遠征の先に待つ、未知なるページの冒険
新学期が始まり、新しい学年にもある程度なじんできた5月中旬の日曜日の昼前。
その日、僕は花紺色の学校用の花紺色のジャージのズボンに、学ランの上着を着て、駅で立っていた。時間を見ようと腕時計を見ると、学ランの袖から、下に着ているジャージの袖口が見える。
「おまたせー。なおと、行こうか」
と、声が聞こえた。同じ読書部に所属している、稲井恭子が立っていた。恭子は臙脂色に白い二本のラインの入ったジャージのズボンに、セーラー服の上着を着ている。紺色のセーラー服の上着の胸当て部分からは、しっかりファスナーを首まで上げた、ジャージの襟元が見えた。背が高く、スレンダーな恭子が臙脂のジャージを履いていると、背の高さがより強調されて見える。肩には、スポーツバッグをかけている。細い縁の眼鏡をかけているところが、知的な感じをさせる。
「準備万端だね。いよいよ、読書部初の遠征に出発だね」
恭子を見ながら僕は言った。
「もちろんよ。だって、わたしたち読書部の運命がかかっている遠征なんだものね」
「さあ、行こうか。遅れて不戦勝にはなりたくないからね」
僕と恭子は、駅の改札口に向かっていった。
僕と稲井恭子は、たった二人だけ人の読書部の部員だ。僕は高校に入って最初のうちはバスケ部に入っていたが、一・二歳、年齢が違うだけで威張っている先輩や、勝つことだけしか考えていない、運動部の雰囲気がなじめず、3か月でやめたのだ。ただ、僕の学校は、必ず部活動に入っていないといけないという、暗黙のルールがあって、適当なところはないかと探していて見つけたのが、部員がいなくて休部状態になっていた読書部だったのだ。
もともと本を読むのは嫌いではないし、煩わしい学校の連中に顔を合わせずに済むと思って、早速入部届けを出したところ、ちょうど、もう一人、入部した人がいると、顧問の先生から聞いた。それが、稲井恭子だった。恭子は幼いころから水泳を続けていたが、怪我で続けられなくなり、それで読書部に入ったという。
「激しい運動でなければ、構わないんだけど、部活動だと、無理しちゃうしね。それに、わたし、ずっと水泳ばかりだったから、もう少し、ゆっくりしたいな、と思ってね」
人の少ない図書室で、お互い、好きな本を読むだけの部活だったが、僕にとっては快適な空間だった。
そんな生活が危うくなったことを知らされたのが、始業式の次の日の放課後のことである。僕と恭子は、読書部の顧問である戸倉先生に呼ばれた。戸倉先生は、定年間近の国語の女性の先生。おっとりとした性格の方だ。
「実は、困ったことになってね。春休み中の部活動会議で、読書部を廃止すべきだ、という話が出たのよ…」
今年度から、大会などの戦績で学校に貢献していない部活動は、見直そうとなったのだ。
――運動部は勝利を目指して毎日、朝早く出て放課後も夜遅くまで練習しているのに、その一方で部室を占領し部費をもらっている部があるのは不自然だ――とまで言う教師もいたそうだ。
誰がそんなことを言ったかは、戸倉先生は伏せていたが、僕にはだいたい見当がついた。野球部の監督をしている溝淵だ。いつも偉そうにしている男だ。でも、そういう野球部だって、甲子園に出たことはないし、自身の担当教科である社会の授業は、プリントを配るだけのいい加減なものだ。
でも、温厚な戸倉先生は、何も言い返せず我慢したのだろう。別に、競技に出るだけが部活動だけじゃないだろうが、休部寸前の部活動が、僕と恭子の二人のせいで残っていることも、彼らには面白くないのだろう。
「読書部は、運動部のような戦績もないし、練習というのもないからねえ」
ため息をついて言う戸倉先生に、恭子が言った。
「それだったら、読書部だって、運動部と変わらない、と示せればいいのじゃないかしら」
「でも、そんなこと、どうやってするんだい?」
僕が尋ねた。
「運動能力テストよ」
「どういうこと?」
「5月の第3日曜に、浮田市の運動公園で、県内の高校合同の運動能力テストの大会が開かれるよ。参加した学校全体の順位も出るし、多数の運動部が参加するそうだから、そこで、ある程度の好成績を出して見せてやればいいのよ」
「でも、僕たち、運動部じゃないし…」僕は不安を口にした。恭子は微笑みながら続けた。「だからこそ、挑戦する意味があるんじゃない?私たちがやれば、他の部活にも影響を与えるかもしれないし。」
戸倉先生も頷く。
「そうね、稲井さんの言う通りかもしれない。どんな結果でも、挑戦することが大事よ。」
「じゃあ、まずは練習から始めよう!」
恭子が元気よく提案した。僕はその言葉に少し戸惑いながらも、彼女の熱意に心を動かされた。
「本当にできるかな?」と心配を口にすると、恭子は自信満々に笑った。
「もちろん!私たち二人なら、きっとやり遂げられるよ。」その言葉が、僕の中で小さな火を灯した。
「よし。それじゃあ、今日から特訓だね」
ということで、読書部の二人は最初の「試合」に出ることになったのだ。
試合の前日、僕と恭子は、準備について相談した。
「ところで、何を着ていこうか。運動部だったらユニフォームがあるところだけど、僕たちも『部活動』として出るのだから、統一したいね」
「学校用のジャージってところなんでしょうけど、文化部がジャージというのも、なんか変よね」
「ジャージの上に制服を着ていこうか。文化部らしいしね」
「いいわね。それでいきましょう」
「じゃあ、明日は早めに集合ね!」
恭子が明るく言った。僕は頷きながら心の中で緊張感が高まるのを感じていた。
「本当に勝てるのかな?」と不安がよぎるが、恭子の自信に少しだけ勇気づけられた。
「私たちがやれば、必ず何かが変わるはずだよ」と彼女は微笑んだ。その言葉が、僕の胸に希望の光を灯した。
列車の中で恭子は聞いた。
「尚人は、準備はどうなの?」
列車の中で恭子が聞いてきた。
「ちゃんと、何もかも持ってきたよ」
「そうじゃなくて、トレーニング」
「毎日、近所のスポーツジムに通っていたよ。恭子は?」
「わたしも毎日、朝夕、五キロ走っていたわよ」
列車で30分ほど乗って浮田駅に着く。そこから運動公園まで行くバスに乗った。バスを降りると、すぐ前が、浮田市運動公園だった。
僕たちは入り口の前で受付を済ませ、中に入った。浮田市運動公園は、陸上競技用トラックに、体育館、それにプールも併設されている、総合スポーツ施設だ。全国大会に出場する運動部を多く抱えていることで有名な浮田高校も、この市だし、当然、浮田高の生徒も多く参加しているはずだ。浮田高の運動部と張り合ったと言えば、頭が筋肉の連中も、というか頭が筋肉だからこそ、もう文句は言えないだろう。