第三話 不審者と救世主
青年は、トンッと軽い音を立て、絵里香を庇うような形で着地すると、右腕を軽く払う。
すると、先程までめらめらと燃えていた炎が一瞬にして消え去った。
突如現れた彼が味方かどうか、絵里香にはさっぱりわからない。為す術がない絵里香は、ただただ彼が救世主であることを祈ることしか出来なかった。
「はぁい、いらっしゃーい。よーこそー」
フードの人がひらひらと手を振ると、青年が人影をキッと睨みつける。
「おい、一体何のつもりだ」
「お前さんには関係ないねぇ」
「少女を連れ去ろうとするのを見過ごせるか」
「連れ去ろうなんて人聞きの悪い話だねぇ。それにその態度じゃあ、わかっているんでしょ?」
「…………」
「ね、しょうがないでしょー?」
「うるさい。つべこべ言わず去れ。さもないと」
話している青年の口調がエスカレートしていく。それに対して、フードの人は変わらぬ気の抜けた口調で、青年の話を遮った。
「はいはーい、わかりましたぁ。ここで騒ぎを起こす気はさらさら無いからねぇ。今日のところは、ここで退散するよー」
フードの人が、両手を上げ、降参のポーズをとると、やれやれと首を振った。
そして、青年から絵里香のほうへ顔を動かす。その動きで、フードが少しずれ、口元が少し露わになる。
「また会いに来るよー、お嬢ちゃん」
口元を意味ありげに吊り上げてそう言い残すと、フードの人は忽然と姿を消した。
人影が消えたのと同時に、絵里香の体の硬直が解け、そのまま重力に引かれて、ストンと地面に座り込んでしまった。
俯いて、自分の体を抱きしめると、ドクドクとうるさいぐらいに心音を感じる。
あまりにも一瞬の出来事で、絵里香の脳はまだ混乱していた。
恐怖から解放された安心感で、張り詰めていた気が緩み、絵里香の目から涙が溢れていく。
必死にこらえようとしても、一筋、二筋と目から零れ落ちていき、あっという間に大粒の雫となって、地面に模様を作っていった。
絵里香が濡れた目元をコートの袖で拭おうとすると、突然絵里香の視界を赤い何かが塞ぐ。
驚いて顔を上げると、そこには、片膝をついた青年がいた。
青年は、第一ボタンを開けて袖まくりをして着崩した灰色のワイシャツ、黒いベスト、それから揃いの黒のスラックスと随分とかしこまった服を着ている。そのまま目線を上げると、絵里香の顔を覗き込む青年と目が合った。
「これ」
「……!」
青年は、まるで絵の中から現れたかのような、浮世離れした顔立ちをしていた。
綺麗な輪郭、すっと通った鼻筋、シュッとした眉。
まるで、顔のパーツというパーツがあるべき場所にきちんとあるかのような顔立ちをしていた。
青年の赤みがかかった茶髪が、夜風になびいて、サラサラと揺れる。
特に絵里香の目を惹くのは、その瞳だった。
右眼は深紫、そして左眼は先ほど見た炎をそのまま閉じ込めたような深紅の美しいオッドアイが、絵里香の顔を映している。
今まで見たことがない、まるで宝石のような瞳に、絵里香は釘付けになった。
「…………」
「おい」
「…………」
「おい」
何度目かの呼びかけで、やっと青年が赤いハンカチを差し出していたことに気が付いた。
「えっと」
「目、これで拭いて」
自分のハンカチ持っているからな、と差し出されたハンカチを受け取ることに躊躇していると、痺れを切らしたのか、青年が腕を伸ばし、絵里香の目元に赤いハンカチを当てる。冷たく、滑らかな手触りのハンカチが、絵里香の肌に触れた。青年は、顔を絵里香に近づけて、優しく目元を拭くと、そのままハンカチを折りたたんでポケットにしまった。
慣れているのか、何ともなさ気な青年とは対象に、絵里香の心臓はバクバクと落ち着きがない。
相手が知らない人だからか、先程あんなことがあったからか、それともこんな美青年に会ったことがないからかは定かではなかったが、緊張感で心拍数はしばらく下がることはなさそうだった。




