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殺人鬼の棲む館

 夕方から降りだした雨は、ますます強さを増し、やがて、嵐の勢いとなった。車のワイパーも意味がない。前方は五里霧中である。

 顧問弁護士の棟方隆一郎は、思わず舌打ちをして、後部座席で、ちんまりと座っている大学教授の山根純子を振り向いて、苦々しげに言葉を吐いた。

「この雨ですよ。ねえ、先生、いっそのこと、引き返しませんかな?」

「あなた、男でしょ?それに、ここから、どうやって引き返すおつもり?海の中の蛙みたいなものよ、あたし、無駄は嫌いなの」

「先生、経済学は授業だけでご勘弁を。分かりました。行きましょう、どうなっても、私、知りませんよ」

 車は、再び、闇の森の中をひたすらに疾走していく。雨の打つ音とワイパーが耳障りだ。

「予定していた記念講演は諦めるわ。とりあえず、今夜の泊まるホテルでも探しましょうよ?」

と、山根女史が言った。

「この森ですよ。こんな山の奥にホテルなんてありますか、財管人としてお供した私の身になってみて下さいな」

「あら、あなたの代わりなら、幾らでも居るのよ、何なら、今度、あなたの弁護士事務所でじっくりとお話ししましょうか?」

「勘弁してくださいよ、先生。これだから、オールドミスはたちが悪い」

「何か、言いまして?」

「いえいえ、私は、いつも先生のそばで光栄に存じますよ。...................、ん、ありゃ、何だ?」

 その時、一瞬ではあったが、走る車の前を、大きな獣のような黒い影が横切った。あっという間に消えたが、棟方弁護士には、妙な印象が残った。

「どうかして?棟方?」

「いえね、今、熊みたいな奴が居たんだが、それにしては、人間臭い逃げようだなって、変ですね」

「そりゃ、あなたみたいな変人だって、森の中なら出没しますわ」

「お褒めいただいてどうも。えい、突っ走るか!」

「ちょっと、待って、棟方。あの建物、何かしら?」

「うむ、ああ、ホテルのようですね。大きいぞ。こいつは助かった」

「行きましょう」

「ええ」

 二人を乗せた車は、恐ろしい惨劇の待ち構える屋敷に向かって、一路、突き進んでいくのであった......................。


 車は、大きなレンガづくりの門扉を通り抜けて、玄関の前の車止めに来た。杉の木立に囲まれた広い車止めには、2台の自動車が停めてある。二人は、車を降りると、嵐の中を玄関の階段の上まで、一気に駆け上がると、扉を開き、中へ入って扉を閉めた。

 着ていた衣服はもうボトボトに濡れている。彼らが、それを払っていると、声が掛かった。

「よくこんな幽霊屋敷、見つけましたな?」

 見ると、初老の男性が、片手に葉巻を構えて、もう片手をポケットに突っ込んで、ボンヤリと佇んでいる。

 そこは、玄関ホールであった。紅い絨毯が敷き詰められて、壁には、幾つもの肖像画が飾られ、左右に延びた回り階段が、ぐるりと広い玄関を取り囲んでいる。玄関には、2脚の長いソファが置かれ、そのひとつに、若くて、背の高い男が、煙草を吸いながら、読書しているようだ。

「ここ、ホテルじゃないの?」

と、山根女史が、初老の男性に訊いた。男が笑って、

「わしと一緒ですな。わしもそう思って、ここへ頼ってきたのだが、それが、あんた、もぬけの殻での。誰もおらんと来た。幸いにも、電気や食料品は残っていたが、家の主人が不在では勝手が悪い。しかし、この嵐だろうで、仕方なく足止めを喰っとるような次第で」

「あなたは、おひとりで?」

「いえいえ、それが、その、実は、言いにくいんだが、もうひとり、女性と」

「と、言いますと?」

と、棟方弁護士が訊いた。

「世間のスキャンダルにならなきゃいいんだが..............、女優の柏原百合子と同行してましての」

「今年の「接吻」に主演した、あの柏原百合子ですの?あら、あたし、ジェラシーしちゃう」

「実は、わし、病院の内科で医者をしとる岡村順三と申しまして。百合子さんとは、病気がご縁でお付き合いがありましての。今度も、百合子が旅行に出たいと無茶を言い出しまして、この老いぼれが付き添いですわ、堪りませんよ」

と、岡村医師が情け無さそうに首を振った。そこで、山根女史が不思議そうに、

「あそこの椅子に居る男性、いったい何者ですの?」

「いえねえ、本人は、鏑木慎一郎と言ってますが、何でも、自称、遊民とからしくて。とにかく、得体の知れん男ですよ」

 そこで、山根女史と棟方弁護士の二人が寄って丁寧に挨拶したが、その男は、気がついて、首を上げ、一言、やあ、と言ったきり、それだけで、また読書に耽っていた。

 何て礼儀を知らん奴だ、と棟方は内心で思ったが、口には出さなかった。

「それで、百合子さん、今、どちらに?」

と、山根女史が好奇心を剥き出しに訊いた。すると、岡村医師が、

「2階の部屋で着替え中でしょう。何でも、濡れた服は苦手なのっていうことらしくて」

 その時である。突如として、玄関の脇にあるひとつの扉が、勢いよく開いた。皆が、注目するなかで、中から、長い黒髪の若い女性が白いドレス姿で飛び出してきた。彼女は、真っ青な顔をして、震えている様子だ。怯えた口調で彼女が言った。

「ここに居ちゃ駄目!すぐに出ていって!もう悲劇はこれ以上、見たくない!早く、皆で出ていって!」

 そう言い終えると、彼女は、また、扉の向こうに姿を消した。

「どういうわけですかな?彼女は?」

「さあ、見たのは、わしも今が始めてでして。誰ですかな?」

見ると、読書をしていた鏑木が、彼女の跡を見つめたきり、口を開けてポカンとしている。変な奴だ、と棟方は思った。

 いつの間にか、百合子が紅いビロードのドレスを着て階段の上に立っていた。その艶やかな衣装は、彼女の派手な芸能活動を象徴するかのように華やかな彩りを添えていた。ゆっくりと百合子は階段を降り、立ち止まって皆を見下ろした。棟方弁護士は、ゆっくりとため息をついた。

「いかがかしら?今は、このドレスしか、いいのがなくて」

「よくお似合いですよ、百合子さん」

「ありがとう。雨、よく振るわね。今夜は、あたし、ここに泊まることにするわ。今夜の夕食はどうなるの?」

「食料はありますが、食事を皆で作りますかな?」

「困ったわね。じゃあ、岡村さん、あなたにお願いするわ」

「と、言われましても...............」

「それじゃあ、あなた」

と、指を差して、山根女史に、

「あなた、料理くらい出来るでしょ。頼んだわね!」

 これが、山根女史の頭にカチンと来たらしい。彼女は、声を落とすと、

「百合子さん、あなたと男優の香川義和との熱愛スキャンダル、聞いてるわよ。この前は、赤坂のホテルでしたっけ?」

 百合子の顔が青ざめた。少し震えているようだ。そこへ山根女史が追い討ちをかけるように、

「あたしの知り合いに田村っていうスクープ記者がいましてね、その時の、窓越しのあなたと彼の御乱交ぶりはバッチリと撮られてるわよ!」

 百合子の顔が硬直して、抑えが効かなくなったのか、彼女はクルリと踵を返すと、慌てて階段を駆け上がり、そのまま奥の部屋の扉へと消えた。

「ちょっと言いすぎですよ。あれじゃあ、彼女が可哀想だ」

 しかし、山根女史は、無言でそのまま玄関ホールの脇の調理室の方へ消えていった。

「いやあ、女は恐ろしいですね」

と、本を閉じて鏑木が言った。

「それにしても、さっき消えた謎の女性、誰か心当たりは?」

 無言であった。

 すると、鏑木も、寂しげに、本を持って、一階の書斎の方へ消えていった。

「よく振る雨ですな」

と、岡村医師が、窓に歩みより、窓の外を覗き込んで、しみじみと呟いた。

「冬の嵐は、激しいと言いますからな。今夜は出られませんぞ」

と、棟方弁護士が答えた。

「そうだ!」

と、岡村医師が言った。

「確か、1階のビリヤード室に、チェス盤がありましたぞ。あなたも、チェスを如何ですかな?されますかな?」

「これは奇遇だ。わたしも愛好家でね。ひと勝負と参りますか?」

「そう行きましょう!さあ、こちらですよ、どうぞ」

 笑いながら、二人は、1階の廊下の奥へと消えていった.............。


「スピード料理ですの。あまり、いい材料がなくて。お口に召せば良いのですが?」

 そう言いながら、白いエプロン姿の似合う山根女史が、巨大なテーブルの上に、順に料理を盛り付けた皿を置いていく。食卓には、棟方弁護士と岡村医師と鏑木がきちんと待機していた。

「いや、こんな時だ。本当に助かりますよ、山根さん」

と、岡村医師が言った。

「先生の手料理、いただくの始めてですな、これは楽しみだ!」

と、棟方弁護士が言った。

山根女史も、まんざらでもないらしい。いそいそと、エプロンを脱いで、自分も席に着いた。

 それから、静かに夕食会が始まった。やがて、岡村医師が、食事に手をつけていない隣の空席に目を付けて、

「大丈夫かな?百合子さん、機嫌直ればいいんだが?」

 どこかで、雷鳴が轟いた。嵐が強くなったらしい。

 棟方弁護士は、皆のいる大広間の四方の壁に飾られている、沢山の人物画に目をやって、

「あれは、何ですな?有名人の写真ですかな?」

 すると、鏑木が、軽い口調で、

「ああ、あれなら、きっと古今東西の殺人鬼たちの写真でしょう?」

「何ですと?」

「いやね」

と、鏑木は、サンドイッチを頬張りながら、嬉しそうに、

「さっき、持っていた携帯のSNSで、この館について調べたんです。苦労しましたがね。この家、「カササギ荘」って呼ばれてるそうです。主人が、鬼崎龍三っていう男でしてね。3年ほど前までこの家に棲んでたんですが............」

「何か、あったのかね?」

「この男、不幸なことに生まれついての精神異常の性格の持ち主らしく、若い頃から、何十人もの女性を秘かに惨殺しては、この家の裏庭に死骸を埋めてたそうですよ」

 また、雷鳴がした。近いようだ。

「恐ろしい。それで、そいつは?」

「3年前に逮捕されて、妻の可那子と言う女性の同意を得て、強制的に精神病院に入院させられたそうです。しかし、.................」

「何ですの、その男がどうかしまして?」

と、山根女史が怯えたように言った。雷鳴が怖いのか?

「最近、看守の目を盗んで、入院していた精神病院を脱走したんだそうです。それきりに、行方が掴めないようです、ちょっと怖いですよねえ」

「それが、ここに飾った写真と、何の関係があるのかね?」

と、棟方弁護士が鋭く尋ねた。

「僕の推察では」

と、鏑木が、旨そうに珈琲を飲みながら、

「これらの写真は、主人の鬼崎龍三のコレクションではないかと。奴も人殺しです。過去の同じような事件の犯人に人並みならぬ関心を抱いたのではないかと」

 山根女史は、ぼんやりと周囲の壁を飾る写真を眺めていたが、何だか不思議そうに首をかしげていた。いったい、何だろう?それを鏑木は見逃さなかったようだ。

「ねえ、先生、ここへ来る途中で、黒い影を目撃したでしょう?覚えてます?」

「そ、それが、何よ」

「あれ、鬼崎じゃないかって思いません?」

「悪い冗談、止めてちょうだい。場所をわきまえなさい、棟方」

「はいはい」

「で、鏑木さん、その妻の可那子っていう女性は、その後、どうなったんです?」

「2年前にこの家で病死したそうです、しかし、二人には子供がいたそうなんですが、そこまで詳しくは僕も....................」

「あたし、呼んできますわ」

と、山根女史が、ナイフとフォークをテーブルに置き、席から立ち上がって言った。

「まだ寝てるのかしらね、百合子さん。ちょっと、待ってて下さいね、皆さん」

 そう言い残すと、山根女史が2階へ通じる扉の向こうに姿を消した。

 残された皆は、食事を続けた。

「いやあ、お強いですな、ロンドンシステムと来ましたか?なかなかの強者ですな」

と、岡村医師が感嘆して言った。

「へへっ、これでも、私、チェス選手権で上位入選されてましてな。でも、下手の横好きで」

「ところで、鏑木さん、あなた、何者なんです?」

「僕ですか?いや、ただのー」

 その時である。階上から、引き裂くようなけたたましい女性の悲鳴が上がった。ただ事ではないようだ。一同が、立ち上がった。

「行ってみましょう!さあ、急いで!」

 鏑木を先頭に、三人は、2階へ駆け足で向かう。やがて、百合子との部屋へ。皆で、扉を開く。中は、案外と広い。きちんと整頓された室内の天蓋つきベッドの傍らで、うつ伏せに倒れて動かない百合子の身体を、じっと山根女史が見つめて両手で口を塞いでいる。

「皆さん、そこを動かないで」

と、鏑木が百合子に寄ると、首に手を当てて様子を見ていたが、

「残念ですが、手遅れですね。彼女、もう亡くなってます」

「わしが変わろう。ちょいと診てみるよ」

と、岡村医師が、彼女の身体に屈み込んで、しばらく容態を調べていたが、

「どうやら、急性の心筋梗塞を起こしたようだ。確かにもうご臨終だよ。しかし、病院の検査では、彼女、心臓の結果は健康そのものだったが、どういうわけだ?」

「だから、言ったでしょ!」

 突如、声がして、皆が背後を振り向いた。戸口のところに、あの謎の娘が立ちはだかり、叫んだ。

「こうなると思って、あなたたちに警告したのに!さあ、急いで、出ていきなさい、この呪われた家から!」

 そう言うと、また、娘はあっという間に姿を消した。

「とにかく、この死体にシーツでも掛けておかないと」

と、鏑木が提案し、皆で百合子の身体に布団の白いシーツを掛けておいた。

 皆は、大広間の食卓に戻って席に着いていた。どこか胸騒ぎがする、と棟方弁護士が思った。

「あのう?」

と、山根女史が言った。

「さっき、食事の時、鏑木さんが話してたでしょ、鬼崎のこと」

「ええ」

「あの時、あたし、妙な体験をしましてね、こんなこと言っても婆あの狂言と思われますがねえ?」

「いったい、どうされたんです?」

「いえね、人殺しの写真が1枚、どこかへ消えたちゃったんですのよ、忽然と」

「写真ですと?」

と、岡村医師。

「ええ、最初、見たんですの。気味の悪い男の写真だなって。それが、あなた、次に見たときに、どこにもなくて、不思議で、不思議で」

「消えた写真ですか?」

 鏑木が、溜め息を突いて言った。

「で、警察には?」

と、また岡村。

「さっき、僕の携帯から連絡しましたがね、何でも、この嵐でしょう、この山の麓の方で土砂崩れがあって、復旧次第、こちらに向かうっていう話だそうです、仕方ありませんねえ」

 胸がドキドキする。これ以上、我慢できん!ついに棟方弁護士が立ち上がった。

「こんな気味の悪い家、もう辛抱ならん。私は帰る!今すぐ、帰るぞ!」

 彼は、見かけ以上に臆病な男らしい。彼は、山根女史を振り向いて、

「あなたは岡村さんの車にお乗りなさい。私のことは、放っておいて下さい!」

 そう言い残すと、彼は、あっという間に、嵐の夜に、玄関から姿を消していったようだ。

 残された者は、皆、黙り込んだ。やがて、岡村医師が言った。

「こんな嵐だ。奴もすぐに気が折れて戻ってくるさ」

 しかしである。いくら経っても、車のエンジンのかかる音が聞こえてこない。おかしい。

「しまった!彼をひとりで行かせるんじゃなかった!」

と、鏑木が、立ち上がった。

「僕、ちょっと、見てきます!」

そう言うと、彼も大広間から姿を消した。

「手間のかかる男だ、棟方さんも」

「でも、何のことなの?あの娘の言ってた呪われた家って?」

 突然に、家の外から、大声が上がった。どうやら、鏑木らしい。

何が起こった?どうした?

 二人は、急いで、レインコートを着けて玄関から出た。嵐の強烈な風が、彼らに吹きつけてくる。

その中を潜るようにして、彼らは玄関の横の車止めまで来た。車止めの脇には、ガソリンタンクやミネラルオイルの瓶、潤滑油の類いが置いてある。

 そして、見た。

 停められた一台の自動車の運転席。そこに、棟方弁護士が座り、じっと目を閉じて動かない。動こうとしない。

「無駄ですよ、もう。彼は死んでますからね」

と、鏑木が、悔しそうに言った。

「ちょっと、拝見。診るかの?」

 しばらく、時間が経った。

「また心筋梗塞だ。こんな偶然があり得るなんて?」

と、岡村医師が嘆くように呟いた。

「事故、ならばね?」

と、鏑木が謎めいたことを言った。それを聞いた山根女史が、

「どういう意味ですのよ?あなた、事故じゃないっておっしゃるの?」

 鏑木は、黙っていた。そして、しばらく、間を置いて言った。

「とにかく、戻りましょう。ここじゃ、凍え死にますよ」

 

 二人は大広間にいた。

「殺人ですか?」

と、岡村医師が、恐ろしげに言った。すると、鏑木が、慎重な口調で、

「ええ、その可能性もあるかなと。しかし、心筋梗塞でしょう?そうですね、ちょっと、僕に時間を下さい。調べものをしますから」

そう言って、鏑木は、静かに書斎の方へと姿を消した。


「入らないで!来ないで!あたし、死にたくないのよ!部屋の鍵はあたしが握ってる。誰も、あたしを殺せないわ!」

 山根女史はわめいていた。必死である。自分の部屋から出てこない。出ようとしないのだ。岡村医師は、部屋の前で困り果てていた。

「ねえ、山根さん、まだ殺人と決まった訳じゃないし、わしらの誰かって訳でもないでしょう。お願いだから、出てきて下さいよ、鏑木さんも、待ってるし」

「ええ、出ますとも。犯人が捕らえられたらね。その時は、教えて頂戴?」

 ついに、諦めて、岡村医師は、山根女史の部屋を離れると、階下に降りた。まあ、岡村医師自身、不安感がないわけでもなかった。でも、我々に打つ手はない。どうしようもない嵐の夜である。

 玄関まで出ると、またソファで鏑木が読書していた。彼は、何だか穏やかな様子である。

 しばらくの時間が静寂のうちに過ぎた。二人は、黙っていた。

 突然に、静寂を破って、岡村医師が、鏑木に、山根女史の閉じ籠りを伝えてみた。すると、とたんに、鏑木の態度が変わった。何だろう?

「それは、いけない。今、彼女をひとりにするのは、とてもマズイことです。行きましょう!彼女を引きずり出さないと!」

 そう鏑木に言われて、岡村医師は、彼の跡に続いて、2階へ上がった。鏑木が、扉をノックした。

「山根さん、あなたは、今、危険だ!すぐに出てきて下へ降りてきなさい!」

 しかし、彼女の返事はなかった。何か、おかしい。二人は、顔を見合わせた。もう一度ノックする。無駄である。鍵がかかっていた。嫌な予感がする。

「扉をぶち破りましょう!何か、ありますよ、これは?」

 二人は、少し、距離を置いて、扉に体当たりした。3度目の体当たりで、扉の蝶番が壊れて、扉の口が開いた。それで、勢い良く、二人は部屋に飛び込んだ。

 山根女史は、死んでいた。

 部屋のサイドテーブルのそばで、身体を大の字にして、仰向けに倒れている。岡村医師が駆け寄り、倒れた彼女を調べていたが、しばらくして、彼は鏑木を振り返って、悲しげに首を振って見せた。

「死んでる。また、同じだよ、心臓発作だ。こいつは事故じゃないな、どう見ても」

「どうやら、殺人の線が濃くなってきましたね。このまま行くとー」

「これでも分からないの?今すぐ、この家を出ていきなさい、即刻に!」

 戸口に例の娘が立っていた。しかし、今度は、鏑木が素早く動いて、逃げようとする娘の腕をしっかりと掴んでいた。嫌がる娘を廊下へ引きずり出すと、小声で、

「別に怖がらなくていいよ。君を悪いようにはしない。僕は、君の父さんの秘密を知っている。全部ね。だから、怖がらずに、僕だけに本当のことを教えてくれないかい?」

 この言葉で、娘は抵抗するのを止めた。そして、上目遣いで、じっと鏑木を見つめながら、娘は告白し始めた。

 鏑木は、真剣に彼女の告白を聞いていた。そして、ようやく、彼女は話し終えると、立ち上がり、また、去っていこうとした。すかさず、鏑木が声をかけた。

「君、どこへ行くの?」

 すると、彼女は、

「あたしだけの場所。誰にも秘密なの!」

 部屋へ戻ると、岡村医師が山根女史の死体に丁寧にシーツをかけて上げていた。鏑木が言った。

「どうやら、事件の全貌が見えてきましたよ。それにしても、恐るべき事件ですね」

「詳しくお訊きしますよ。.........これでいい。下へ降りますかな?」


「残されたのは、我々だけですな?」

「そのようですね」

「それ以上、わしに近づかんで下さいよ。わしにも、防衛本能はありますからな!」

「僕だって、そうですよ」

 しばらく、二人は無言であった。緊張が続いた。

 やがて、鏑木が笑いだした。

 つられて、岡村医師が笑う。

 やがて、鏑木が何か言おうとした。その時、けたたましく、玄関のベルが鳴り響いた。誰か来たらしい。こんな嵐の夜に?

「誰ですかな?あり得んな?」

「ともかく、出てみましょう」

 二人で玄関の扉を開いた。突如、ひとりの人物が、飛び込むように玄関に駆け込んできた。

「たまりませんぜ、こんな嵐に。いい加減に人の身にもなって下さいよ、あなたですか?」

 その男が言った。汚れた作業服に、白ひげをボウボウに伸ばしたルンペンみたいな中年の男が、身体の雫を払い落としながら、文句を言ってる。

「いったい、何のことだね?それに、君は誰だね?」

「ご冗談を。あっしをこんな夜に呼び出しといて、その台詞はないでしょう?それで、ご注文の棺はどこに置けばいいんで?」

「棺?棺おけを持ってきたのかね?何のつもりだ?」

「しまいに怒りますよ、あっしも。ご注文の棺、棺おけですよ、どこですか?あっし、早く帰って風呂でも入らねえと、風邪引きますぜ、どこです?」

「ちょっと待ってくださいね、ご主人。あの、失礼かも知りませんが、あなたは、ここの家に棺を持ってくるようにと連絡を受けた、そうですか?」

「ええ、そうですとも。棺を7つね、ちゃんと荷台に積んでありますよ、持ってきますね」

「そうですか?じゃあ、お願いします」

 男が出ていった。岡村医師が、

「訳がわからん。棺おけが7つ?何のことだね、鏑木さん」

「まあ、待ってみましょう。いずれ、分かってきますよ、この謎が」

 やがて、ふうふう言いながら、男が重い木製の棺を次々と運ぶ。二人は黙って眺めていた。やがて、7つとも、運び終わると、気忙しそうに、

「そいじゃあ、お代金の方を。どちらの方から?」

「僕が払いますよ。クレジットでもいいかな?」

「ええ、結構ですよ。でも、こんな代物、どうするんです?この家で大事故でも起きたんで?」

「ちょっとね、ありがとう。ご苦労様」

 男は帰っていった。しばらく、鏑木は沈黙していたが、

「どうやら、暗躍してますね、真犯人が。今の彼から、詳しく話が聞ければ良かったのですが」

 そこへ、当の本人が帰ってきた。カンカンに怒って、今にも爆発しそうな勢いだ。怖い。

「いい加減に怒らせるのも止めてくれよ!お前さんかい?抜いたのは?」

「どうしたんです?何がありました?」

「知らばっくれるな!俺の車、帰れねえじゃねえかよ!」

「誰かが、車のガソリンを抜いたんですね?でも、僕たちは、ここにいましたよ、あなたもご存じのように」

「じゃあ、誰かが抜いたって言うのかい?そんな話ー」

「いいですか?今夜、この家で、殺人事件が起こりました。もう、すでに3人が殺されたんです。いつ、僕たちが殺されても不思議はないんです、お分かりですか?」

 これを聞いて、男は、衝撃を受けたようだ。すっかりと、しょげている。殺されるのが恐ろしいのか?

「ほ、本当か?そいじゃあ、この棺ってのは?」

「あと、4つ残ってる。僕と、この岡村医師と、例の娘と」

「お、俺かよ!じょ、冗談じゃねえ。か、帰るって言っても」

「無理ですね。この嵐じゃ」

 男が、震えだしたようだ。心底、怖いらしい。鏑木は、優しい口調で、

「落ち着いて下さい。まだ、死ぬとは決まってません。ところで、あなた、お名前は?」

「田村隆一、麓の町で、小さな葬儀社を経営しとる。何なんだ、この家は?」

「謎でしてね。それで、あなたに掛かったっていう電話、どんな相手でした?」

「そうそう、それですよ。何だか男か女か分からんような押し殺した声でね、「おい、今すぐカササギ荘まで棺を7つ、運べ。さもなきゃ、お前の家は丸焼けになるぞ!」ってね。こんな事、許されますか、ってんだ。でも、丸焼けにされちゃ叶わないってんで、あっし、慌てて運んできたんでさあね」

「なるほど、そう言うことか........」

 鏑木は、しばらく考え込んでいた。そして、言った。

「大体の事情は分かりましたよ。それで、岡村さん、あなたのご意見は?」

「決まっとるよ。奴に先手を打って、こちらから捕らえて見せるさ、どうかね?」

「いいですね、でも、いったいどうやって?」

「とりあえず、見回りだな。この家の周辺を探って、奴の首根っこを押さえ込むのさ、ギュウってね」

「見回りねえ、いい案ですが、もう、あなたをひとりで行かせるわけには行きませんよ、奴がどこに潜んでるか知れたものじゃない、どうします?」

「それじゃあ」

と、岡村医師が、軽く田村を向いた。田村が、大きく目を剥いた。

「あっしが?」

と、田村が唖然としている。

「あっしに行けっておっしゃるんで?とんでもない。そんなの自殺行為ですよ、冗談じゃねえ」

「でもね」

と、岡村医師が言った。

「その代わり、この鏑木さんはひとりで残んなきゃいけない。君なら、どっちの役割を選ぶんだね?」

 ようやくに田村は、しぶしぶ、承諾した。それで話は決まった。

 岡村医師と、田村の二人は、レインコートを着込み、手に頑丈な鉄パイプを握りしめて、肩をいからせて、玄関を出ていった。なかなかに勇ましい二人だな、と、感心して、鏑木はその後ろ姿を見送った。そして、彼は、書斎に籠ると、山積みにした書物を相手に、格闘を始めた。それから、ページを繰る音が鳴り響き、しばらく鏑木は、本に没頭していた。そして、何気に、書斎の壁の掛け時計に目をやった。あれから、1時間が過ぎている。どうも、二人とも遅いな、と思い、書斎から出て考えていたが、仕方なく、自分もレインコートを羽織ると、外へ飛び出た。雨は、依然として収まる気配がなく、どしゃ降りだ。その嵐の中を、鏑木は、挑むように前進して、裏庭まで出た。すると、どうだろう?そこに、田村が、ひとりで鉄パイプをぶら下げて、立ち尽くしているではないか。鏑木が、彼に駆け寄って、嵐に負けないくらいの大声で、田村に聞いた。

「田村さん、岡村さんはどこです?」

「それが妙なんです。さっき、草むらに黒い人影を見たって言って、突然に飛び出していって、あっしは置いてけ堀りですよ、どうなんでしょうな?」

「彼をひとりで行かせた?この馬鹿野郎!」

と、珍しく鏑木は怒って、呆然とした田村を残し、森の中へと、ドンドン潜っていく。 

 やがて、彼の嫌な予感は的中した。森の途中、起伏のある丘の手前の草の茂みのなかで、顔を突っ伏すようにうつ伏せにして、岡村医師が倒れ込んでいた。

「岡村さん!」

 鏑木は、彼の脈を取った。すでに止まっている。しまった!

「もう、僕は我慢ならない!この事件にケリをつけるぞ!」

 鏑木は、そう宣言すると、足早に裏庭に戻り、怯えたようにブンブンと鉄パイプを振り回す田村とともに、玄関に戻った。


「あっし、怖くて仕方ねえ!」

 その言葉を無視して、鏑木は、「この事件も最後になりました。残ったのは、僕とあなた」

「そして、私よ!」

 驚いて、二人が振り向くと、そこに、例の娘が立っていた。彼女は、意を決したように凛然としていた。神々しい印象があった。

「これは、好都合だ。これで、全員、揃いましたね。では、僕の結論から申し上げましょう」

 そう言うと、鏑木は、怯えた田村を振り向き、

「もう、いいんですよ、怯えた演技をするのは?ねえ、田村さん、いや、鬼崎龍三さん、そのつけ髭を取っておしまいなさいな、そして、ポケットから、凶器の鉱物油を詰めた注射器をお出しなさい!」


「どうして、彼が私の父と分かりましたの?」

 不思議そうに娘が言った。

「いえね、鬼崎菜々子さん、僕の当て推量なんですがね、どうも、彼の口ぶりが最初から作り事めいて聞こえたんですよ。こいつは臭いなってね」

 彼らは、書斎にいた。鬼崎龍三は、鏑木に押さえ込まれて、ロープでグルグル巻きにされて、床に転がっていた。何やら、ブツブツと呟いているようだ。それを無視して、鏑木は、

「事件の動機は、他ならぬ、あなたなんですよ、菜々子さん」

 菜々子が青ざめた。動揺したらしい。鏑木が、続けて、

「鬼崎は、生まれついての精神異常者だった。彼は、大勢の女性を冷酷に惨殺し、裏庭に埋めていた。しかし、捜査の手が伸びて、ついに彼は逮捕され、精神病院へと生涯入院させられた。その原因は彼の妻にあった。妻が同意したために、彼は強制入院せざるを得なかったんです。きっと、入院中、彼は妻を骨の髄まで恨んだことでしょう。しかし、入院中に、彼の妻は病死した。すると、狂った頭の彼の恨みは、死んだ妻から、そのひとり娘である菜々子さん、あなたに向いたわけです。あなたを殺してやる、きっと殺してやる、復讐してやるってね。そして、復讐を決意した彼は、病院を脱走して、この屋敷にまんまと潜伏した。そして、我々が訪れたのを幸いと、次々と殺害して、最後に残されたあなたの恐怖心をあおり、最後にじっくりとあなたを料理する手筈だったのでしょう」

「私がターゲット?」

「ああ、そうさ。俺が、病院でお前への憎しみで、どれくらい、暴れ回ったことか、お前に分かるまい!」

と、鬼崎が呻いた。

「とにかく」

と、鏑木が、嘆息して言った。

「実の娘を殺す。狂ってますよ、この男は」

「うるさい!」

「それで、鏑木さん、父はどうやって皆を殺したの?」

「ええ、きっかけは、車止めのそばにあったミネラルオイルの瓶でした。何だろうって不思議に思いましてね、それから、書斎に籠って、医学の文献を読み漁りましたよ。それで分かったんです。あのねえ、菜々子さん、心臓にね、油、特に鉱物油を大量に詰めた注射器を急速に刺すと、ヒトは心筋梗塞の症状を示してやがて絶命するそうですよ。まさに生命体の神秘ですね。そして、この方法で、この鬼崎は、時と場所を変えて、我々の隙をついて、4人の男女を無惨にも殺していった。そして、最後は、自ら変装し、家に入り込み、ガソリンを抜いておいて、家に残る口実を設けて、最後の被害者を殺害し、目撃者を装って僕の眼を誤魔化し、その後で、僕も殺すつもりだったんでしょう。自分の目の前で、あなたをじっくりと殺害するためにね、菜々子さん」

「でもね、鏑木さん、私、秘密の通路から盗み聞いたんですけど、あなたたちの食事の時、あの女性が、人殺しの写真が消えたって、それ、どういうことでしたの?」

「ああ、あれは、この鬼崎が、大広間から外に通じる窓の外から、我々が食事しているのを、こっそりと覗いていたんでしょう。それを写真と、彼女は勘違いした」

「それから、被害者の女性の部屋の鍵が掛かっていた件、あれは?」

「鬼崎は、この家の主人ですよ。どこに家のマスターキーが置いてあるのかは知っているでしょう」

「そうでしたの。分かりました。それで、これから、父はどうなりますの?」

「病院に逆戻りでしょう。今度は、重罪犯だ。監視も厳重になるから、彼も、うかつに出られませんよ、安心して下さい」


 夜も明けて、日が差し、辺りが明るくなってきた。カササギ荘に朝が来た。

 やがて、警察の一行がカササギ荘に到着し、後を彼らに任せておいて、鏑木と菜々子の二人は、雨の止んだ表に出た。朝日が眼に眩しい。鏑木が菜々子に言った。

「これから、どうするおつもりです?菜々子さん」

「私、この家で暮らしていきます。嫌な過去は綺麗さっぱりと忘れて、出直しますわ。そうね、恋人でも見つけて、この家に招待しようかしら?」

「そいつはいい。ぜひ、素敵な彼氏を見つけてくださいな、僕も、応援してますよ」

「で、鏑木さん、あなたは?」

「僕は、とりあえず、東京に戻ります。何をするか、ゆっくりと珈琲でも飲んで考えますよ」

「そうね、じゃあ、名残惜しいけど、また機会があれば、お会いしましょうね、お待ちしてますわ!」

「ありがとうございます。では、僕は、これで」

 そう言い残すと、鏑木は、黒い鞄と書物を手に、ヒョイヒョイと麓への小道を去っていく。菜々子は、その小さくなる後ろ姿を、名残惜しげにいつまでも見つめていたのであった.....................。






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