12.軽薄な入れ子人形
「おっ、やっと来た来た!お先に頂いてまーす!」
セリウスが食堂の扉を開けると、そこには既にファビアンが席についていた。食卓の上には朝食が並べられ、家令によって茶を注がれる姿はすっかり屋敷の住人のように馴染み切っている。
「主人より先に手をつけるとは。いい身分だなファビアン」
腰に手を当てたセリウスに見下ろされても、ファビアンは臆する様子ひとつ見せない。
「いやー、昨日の晩から何も食べてないからお腹すいちゃってさ!待てないって駄々捏ねたら先に食べていいってこのラウール君が言ってくれたから...ていうかあれ?奥さんは?一緒に朝ごはん食べないの?」
すっかり使用人の名前まで気安く呼ぶファビアンは、今気づいたようにきょろきょろとセリウスの背後を見回した。
「妻は部屋で摂るそうだ。俺とて朝からお前と向き合って飯を食うのは遺憾なのだがな」
朝食後には魔物討伐の予定があるので、ステラは鎧を纏う必要があるのだ。ファビアンを誤魔化すためだけに一々ドレスに着替えてなどいられない。
普段ならば彼女の可愛らしい悪態を楽しみつつ食事ができたというのに、こいつのせいで。
はあ、とため息をついて椅子にかけたセリウスに、ファビアンはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「なーんだ。あれだけ愛がどうとか叫んでたから、てっきり目の前で“あーん”くらいは見れるのかと思ったのに。だって僕を泊めたくないくせに、奥さんの言うコトなら聞いちゃうくらいにはベタ惚れなんでしょ〜?」
「やかましい、黙って食え」
図星のセリウスはあえてぴしゃりと言い捨てるが、ファビアンはにまにまと微笑んだ。
「照れなくたっていーのに〜。君が姫殿下にあれこれ言ってた惚気話、8割は本気だったくせに〜。ていうか今思ったけどこのパンなに?真っ黒だし酸っぱいし硬いし口の中の水分全部奪うんだけど君んとこのパンは全部こうなの?」
「ラウール、奴の皿を下げろ」
「わあーっごめんごめん!!あー、このパン!この酸味と妙な苦味とパサパサ感がすっごくいいね!あと口に残るライ麦?このザラザラがしょっぱすぎるチーズとハムにもよく合ってる!ねえラウール君、僕この朝ごはんだーいすき〜〜〜!」
慌てて皿を抱えてラウールに笑顔を向けるファビアンに、セリウスはやれやれと肩をすくめた。
この軽薄な男ファビアン・ラングロワは、セリウスが聖騎士の任を受ける前より姫殿下のお抱えであった“三番目の聖騎士”である。
六人居た聖騎士達の中で、もっともうるさく、もっとも明るく、もっとも中身の読めない男。
かつては新たに七人目となり心を閉ざし切ったセリウスにすらにこやかに話しかけ、邪険にされても隣で喋り続けるような男だった。
その整い切った見目の良さは、姫殿下自ら“一番のお気に入り”と称するほど。
彼は常に浮かべた甘い笑顔で、言葉巧みに姫を褒めては機嫌を上手く取り持っていた。どんな時でも笑顔を崩さず、姫殿下の望むままに甘やかし、己の身で慰めることすら何の感慨も持たない男。
聖騎士達の中ですら、“姫殿下のお人形”などと揶揄されていた男である。
そんな彼の姿は、聖騎士という役割を心底憎むセリウスにとって、“騎士の風上にも置けない軟派者”として見下げた存在だったのだが。
「それにしたって君達はよくやったよねえ。まあ当時の僕としては姫殿下のイライラをぶつけられてて大変だったけどさあ。今やこうしてあの怠いお役目から解放されてるんだから、君には感謝してるんだよ」
薄く焼かれた黒パンに大皿からチーズやハムを乗せながら言った彼は、はむりとそれをかじって続ける。
「ま、ふぉれで僕は価値がなくなって家から追い出されちゃったわけだけど!いちばん“聖騎士らしく”頑張ってたおかげで、すっかりどこでも笑いものさあ」
もぐもぐと咀嚼しながら言葉を零すファビアンに、セリウスは言葉を返せず黙り込んでしまう。
しかしファビアンは彼の表情を見るなり、あはは!と笑い声を上げた。
「なに、申し訳ないなんて思ってるのかい?顔に似合わず優しい男だねえ君は!ま、その優しさのおかげで僕は田舎の素朴な朝食にありつけた訳だし、このやたら渋いお茶もパンを流し込むには悪くないし!あと剣についてはまだ自信あるから、安心して魔物退治を任せてくれていいからさ〜!」
へらへらと笑って紅茶を喉に送り込んだ彼はやはり、急な訪問とは思えぬ厚かましさ。思わず同情しかけた気持ちを後悔しつつ、セリウスもティーカップを傾けた。
————
その頃。
ステラは鎧の為の肌着にすっかり着替えて、寝室の窓際のソファで固い黒パンに歯を立てていた。
「奥方様はやはり、お優しいお方なのですなあ」
ジェンキンスが微笑みを浮かべながら静かに紅茶を注ぐ。
ざくり、と音を立ててパンの端を口に含んだステラは、もぐもぐと咀嚼しながら彼に向かって首を傾げた。
ジェンキンスはつい、と傾けていたポットを持ち上げて鈍色の目を細める。
「元聖騎士とはいえ、ファビアン様は王都でもラングロワ家でも立場を失ったご様子...。そして旦那様がおっしゃるには、姫殿下の元で楽をして生きてきたようなお方とのこと。殿下をお守りする戦においても必要以上に働かず、日々の鍛錬すら遊びのようにしかしなかったとか」
「それでは騎士などと名ばかりの男でしょう」
家令の役目を任されているとはいえ、ジェンキンスはこう見えて腕の立つ騎士である。
辺境伯邸は屋敷という名で呼ばれるものの、実際は国境防衛の為の砦を兼ねている。この屋敷においては、主人の最も近くで世話をする人間が剣を握れぬなどとあっては話にならない。
剣と教養を身につけ、家令、騎士、側近としてヴェルドマン家へ仕える誉れ高き“家令騎士”。
つまりジェンキンスは、騎士達の中より叩き上げでこの役割を得た指折りの実力者なのである。
そんな彼のファビアンへの視線は、当たり前に厳しく冷めたものだ。
「魔物は多く、隣国と地続きのこの地です。努力を知らぬ人間を引き取るのは利が無いも同然。奥方様はそれをご存知で居場所をお与えになったのですから、まことにお優しいことです」
にこ、と目尻の皺を深めるジェンキンスに、ステラはしばらくもぐもぐと口を動かす。
そして注がれたばかりの紅茶のカップをぐいと煽ると、冗談でも聞いたかのようにふっと吹き出した。
「お前ったら割と近くで見ているくせに、そんな風にあたしを思ってくれてるのか。“聖女”じゃないんだから、優しさなんかでいらない人間を置いたりしないさ」
「では何故にあんな事を?」
ジェンキンスが目を丸くすると、ステラはにまりと彼を見上げる。
「あいつは面白い。あの笑顔の底で、腹の底にいくつも思惑を抱え込んでいる。表面が厚く嘘ばかりで塗り固められて、己のことすら見えないらしい」
「ほう...?」
ジェンキンスが口髭に指を当てる。
ステラは紅茶をまた一口喉に送ると、心底嬉しそうに唇の端を上げた。
「ああいう奴は、厄介だが実に楽しい。人形の中に人形がいくつも入ったおもちゃがあるだろう。あれと同じだ」
「あたしはそういう奴の中身を暴いてやるのが昔っから大好きでね。この退屈な辺境でどう化けるかはわからんが、暇つぶしにはもってこいだろう?」
楽しげにエメラルドの瞳を細め、昇り立つ紅茶の湯気を眺める彼女はまるで支配者のような余裕と愉悦に満ちている。
「あともう一つ言えば、あいつはセリウスを存分に困らせてくれそうだったからな。...ふふ、これから楽しくなるぞ」
ステラはご機嫌ににっこりと微笑むと、カップを傾けて飲み干してしまう。
ジェンキンスはそんな彼女を見つめて(よくわからないが、旦那様が苦労をするのは間違いない)と主人の近い未来に想いを馳せた。




