすくむのだった。
ファビアン編が終了です。次回から新章に入ります。
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