命の選別
俺が勤める病院に運び込まれてきたとき、その少女は既にもう虫の息だった。後頭部を強く打ったらしく、意識はない。
幼い少女だった。傍らには泣きじゃくる少年がいる。
幼い少女が、車に轢かれて病院に緊急搬送された。運転手は助けもせず、慌てた様子で逃げ去ったという。警察は慌てて犯人の行方を追っているようだが、俺にとってはそんなことはどうでもいい。
それよりも少女の命を救わなければ。事態は一刻を争う。
「あの、お医者さん、お姉ちゃんをっ……お姉ちゃんを、助けてください! お姉ちゃんしかいないんです、ぼくには……」
隣に寄り添っていた少年が、俺にすがりついてそう言う。胸がきりきりと痛む。同時に、強い使命感に駆られた。
俺が助けなければ。
「大丈夫。俺が必ず、助けてみせる。だから君は安心して、お姉さんの帰りを待ってあげてくれ。お姉さんが帰ってきたとき、君が泣いていたら、お姉さんは心配するよ」
「うん……分かった! ぼく、泣かない!」
担架で運ばれていく少女を追う形で、俺も手術室へ入ろうとした、そのときだった。
「ちょっと、キタガミくん」
俺は心の中で舌打ちした。一番会いたくない相手だ。どうして、よりによって今、俺の前に現れやがった。
この病院の院長で、日本医師会の常任理事でもあるこいつが、俺は大嫌いだった。金で救う命を選ぶクズ。医学界にいてはならない存在だ。
「なんですか。一刻も早くオペをしないといけない患者がいるんですが」
運ばれていく担架を、男はただ黙って見送る。
「あの少女かね」
「そうですが」
「たった今、医師会会長のお孫さんが倒れて運び込まれてきた。その子の対応を優先してくれ」
よりによって、今か。俺は腸が煮えくり返る思いだった。
「……その人の病状は?」
「転倒して頭を打ったようだ」
「意識は?」
「先程戻ったと聞いている。今は安静にしているところだ」
「何歳ですか」
「高校生だが」
どう考えても、車に轢かれた少女より優先すべき事案だとは思えない。俺は苛立ちを隠しきれなくなってきた。
「だったら、後にします。あの子が先です」
「君はまだ、そんなことを言うのか。会長のお孫さんだぞ?」
「そんなことは俺にとってはどうでもいいことです。俺は一人でも多くの命を救いたいんですよ。院長も見たでしょう、さっきの女の子。明らかに重傷じゃないですか」
「会長のお孫さんに何かあったらどうする? 君は責任を取れるのか!」
「あんたなあ、いい加減にしろよ!」
気がついたときには、俺は院長の胸ぐらに掴みかかっていた。院長は驚いた様子で俺を見ている。周りの同僚たちが明らかに焦っていたが、俺はもう、周りなんて目に入らなかった。
こいつを一発ぶん殴ってやらないと、気が済まない。その腐った脳漿を床にぶちまけてやりたい。
あんな小さな子じゃなくて、お前が轢かれればよかったんだ!
いくら腹が立ったとはいえ、医者として許されない感情だと分かっていた。けれども止められなかった。
「あんたみたいなのが医学界の権威? ふざけんな! 俺は認めねえぞ!!」
「ちょ……ちょっと! 誰か! 助けてくれ!」
気づいたときには俺は、たくさんの大人たちに羽交い締めにされていた。憐れむような同僚たちの視線を、俺は一生忘れないだろう。
俺はそのまま、病院から追い出された。その後どうなったのか、詳しいことは知らない。ただひとつあとから知らされたのは、あの少女は助からなかった、ということだけだった。




