第二話 路地
曲がった先の路地は、元々の人気の無さに加え、すっかり暗くなった周囲も相まって、どこか薄気味悪い雰囲気が漂っていた。
一軒家が所狭しと連なる広くとも狭くともいえない路地に、少し古びた街灯と電柱が点々と並んでいる。
そんな月明りの無い道を、街灯が頼りないぼんやりとした光で照らしていた。
「あれ、いつもこんなに街灯、暗かったっけ」
普段、何気なく通っていた道に、何がかわからないが、少し違和感を覚える。
「こんな不気味な感じ、じゃなかったよね……」
どんどんと迫ってくる恐怖心を誤魔化すように、口がよく回る。
「気のせい、気のせい。ただ日が落ちるのが早くなっただけだって」
そう言いつつも、ビューッと吹いた風にビクッと反応してしまう。
(やっぱり怖いぃぃぃぃぃ)
早く帰ってしまおうと、思わず早足になりかけた絵里香の肩を、いきなり後ろから誰かにつかまれた。
「え?」
耳元に人の息遣いを感じる。その瞬間、ぞわっと悪寒が背筋を走った。
そして、
「みぃつけた」
「——!?」
突然の出来事に、絵里香はヒュッと息が止まる。
それと同時に、恐怖のあまりに腕の力が抜け、絵里香の肩からスクールバッグが滑る。
——ボスンッ!
大きな音を立ててバッグが地面に落ちる。しかし、それを気にしている余裕は絵里香にはなかった。
殺される。一番によぎったのは、考えたくもないような恐ろしい事だった。それぐらいの圧を後ろから感じる。
とりあえず、ここから逃げなくてはならない。上手く回らない頭でそう考えると、恐怖で竦んだ体を無理やり動かし、走り出そうと一歩足を踏み込んだ。
その瞬間。
後ろにいる誰かが、パチンと指を鳴らした。
辺りに乾いた音が響き渡ると同時に、絵里香の動きがピタリと止まる。
「ごめんねぇ、ここから動かれるのは困るんだー」
後ろから聞こえた、この場に不似合いな、緊張感のない声に絵里香は唖然とする。男とも女ともとれない間延びした声は、不審者のものとは思えず、逆に絵里香の恐怖心を搔き立てた。
声の持ち主は、コツコツと足音を立てながら横を通り過ぎ、絵里香の視界に映り込んだ。丁度、街灯の間に立っているせいで、暗闇で良く姿をとらえることができない。
「ふーん」
人影が首を微かに左に傾けると、絵里香をジッと見つめる。
暗くて何も見えないはずなのに、確かに絵里香は、体を突き刺すような冷ややかな視線を感じた。先程の声色とは違う鋭い視線に、ゾクっと鳥肌が立つ。
「な、なにこれ!」
「ちょっと君の体が動かせないように魔法をかけたんだぁ。大丈夫、後で解いてあげるから」
生まれて十六年経っていれば、流石に現実と妄想の区別はつく。
だから、魔法だなんて言葉は、絵里香は信じなかった。信じられなかった。
フィクションの中の話で、現実ではありえないはずなのに、現に絵里香の体は動かすことができない。
どんなに歯を食いしばろうとも、体は凍り付いたようにピクリともしない。
ただでさえ、不審者に捕まるだけで混乱している脳が、現実離れした言葉にさらに混乱する。
抵抗する手段がない絵里香は、必死に声を荒げた。
「誰かっ、助けてっ!」
「残念だけどぉ、誰も助けに来られないよ」
それを聞いて、絵里香は可能な限り、辺りを見渡す。
そこで、辺りの家の電気が一軒も点いていないことに気が付いた。
(この時間に何処にも人が居ないなんておかしい。一体どうなっているの!?)
「何がどうなっているかわからないけど、帰してっ!」
絵里香が大声を上げても、人影は焦る様子もなく、ただじっと絵里香を離れて見つめる。
いくら叫んでも状況が変わらないことを理解した絵里香は、大きく息を吐く。
せりあがってくる緊張感と焦りと恐怖を飲み込んで、相手を激昂させないようなるべく冷静になるように努めながら問う。
「……ねぇ。あなたは何者?何をしに来たの」
「随分と肝の据わったお嬢さんだねぇ。こんな時でも冷静さを失わないとは。こんな形で会いに来ちゃったことは謝るけどー、何せ時間がないんだぁ。ね、ちょっとお話し……」
人影は、急に黙ると、地面を強く蹴り、後ろへと飛び跳ねる。
その瞬間、先程まで人影がいた場所が一気にゴウッと空高く燃え上がった。
真っ赤に燃え盛る炎の光のおかげで、やっと絵里香は人影をはっきりと捉えることができた。
オーバーサイズのパーカーにズボン、それからスニーカー。特筆すべき特徴はない格好だったが、肝心の顔が、猫耳が付いたフードによって隠されていた。
「お、想像より早かったじゃーん」
驚きを越えて、呆気にとられている絵里香をよそに、人影は初めから来ることが分かっていたかのように空を見上げた。
その瞬間、絵里香の目の前に、空から一人の青年が文字通り舞い降りてきた。




