第3話 血と香りの陰謀
夜の後宮は、昼間とは別の顔を持っている。静けさに包まれた廊下の隅から、かすかな香りが立ち上る。甘く、鉄の混じった匂い――昨日の夜、雪蓮妃の寝室で嗅ぎ取った香りに似ている。璃月は小瓶を取り出し、匂いの断片を慎重に比べた。やはり、同じものだ。
「後宮内で、誰かが繰り返し動いている」
壬が低く呟く。璃月は頷き、深く息を吸った。匂いの軌跡は、妃たちの間だけでなく、皇子の寝所にも届いていた。――つまり、標的は妃だけではない。
その日の昼、璃月は医官・白蔵とともに皇子の体調を診ることになった。小さな体調の変化、汗の匂い、口内の微かな鉄味――璃月は瞬時に体質の異変を感じ取る。
「これは……毒の兆候かもしれません」
白蔵は眉をひそめたが、璃月の観察眼を否定できず、慎重に診断を進める。
夜、璃月は再び匂いを手掛かりに後宮を巡った。階段の手すり、廊下の柱、侍女の衣の端――微細な痕跡を集め、匂いの強弱と広がりから、犯人の行動パターンを推測する。
「犯人は、密かに薬を調合できる者……そして後宮に出入りする特権を持っている」
壬の声には緊張が混じる。璃月は小瓶を揺らし、琥珀色の液体から立ち上る香りを嗅いだ。柑橘と鉄味、わずかに油の匂い。これらは、雪蓮妃の寝室で採取したものと完全に一致していた。
翌朝、事件の核心が明らかになる。侍女の一人が、皇子の寝所で倒れていたのだ。口からはわずかな薬の匂い。璃月はすぐに採取した匂いを分析する。結果、前回と同じ香りの痕跡が検出される。――つまり、連続した事件の犯人は、後宮の内部に潜む誰かであり、皇子をも標的にしている。
璃月は壬と相談し、動き出す。香りの断片、布の残り香、柱の手触り――小さな証拠を繋ぎ合わせ、犯人の行動を逆算する。夜半、犯行現場を監視していると、廊下の影が動いた。
「……誰だ?」
影は俊敏で、薬の小瓶を携えていた。璃月は息を潜め、匂いの軌跡を辿る。そこには、後宮に出入りする謎の貴人の影があった。
「これが……陰謀の核心か」
壬の声が低く震える。璃月は頷き、心の中で決意を固める。後宮の平穏を守るため、匂いの断片を頼りに、真実を暴く。たとえ自分が危険に晒されても、香りは嘘をつかない――その信念が、彼女を前へ押し出す。
夜が明けるころ、璃月は小瓶を手に、再び医官・白蔵に報告した。
「これで、犯人の行動パターンはほぼ特定できます。次の動きに備えましょう」
白蔵は一瞬だけ微笑む。「君の観察力は侮れん……」
廊下の奥、遠くでかすかな足音が消える。璃月は小瓶を握りしめ、目を閉じた。琥珀色の液体から漂う匂いが、後宮の闇と血の陰謀を静かに語る。今日もまた、香りが嘘を暴き、少女の運命を導くのだ。