予期
「なんだよ、これ……」
「父さんの、遺書だ」
僕がそう言うと、ノリはふんと鼻を鳴らした。
「今更そんなものがなんになる。内容は俺もお前も知ってるだろうが」
「違う……僕たちが聞いていたことが、すべてじゃないんだ。あの遺書にはまだ……書かれていることがあった」
「……なんだって?」
「とりあえず読んでみてほしいんだ……僕を殺すのは、それからでも構わないだろ?」
「……ちっ」
ノリは僕から封筒を取り上げると、乱雑に中身を引っ張りだし読み始めた。次第に、ノリの表情が曇っていく。
その瞬間だった。アパートのドアをドンドンと誰かが拳で叩いた。僕はすぐにその正体に思い当たった。
「城戸さん! 大丈夫ですか! 警察を呼びますか!?」
伊東さんだ。椅子が倒れる音を聞いて、駆けつけてきてくれたのだろう。かなり大きな音だったし、あまり防音性に優れていそうにはないこのアパートなら、外まで聞こえていてもおかしくない。他には、鳥の囀りや葉の擦れる音、遠くの車の微かなエンジン音くらいしか聞こえなかっただろうし。
「ちっ」
ノリは本日何度目かの舌打ちをすると、封筒をポケットに突っ込んで僕から離れた。それから、窓に向かっていく。窓から逃げるつもりらしい。ここは二階だが、大して高くはない。捻挫くらいはするかもしれないが、骨を折るほどではないだろう。十分に逃げられる。
逃がしてはいけない、と思った。でも、体が動かなかった。今になって、床に打ち付けられた痛みが襲ってくる。思ったより強く打っていたらしい。受け身も取らなかったからな。骨は大丈夫だろうが。
ただ、少しして、わざわざ引き止める必要もないことに気づいた。
僕はノリの背中に声をかけた。
「なあ、ノリ……。わざとだったんじゃないのか?」
返事はない。
「わざと、大きな音を立てたんじゃないのか? 伊東さんが外にいることは、分かっていたはずだろ……。なあ、ノリ、お前は……止めて欲しかったんじゃないのか。僕を殺すつもりなんて、初めから――」
僕の視界から、ノリが消えた。飛び降りたのだ。下は茂みだったらしく、着地音は大してしなかった。少し遅れて、走り去る靴の音。そういえば僕もノリも靴を履いたままだった。このことを想定していたのだろうか。それは考え過ぎか。
僕はふらつく足取りで立ち上がり、玄関に行き鍵を開けた。伊東さんは僕を見て、ホッとしたように息を吐いた。
「良かった、無事でしたか。……今、ノリさんが窓から飛び降りて出て行きました」
「ええ、そのようです」
「追いますか? 今ならまだ間に合うかも……」
僕はかぶりを振った。その必要はない。
「ノリがどこへ行くかは、分かっています」
伊東さんが怪訝そうな顔をする。




