16.確かめるべきこと
セリウスが屋敷に戻り夕食の席へ向かうと、そこには既にステラが掛けていた。
何やら口元に指を当てて思案する彼女はこちらに気づかず、いつものように「遅いぞ、旦那様」と笑わない。
じわりと胸の内に滲んだ焦りを噛み潰して、セリウスは歩み寄る。
が、彼女はセリウスを一目見るなり、ふい、と再び顔を逸らした。
「...なんだその態度は」
セリウスが向かい合った椅子に掛けつつ尋ねる。
あえて低い声色を選んで告げては見たものの、内心は既に冷静さを欠いていた。
そもそも、彼女は最初からファビアンを狙うような発言をしていたのだ。実際に色目を使われたならまんざらではないだろう。
それで俺と目を合わすのも気まずいという事か。
いや、もう俺に興味がなくなっただけか。
「別に、考え事をしていただけだ。ファビアンの事が気になってな」
「...っ」
目を合わせないまま呟いた彼女に、セリウスは言いようもない痛みを感じて言葉に詰まる。
...やはりそういう事ではないか。
この一週間ずっと抱えてきた嫌な予感は的中した。
わざわざ深く考え込むほどに異性の事が気になるなどと、惹かれている以外に何がある。
「それほどファビアンに興味があるのか。最近ずいぶんと寝室でも上の空だったが、それも全てあいつのおかげというわけか」
運ばれる食事の先に座る彼女をじっと睨みつけて問いただすが、ステラはこともなげに「まあな」と答えた。
「この一週間で少しはこちらに懐かせたと思ったんだが、なかなか歯応えのある男らしい。のらりくらりと...やはり面白いやつだ、あの男は」
ステラは運ばれた肉にナイフを入れながら呟く。
その言葉はどこか楽しげで、ますますセリウスの焦燥と劣等感を煽らせた。
懐かせた。歯応えがある?
それほど奴を自分のものにしたいのか。
俺という存在を得ておきながら、君はそんなことを遊びのように望むと言うのか。
そして俺がここに来るまでの間、ずっとそんな策略を思案していたというわけか。
“本当に奥方様って君のことが好きなのかなあ?”
ファビアンの声が頭の中で反復し、セリウスはギリ、と奥歯を噛み締めた。
そしてふーーーー...っ、と長く腹の底に煮え立つものを吐き出すと、彼はゆっくりと席を立ち上がった。
「そうか、なるほど。...君がそういうつもりであれば、俺にも考えがある」
思考に集中力を割いていたステラがはっと気がついた時には、セリウスに手首を取られていた。
頭上から覆うような強い殺気。
ぎり、と強く力を込められ、ステラは反射的に彼の瞳を睨み上げた。
「いきなり何する...ッ!」
だがそこにあったのは、冷え切った金の瞳。
思わず声を失った彼女をセリウスは強引に引き上げると、ぐいっと肩の上に担ぎ上げた。
ステラの視界がぐるんと床に落ち、絨毯の模様が目の前に広がる。
「はあ!?なに、お前何すんだ!下ろせこのっ!!」
突然のことにじたばたと暴れ、背を叩いても彼はびくともしない。
身動きできないままに地面は逆さに揺れ動く。
ずんずんとステラを抱えたまま食堂を後にし、寝室への階段をセリウスは上がって行く。
「おい、飯は!?まだ食ってる途中だっただろうが!ふざけるのも大概にしろ!!」
寝室の扉を開けた彼を怒鳴りつければ、どさりと背中を柔いベッドが受け止める。同時にがばっと大きな黒いものに覆い被さられたと思えば、唇を噛み付くように塞がれた。
「っ、んん〜〜!?」
訳がわからないまま上げた怒声も、強引な口付けの奥に飲まれてしまう。
両手をシーツに押さえつけられ、するりと長い指が絡められる。
深く時間をかけた口付けは彼女の息を奪い、蕩かせていく。暴れていたステラの力がだんだんと抜けていくのを感じ取ると、ようやく薄い唇が離された。
「ふざけてなどいない。俺にはこれしか方法がない」
「...な、なに、言って...、なんでいま...」
火照り切ったステラが上がった息の隙間で問うと、
熱のこめられた金の瞳が真っ直ぐに彼女を見下ろした。
「君を奪わせない為だ」
「うば...?」
予想外の言葉に思わず繰り返すが、彼はいつになく悲痛な表情でステラを見つめる。
「俺はファビアンのような器用さもなければ、上手い口説き文句も知りはしない。だが君の身体は奴より知っている」
自負と痛みが混ざり合った彼の言葉が、追い詰めるように向けられる。
「いや、なんでファビアンが出てくる...」
意味がわからず返すステラに、セリウスはぐいと鼻先が触れるほどに近づいた。
「君がファビアンを欲しがるからだろう」
間近で受ける、地響きのような低い声。
「君の男は俺だけでいいと、君に思い知らせる」
耳元で囁かれた支配的な声に、ぞく、と肌が粟立つ。ステラは小さく息を吸って身体をこわばらせた。
だがそこまで言われて、ようやく意味を理解した。
ファビアンの名を出してきて何かと思えば、こいつはあたしが奴に惹かれてると思い込んでるのか。
なんでだ、いや、思い返せば確かにそう受け取られる発言だったか...?
そもそも色恋など頭にないおかげで、そんな誤解なんて想像だにしなかった...。
「君の心がどこにあろうと、俺は君を愛している」
押し込めるような苦しげな声は、なぜだかこちらの胸まで潰すようだ。
だがステラは恋愛の機敏などようやく今世で知ったのだ。正直、彼の言う“愛”というのもまだ、よくわからない。
「ステラ」
切なげに名を呼ばれて、どきりと身の内が跳ねる。
いつしか、こいつに名を呼ばれると自分が落ち着かなくなると自覚はしていた。だがそれも“妙な雰囲気”に当てられているのだ、そう思い込むようになっていた。
するりとセリウスの指が肌を滑り、反射的に漏れる声を抑える。
気付けば彼に触れられると、全身が熱を持つようになっていた。過去では務めでしかなかったはずの行為が感情を昂らせ、覆い被さる圧迫感すらもなぜか心地よく感じている自分がいた。
だがそれも、“慣れ”だと思うようにしていた。
だってこいつは勝手に慣れないこちらを翻弄して、勝手に嬉しげに触れてくるのだ。
別にあたしは付き合ってやっているだけで、“そういう感情”なんて知らないのだから————
———なのに、...なんて顔をするんだ、こいつは。
今でさえこちらの自由を奪って強引に触れてさえいるくせに、追い詰められたような...何かを怖がるような目をして。
“好きなところは、好きって相手に言わないと”
雪の中の寂しげなファビアンの言葉が反響する。
セリウスの震えた手のひらが頬を撫でる。
痛むように金の瞳を細め、唇を重ねようとする彼の胸ぐらをステラはぐっと掴んで引き寄せた。
「!」
セリウスの目が見開かれる。
愛なんて崇高なものはわからない。
だが、自分にとって単純な感情くらいはわかる。
ステラの赤い唇が鮮やかに彼の唇を奪う。
彼に受けた感触を真似て内側をなぞり舌を絡めれば、セリウスはびくりと肩を震わせる。
っはあ、と唇を離して、驚く彼を引き寄せたまま、エメラルドの瞳がまっすぐに揺れる金の瞳を捉えた。
「セリウス、お前を好いている」
はっきりと告げられた声。
「今...、何を」
意味がわからない、とばかりに零すセリウスを真っ直ぐに見据えて、ステラはもう一度ゆっくりと言葉を紡いだ。
「お前を好いている、と言った。お前以外に男は要らん」
それだけ言い切ると、ふいと彼女は顔を逸らす。
「...これ以上寝不足になってたまるか」
逸らされたステラの瞳は微かに泳ぎ、耳まで赤く染まり切っている。
セリウスはその言葉と姿にしばらく言葉を失うと、何かが込み上げたようにがばっと彼女を抱きしめた。
「信じていいのか、...君は俺を、好いているのか」
ぐ、と手のひらに力を込められて、耳元に低く震えた声が落ちる。
ステラはますます火照っていく全身を捩らせて、誤魔化すように怒鳴った。
「そうだと言っている!何度も言わせようとするな!」
セリウスは彼女のわかりやすい照れ隠しに湧き上がる喜びを噛み締めると、確かめるように彼女の髪を、頬を何度も撫でた。
「愛している。ステラ、君のことを」
首筋にいくつもキスを落とし、鎖骨へと長い指が滑る。
途端に上がっていく彼の熱い息に、ステラは慌てて彼の胸を押した。
「ひっ、いや、なんで!伝わったんだからもういいだろうが!」
「いいや、今確かめたい。このまま止まれなんて無理な話だ」
押し除けられてもなお、セリウスの指はドレスの紐をするすると解いてしまう。
ステラは焦って彼の手を振り払った。
「やめ、この、意味がわからん!もう確かめただろ、飯が途中だろ!このまま朝なんて絶対に納得できな...っ」
「まったく、うるさい口だな」
にまりと笑った彼に唇を塞がれ、言葉を封じられてしまう。
「んんん〜〜〜〜〜ッッ!!」
さっきまであんなに不安げにしていたくせに、セリウスはすっかり余裕と自信で満たされている。
ステラは声にならない怒りを必死に叫ぶが抵抗も虚しく、
それらが意味を成すことはないのだった。
————
はっと瞼を開けば、すっかり朝日が差し込んでいた。
気絶するように眠っていたことに気がついて隣を見れば、少し上から満足そうに微笑むセリウスの顔が目に入る。
この野郎はあたしが起きるまで、ずっとそうやって眺めていたわけか。
「...やっぱり殺す...」
きゅるる、と情けなく鳴った腹を抑えて彼を睨みつけると、セリウスは口元に手を当てて吹き出した。
「ふっ!くく...。いや、悪いことをした。謝ろう」
ますます睨みつけるステラの髪を撫でると、セリウスはおかしそうに笑う。
ステラはなおさら苛立ち、彼の腕の中からばっと身体を起こそうとする。その瞬間に鈍い痛みがズギッと腰に走り、「い"っ!?」と声を上げてそろそろと身体を戻した。
「起き上がれないのか」
にま、と口の端を上げるセリウス。
ステラはシーツにうずくまったまま、唸るようにつぶやいた。
「...殺す、本当に殺す...お前なんて嫌いだ...」
「それは困る。まあ待て、食事を持って来させよう」
セリウスが立ち上がって落ちていた夜着に袖を通すと、ステラがぎゅっと彼の裾を掴んだ。
痛みで少し潤んだ瞳はこちらを見つめ、何かを伝えたいらしい。
「どうした、俺が離れるのが寂しいのか」
なかなか可愛らしい仕草をする、と微笑んで振り向くと、ステラは真面目な顔をして「違う」と答えた。
「飯のついでに、ジェンキンスに王都の行方不明者を調べるように言ってくれ」
「行方不明者?」
唐突な彼女の言葉にセリウスは目を丸くする。
ステラはこく、と頷いて続けた。
「そうだ。ファビアン、あいつはまだ嘘をついている。妻に対して何年もつらく当たり続けたようなクズが、辺境に拾われたくらいで己の行いを思い直すと思うか?」
「何の話だ、それは」
初耳の情報に訝しんだ目を向けると、ステラは彼の夜着の裾をもう一度ぐっと引いた。
「詳しくは飯を食いながら話す。とにかく調べさせろ」




