第3話 あの日、母の抱擁
産まれて約1年後……俺は安定して飛べるようになり、火も吹けるようになった。
だいぶ身体も大きくなり、遂に母が狩りへの同行を許可してくれた。
初めての狩りでレベル50程度のモンスターを狩れるくらい、俺は強くなっていた。
強くなりすぎて、自分が『一生に一度だけ好きなスキルを創れるスキル』を持っていることなんて、すっかり忘れて暮らしていたんだ。
……あの日までは。
その日は晴天だった。
俺はすっかり成竜になり、1匹で狩りができるほどになっていた。
ある程度獲物を狩って火山地帯の巣に戻ろうと飛んでいると、巣の近くを人間が数人歩いているのが見えた。
(なんでこんな所に人間が……?)と思いつつ、巣に戻る。
母に人間が来ていたことを報告すると、みるみるうちに母の顔が青ざめていく。
そして、突然母が俺を抱き締めたかと思うと、こう言った。
「私が囮になるから、あなただけでも逃げて」と。
俺は不思議に思った。
母は俺にとって最強の存在だ。
母が苦戦しているところなんて見た事がない。
どんな相手も狩ってきた母が、たかが人間に負ける前提で話している。
「なんで逃げるの?いつもみたいに狩ろうよ」
と俺が提案した。
すると母は、俺を抱き締めたまま諭すようにこう言った。
「ルフス、時間がないからよく聞いて?」
「人間という種族はね、1匹だととても弱いわ」
それを聞いて「ならなんで……」と言い終わらないうちに、母が続けた。
「でもね、人間はとても恐ろしい種族なの。
例えば、私達には頑丈な鱗も、鋭い爪や牙もあるでしょう?」
「人間はそれを持たない種族なの。それなのに、『盾』という物を使って爪や牙の攻撃を防ぐの」
「次に『剣』という物を使って、私達の鱗を貫通して攻撃してくるの」
「でもね?人間の1番恐ろしいところは、私達と違う『倫理観』よ」
そこで俺が「人間と俺達で、どう倫理観が違うの?」と尋ねる。
母はこう答えた。
「私達は、食べる為と生きる為に生物を殺すわ」
「生きる為に殺す生物というのは、私達の卵や幼竜を食べる為に縄張りに入ってきた生物のことよ」
「私達を食べようとする生物を殺さなければ、どうなるかはわかるでしょう?」
俺はコクコクと頷いた
「でも人間は違うの。
人間は、角が綺麗だとか毛皮が綺麗だとか、そんな理由で生物を殺して、食べもしないこともよくあるそうよ」
「さらに言えば、人間は経験値の為にも生物を殺すのよ。
私達みたいにモンスターを狩って食べて経験値も得るのではなく、経験値の為だけにモンスターを殺すの」
「そのせいで平原に放置されたスライム族の遺体を沢山見てきたわ」
「人間はね、自分の利益になるならなんだって殺すのよ。
利益の為には同じ人間さえも殺すことがあるの」
ここまで言われると、前世が人間の身としては複雑な気分になる。
全て否定できないが、人間にもいいところがあるんだと主張したかった。
だが、母は続けて言った。
「そして、人間の中でも『勇者』と呼ばれる個体は桁違いに恐ろしいわ」
「人間なのに強力すぎるスキルを持ち、モンスターだけでなく魔王様まで殺そうとしているのよ」
「今まで隠していたけれど、この山で二人で暮らしているのも、勇者に竜の里を滅ぼされたからなの」
それを聞いて、ようやくこの怯え方に納得した。
今まで兄弟姉妹はおろか、父親すら見かけなかった理由も想像がついた。
前世が人間の俺ですら、もう人間の擁護をする気にはなれなかった。
けれど、この気持ちは人間だった頃の自分を否定するようで、言葉に詰まった。
母は話しながら抱きしめる力を強める。
「今まで黙っていてごめんなさい」
母の声を聞きながら、ふと昔の記憶がよみがえる。
初めて飛ぶ練習をした日、俺は何度も失敗して、地面に叩きつけられた。
泣きそうになった俺を、母は笑いながら抱きしめた。
「失敗してもいいのよ、ルフス。
何度でも飛び立てばいいんだから」
その言葉に励まされて、何度も挑戦したことを思い出す。
今もその時と同じように抱きしめてくれる母の腕が、今は震えているのが分かった。
「あなたのことだから、きっと気を遣って聞かないでいてくれたのよね……今まで寂しい思いをさせて、ごめんなさい」
今までに聞いたことがない声だった。
つらくて泣きそうになっているのを必死に我慢している、そんな声だった。
「私にとって、あなたの命はこの世のどんな宝物よりも価値があるわ」
そう言い終わると、最後にぎゅっと強く抱き締めて、俺を離した。
「もう一度言うわ、逃げなさい」
母の言葉が頭に響く。『逃げなさい』なんて、そんなことできるわけがない。
母を置いて逃げるなんて、俺には到底できない。
でも、母の目を見て、その覚悟の重さに言葉を失う。
(俺が逃げたら、母さんはどうなる?)
その答えは目の前にある。
だけど、その答えを受け入れるのが怖い。
心の中で何度も否定しようとしたが、母の目はただ優しく、それでも強い決意に満ちていた。
俺は母を置いて逃げたくなんてない。
今まで育ててくれた母を見殺しにできない。
そんな事を考えていると、巣の入り口付近から人間たちの声が聞こえた。
「ドラゴンの巣だ!戦闘態勢!」その一言が、母の背中をさらに硬直させたのが分かった。
いつの間にか人間達が山頂まで登って来ていたのだ。