14.羨望と期待
「やー楽しかった〜!ね!セリウス!僕ここでうまくやっていけると思うよ!」
「そうか」
「皆めちゃくちゃ優しいし、何より赤狼くん僕すっごく好きだな〜!あの子若いのに面白いねえ!気に入ったって言われちゃったよ!」
「そうか」
「ていうかあれ?そういえば赤狼くんは?さっきまでいたのにどこ行っちゃったの?まだ話したかったのに〜」
「そうか」
「セリウス?」
屋敷の騎士営舎にて。
討伐終わりの汗を拭くファビアンが笑顔で振り向くと、そこには表情こそ無のままに、重たい暗雲を纏った不機嫌の化身が見下ろしていた。
彼はすっかり汗を洗い落として衣服を軽く改めているものの、長い黒髪はまだ濡れたまま。
周囲で帰り支度をしていた騎士達は、今にも雷を落としそうな主人を刺激しないよう息を顰めている。
なぜならこのファビアンは帰路に着くまでの間じゅうずっと、意気投合した赤狼殿とひたすら喋り倒してきたのだから。
その間の主人の表情たるや、まるで番を横取りされた獣の形相。おかげで騎士達は現在までじわじわと胃を痛め続けている。
しかしファビアンはきょとんとするなり、小首を傾げて彼を見上げた。
「どしたのセリウス。どっか痛いの?怪我でもした?」
あまりに無邪気な言い草に、騎士達がひっと小さく息を吸う。セリウスの髪からぽたり、と冷え切った雫が地面を濡らした。
「ああ...、痛いとも。貴様の存在が、酷く俺の頭を痛ませている...」
頭上で唸り始めた雷雲のような低い響きが、騎士達の背を凍らせる。
「そもそも貴様の事は最初から気に食わなかった...」
威嚇するように、一歩。
「お前は軽薄で、軟派者で、女の懐に入り込む」
獲物を狙う狼のように、確実に。
「多少の恩があったとはいえ、何故俺はここに貴様を迎え入れてしまったのだろうな...?」
ファビアンに静かに歩み寄る威圧感が、空気をぴりぴり震わせる。もはや氷点下まで凍りつくような室内に、騎士達は祈るように目を瞑った。
...可哀想に。新人騎士は悪くない。
全く悪くないのだが、相手と間があまりにも悪すぎた。こんなことになるなら、赤狼が奥方であると早めに教えてやればよかった。
セリウスがファビアンの目の前に立つ。
ズ...、と見下ろす彼の姿にファビアンは「?」と目を丸くした。
終わった。彼の人生がここで終わる。
都も家も追われた彼がここで消えたとて、おそらく話題にもなりはしない。
あまりにもここで消すには都合がいい。
そしてこの、妻に尋常ならぬ執着を向けているだろう辺境の主人は、必要とあらばそれをやる。
さようならファビアン・ラングロワ。
短い期間ではあったが、きっとお前のことを忘れはしない——————
騎士達が心の中で敬礼をしかけた瞬間。
ファビアンはからっと満面の笑みをセリウスに向けた。
「なぜってそりゃ、奥方様が君の飼い主になっちゃったからでしょ?“泊めてあげたら?”の一言で“ワン”だもの!君ってば好き好き♡オーラが僕の前ですらだだもれだったよ〜?」
「んなっ」
セリウスがぴたりと動きを止め、目を見開く。
ファビアンは楽しげににんまりと笑みを向けた。
「今朝だって不機嫌だったのもどうせ直前までイチャイチャしてたんでしょ?気づいてなかったみたいだけど赤毛が一本肩にくっついてたよ?あんなに前は色好きな姫君を毛嫌いしてたくせに、君も結局はスケベなんだからさあ〜」
「な、いや、ちが」
じわじわと顔を赤らめ、言葉に詰まって後退りするセリウス。ファビアンはますます笑顔を浮かべて彼の顔を下から覗き込んだ。
「ねえねえ奥さんのどこにグッと来ちゃうの?僕くわしく教えて欲しいなあ〜?あのセクシーな唇?それとも情熱的な赤い髪?気の強そうなエメラルドの吊り目?声も少し低めで色っぽいよねえ?え?なに?全部ぅ?やだ〜!君ったらメロメロじゃないか〜!!」
「ぐっ...、やめろ、やかましい、もうやめろ」
ファビアンのからかいが的確に彼を打ち抜く。セリウスは慌てて背を向けると、ばさっと身拭いを頭に被り髪を拭くように誤魔化した。が、その顔は誰が見てもわかるほど真っ赤に染まっている。
先ほどまでの威圧感が嘘のように、すっかり奪われた会話の主導権。その上、セリウスは紅潮しきってもはや逃げ腰を隠せない。
「やぁだ照れちゃってかわい〜!普段なんて言って奥さん口説いてるの〜?堅物の口説きってどんな感じ?親友の僕に教えて教えて〜?」
「やかましい!さっさと湯を浴びて来い!!」
騎士達はいまだかつてない主人の挙動に、必死に笑いを噛み殺す。
結局、夕食時までファビアンのからかいは続き、赤く染まってひたすら咳払いで誤魔化す彼にステラは首を傾げる。
「旦那様ったら、風邪でも召されたのかしら」
「うーん、そうかもしれませんねえ。これは特に重篤な風邪だ。なかなか治りそうにないもの。ねえセリウス?」
「...そろそろ黙らんと斬るぞ」
肘で小突かれてなお赤くなるセリウスに、ファビアンは肩を震わせるのだった。
————
それからというもの。
ファビアンはたった一週間で、瞬く間に辺境へと馴染んで行った。
聖騎士時代とは打って変わって真面目に鍛錬に励み、討伐でも地道に戦果を上げている。快活で明るい姿勢は屈強な騎士達にも受け入れられ、隊内で評価も上がる一方だ。
ジェンキンスの視線もすっかり柔らかくなり、家令達に甲斐甲斐しく世話を焼かれている。
そんな彼は日々セリウスを奥方の話題でからかうことを日課とし、赤狼とも相変わらず仲がいい。
今日も討伐後に手合わせを終えた赤狼とファビアンは、積もった雪の上にばふっと座り込む。セリウスの指示で騎士たちが魔物の死骸を積み込み撤収作業に追われる中、すっかり息を上がらせて笑い合っていた。
「はあ、やはりお前との手合わせは楽しいな!予想もできん動きをする」
「君もその剣技、ほんと面白いよねえ。おかげで本気で戦って汗かいて...。僕、ここに来てよかったなあ」
言い終わったファビアンが息をついて、はらはらと降る雪を見上げる。赤狼も息を整えつつ手甲に薄く積もっていく雪を見やると、隣の彼にゆっくりと視線を移した。
「...なあ、お前は帰りたいと思わないのか?一方的に家を追い出されたとはいえ、俺と違って縋れば可能性はあるだろう」
ファビアンはその言葉を聞くと目を丸くする。そしてあはは、と白い息を吐いて笑った。
「帰りたいだなんて思えないよ。だって、追い出されるべきだったんだから。それだけの事を僕はしてきたんだもの」
「それだけの事?」
赤狼が首を傾げる。
少し離れた背後で騎士達が歩き回る雪の音がざくざくと響き、この後の飲み屋はどこに行く、なんて聞き慣れた会話が交わされている。
ファビアンは赤狼を見ずに、ゆっくりと落ちる雪を眺めた。
「僕はねえ、色々間違え過ぎたんだ」
ぽつり、と彼は静かに笑う。
「僕は元々、伯爵家の三男でね」
だが話し始めた声色はすぐに軽い笑いを含んで、軽やかに戻った。
「見た目に恵まれて、勉強もそこそこ。親にもそこそこに愛されて、兄弟にも可愛がられて育ったよ。だって僕はどこかへの婿入り要員として、期待も落胆もされない立場だったから」
ファビアンは手袋の上に落ちた雪をつまんで、軽くすり潰す。
「だからさ。騎士団入りなんかして、ちょっとは特別なとこを見せたかったんだ。これでも結構頑張ったよ。戦果も上げたし、剣技大会で賞を取ったりもした」
指の上で潰された雪の結晶は、さらりと粉となって散る。
「だけど、親はあんまり喜ばなかったな。大袈裟な褒め言葉の裏に、そこまでしなくたっていいんだよって生ぬるい優しさがいつも透けてた。そういうのってわかっちゃうんだ、僕はいつも」
あはは、とまた笑った彼に、赤狼は兜の内で目を細める。笑顔の内の小さな痛みが、軽薄なファビアンには珍しく、本心のように見えた。
彼は視線を感じ取ったのか、にこりと微笑む。
「そんな折に、“どうせまた喜ばれないだろうなあ”って思いながら参加した大会で、ご覧になっていた聖女様の目に留まってね。僕は聖騎士に任命されることになった」
ファビアンはぱっと明るい笑顔を向けて振り向く。
「その時の親の喜びようったらないよ!心の底から喜んでたんだ。だって聖騎士は下手な官僚よりも待遇がいい。どんな噂があろうと、階級としては確実にエリート。姫君が僕の血をご懐妊なされば、いずれ政治に直接口出しすら出来る可能性もある!そりゃ最高だよね!」
両手を広げて誇らしげに話す彼は満面の笑顔だというのに、どこか空っぽだ。赤狼が言葉を返さずじっと見つめると、彼は両手を下ろして微笑んだ。
「...僕は嬉しかったよ。親からそんなに喜ばれることなんてなかったから。期待されるのが嬉しかったんだ。今まで剣で認められようとしてたのが馬鹿みたいだった」
吐き出すように笑ったファビアンは、小さく息を吸ってつぶやく。
「お手つきになった日。耳障りな嬌声を聞きながら、シーツの皺が寄ってくのを見てたらなんだか笑えてきちゃってさ。“ああ、これで親は喜んでる。僕に求められたのはこれなんだ”って、ようやく思い知ったんだ」
「だから僕は、全力で“聖騎士”をした」




