第四話 ひとりで歌う合唱歌 (6/7)
バンッと勢いのあるドアの音に、蛇口をひねる音が重なる。
もう歌はやめてもいいかな? なんて迷う間もなく、清音さんが両手をブンブン払って水気をまきちらしながら飛び出してきた。
ボクと目が合うと清音さんは小さく頷いて、そのまま走り出す。
ボクはポケットから出しかけたハンカチをあわてて押し込んで、その後を追いかけた。
廊下は走っちゃダメなんだけど……。
今は生徒も先生もみんな体育館にいるから、ぶつかる心配は無いかな?
ボクはドキドキしながら先を走る清音さんを見る。
清音さんはスッキリした顔をして、キラキラの効果に包まれていた。
間に合わなかったらどうしようとか、入る時に注目を浴びちゃいそうだとか、そんな心配をしてるのはボクだけみたいだ。
渡り廊下を駆け抜けた清音さんは、そのままためらう事なく体育館のドアを開けた。
清音さんに続いて、重たいカーテンの間から中に入ると、校長先生のお話が聞こえてきた。
ステージでは校長先生が一人マイクを持って話している。
いつも話の長い校長先生だけど今日ばかりは助かったな、なんて思いながら四組の列まで行くと、担任の先生がホッとした顔で列の一番後ろに立たせてくれた。
ああよかった、なんとか間に合った。
ドキドキとハラハラで弾む息を整える間もなく、校長先生のお話が終わって六年生が一組からステージに上がってゆく。
ボクと清音さんも、列の後ろから本来の場所に移動する。
冷や汗を滲ませたボクと違って、清音さんは涼しげな横顔をしていた。
何やらギラギラした効果を背負って、やる気も満々だ。
四組がステージに上がる頃には、楽器組はステージの下でほぼ準備を終えていた。階段をのぼりながらステージ下を見ると、ボクと目が合った内藤君が『いいね』のポーズでグッと親指を立てた。
うん、間に合って良かった。
清音さんがいつもの元気な清音さんに戻って良かった。
自分の立ち位置に立って、リコーダーを握り直す。
生徒席の後ろの客席はぎっしりと保護者で埋め尽くされていて、その後ろにも三脚を並べたパパさん達が壁際までいっぱい並んでいた。
この人達にも聞いてもらえるんだ。あの清音さんの素敵な歌を。
そう思うと、ボクはまたドキドキしてきた。
ボクのお母さんも来てるはずだけど、この中から探すのは難しいな。
そう思いながら会場を右左に見渡すと、感情が入り乱れている保護者席からぴょこっとびっくりマークや手を振るようなマークが出たり消えたりしていることに気づく。
その中に、僕が見た時にだけ出るマークがあった。
あ、お母さんだ。
手を振ったりはしてないのに、お母さんはボクが気付いたことに気付いたのか、ニコッと笑った。
お母さんの頭の上に鮮やかな黄色でチアのポンポンが出て、頑張ってね。という気持ちがハッキリ届く。
ちょっと恥ずかしいけど……すごく嬉しい。
ボクは思わず漫画の神様に感謝する。
指揮棒が上がる。
体育館が、しんと静まりかえる。
初めは木琴から。内藤君の正確な音に、他の楽器が一つずつ重なる。
ボクのリコーダーもパートが分かれてるから、遅れないように、つられないように……。
なんとか最初の部分を吹いて、顔を上げる。
……うわあ……。
客席では数えきれない数の感情が混ざって、大きな波みたいに揺れていた。
とりわけ六年生の保護者席は感情の盛り上がりがすごい。
そっか……。そうだよね。
これがボクたちの、この小学校で最後の音楽発表会なんだ。
一年生の頃、鍵盤ハーモニカで初めて音楽を演奏して。三年からはリコーダーも練習して……。夏休みには毎日練習カードがあって面倒だったけど、そうやって続けてきたから、今はこんな風に難しい曲だって演奏できるようになったんだよね。
ボクも最後まで精一杯頑張ろう。
そうして、今までで一番出来の良い六年生の合奏で音楽発表会は始まった。
ここからは一年、二年、三年……と学年順に合唱と演奏が交互に進む。
クラス別の合唱があるのは五年と六年だけだ。
朝から気を揉んで歌って走った疲れからか、だんだん眠くなってきた頃、ようやくボクたちの番が来た。
あくびを噛み殺しながら立ち上がって、ぞろぞろとステージの袖に並ぶ。
ギラギラしたやる気満々の効果に包まれてるのは清音さんかな。
他にも何人かやる気に満ちてるみたいだけど、ほとんどは緊張とかドキドキの効果で、ボクみたいに眠い子もチラホラいる。って、眠くなってる場合じゃないよ、ボクも気合を入れ直さないと。
後ろを振り返れば、内藤君も松本さんも川谷さんもやる気あふれる炎の効果に包まれていた。
三組が終わって『次は四組、南国のペンギンです』と放送が始まる。
その間にボクたちはステージに並ぶ。さっきと同じステージから、お客さんの顔がいっぱい見える。二回目だけどやっぱり緊張するなぁ。ドキドキして体に力が入って、手と足が一緒に出てしまいそうだ。
ボクの並ぶ前列の真ん中にいる清音さんが、さらりと揺れる髪をなびかせて一歩前に出る。
清音さんはやっぱり硬い顔をしていたけど、その瞳はとってもキラキラしている。
ボクはもう一度、今日は頑張ってよかったなと思って、そこで、肩の力がスッと抜けた。
指揮の内藤君が皆を見渡して、ピッと指揮棒を上げる。
内藤君の指揮はとっても正確で、一度も振り間違えたところを見た事がない。
背が高くてキリッとした内藤君が指揮棒を振る姿は、どこか貫禄があって、プロの指揮者みたいだ。
優しく始まったピアノの音に合わせて、ボク達は安心して歌い出した。
もうすぐ清音さんのソロパートだ。
ボクの心臓がドキドキと音を立てる。
すぅ、と清音さんが大きく息を吸う。
次の瞬間、ふわりと透明な花が開くように、清音さんから美しい歌声が広がった。
客席に、驚きと感動の効果が入り混じって、やがてウットリと聞き入るようなホワホワキラキラした効果に変わっていく。
ステージから体育館の隅まで、清音さんの歌声が皆の心の色を変える。
眠そうに俯いていた子も、カメラを弄っていたパパさんも顔を上げて、たった一人で歌う清音さんを見ていた。
皆の視線を浴びて、清音さんは堂々と胸を張って歌っていた。
清音さんは本当にすごいなぁ……。
この体育館いっぱいのキラキラを、清音さんにも見せてあげられたらいいのに。
皆、清音さんの歌にこんなに心動かされて、感動してるんだよって。
清音さんのソロパートの後は、ひとパートずつ増えていって、最後はクラスの全員で声を揃えての大合唱になる。
指揮する内藤君も、真剣な顔で歌っている。
きっと全員が一生懸命な顔をしてるんだろうな。
内藤君が大きく腕を振って、開いていた手をぎゅっと握る。
ピアノも歌も全員がピタッと止まって、体育館がシンと静まり返った。
ボクたちは、キラキラに染まった客席に礼をして、大成功の興奮でドキドキする心臓を抑えながらステージを降りた。
「っしゃあっ」と声を上げたのは、多分亮介だ。
それにつられて皆がドッと興奮と安堵の声を漏らす。
「静かにね」と注意する先生までもが「でも本当に、今までで最高の出来だったわよねっ」と興奮している様子だ。
六年生の保護者席なんか、感情の盛り上がりがすごくて、泣いてる人までチラホラ……ううん、結構たくさんいた。
一時はハラハラしたけど、ボクたちの音楽発表会は大大大成功だった。




