第六話 家
「ただいま」
絵里香は玄関で靴を脱ぐと、薄暗いリビングを横切って、そのまま二階にある自室に向かった。
いつもなら制服にシワが付くのが嫌なため、すぐ部屋着に着替える絵里香だったが、今日はそんな気にもなれず、そのままベッドに倒れこんだ。
しばらく枕に顔を埋めてから、ごろりと仰向けになる。
「激動の一日だった」
ライトがぼんやりと光る天井に向かって呟くと、枕元にある本棚に手を伸ばした。
手前にある本をどかして、奥の方にあった一冊の本をつかんで取り出す。
取り出したのは、絵里香が小さい頃に読んでいた一冊の小説だった。
だいぶ使い込まれたブックカバーを外すと、本の表紙が露わになる。
表紙には、「魔法使いの旅」というタイトルと丘の上で街を見下ろす金髪の魔法使いのイラストが描かれていた。
(この本、いつ買ったんだっけ)
軽く目を閉じて、過去の記憶をさかのぼる。小さい頃に、本屋で表紙に一目惚れをしてお年玉を使って買った覚えがある。
(確か、小学校四年生のときだったから……、かれこれ六年ぐらいこの本を読んでいるのか)
ブックカバーを元の通りに付け直すと、そっと胸にあてた。
「魔法使い、本当にいたんだ……。空想じゃなかったんだ……」
気づけば、絵里香はそのまま深い眠りにつていた。
*****
次の日。
絵里香は、スマホの目覚ましの音で目覚めた。
「うーん」
大きく伸びをすると、カーテンを開けた。
窓から、日光が差し込み、部屋全体が明るくなる。
ふと体に違和感を覚えて、視線を下ろすと、シワのついた制服が目に入った。
(や、やってしまった……)
絵里香の顔がさぁと青くなる。
慌ててスマホを見ると、翌日の十時になっていた。帰ってきたのが大体二十時過ぎだったから、12時間以上寝たことになる。
(昨日あのまま、全てをすっぽかして寝ちゃったんだ)
跳ね起きた絵里香は、急いで普段着に着替えて、制服をハンガーにかける。
取りあえず必死にシワを伸ばしてみたが、所々跡がついてしまっていた。
「後でアイロンかけるかぁ」
一旦シワを伸ばすのを諦め、絵里香は一階に降りて、洗面所に入る。
洗面台の前に立つと、絵里香は、自分が不安げな表情をしていることに気が付いた。
それを引き金に、昨日の記憶がフラッシュバックする。
突然現れたフードの人、それから助けてくれたオーカー。
(昨日は勢いでまた会うって言っちゃったけど、本当に警戒心なさ過ぎたなぁ)
改めて考えると、彼も不審者だったらどうしよう、実は向こうも捕まえようとしているのではないか、と今更ながら不安な気持ちがいくらでも溢れてくる。
どんどんネガティブ思考になってくる頭の中で、ふとあの本が頭に浮かんだ。
ずっとずっと憧れていた主人公の女の子。彼女はオーカーと同じ魔法使いだった。
彼女は、自然と魔法に溢れた世界を旅してまわり、困った人たちを得意の魔法で助けていた。
絵里香は、美しく、幻想的な物語を読んでは想像を膨らませていたのであった。
あんなに好きな本だったのに、気づけば読まなくなり、そんな憧れも消えてしまっていた。
しかし、昨日自分の目で確かに魔法とやらを見て、好奇心や憧れが再熱したように思えた。
(いまだに信じられないけど、あの人は魔法使いだったんだ。今を逃したら一生後悔するかもしれない)
この運命的な出会いはもう一生ないだろう。絵里香はそんな気がした。
掌で頬を勢いよく叩くと、大声で言い放つ。
「何かあったら、その時に考えよう!」
そのままシャワーを浴びると、髪を乾かす。
そして、リビングに行くと、電気は点いておらず、静かだった。
絵里香は、キッチンに向かうと、何かを食べる気にもなれず、とりあえず食パンをトースターに入れた。
トースターの中が段々とオレンジ色に染まり、次第にその熱が絵里香に伝わってくる。
パンを焼く間に冷たい水を喉に流し込む。火照った体が冷たくなっていくのを感じた。
やがて、パンが焼けたことを知らせる、間抜けな音が辺りに響いた。
トースターから食パンを取り出し、皿に乗せると、ダイニングチェアに座る。
何か味をつける気にもならず、絵里香はそのままの食パンにかぶりつく。
無心で食べていると、いつの間にか手からパンが消えていた。
軽く手を払ってパンくずを落とすと、立ち上がろうと机に手をかけ、少し悩んでからやめた。
ポケットからスマホを取り出すと、検索アプリを開く。検索エンジンに言葉を入れ、ヒットしたサイトを確認する。
それから、改めて席を立った。
歯磨きを済ませ、服を着替える。
「いってきます」
そして、身支度を済ませた絵里香は、玄関から出ると、通学路とは反対の方向に向かって歩き出した。




