08
「花の名前?」
「ええ。アズュリラと名付けたいのですが」
言うまでもなく、アズュリアの名にちなんでいるのだろう。
「ガルドウじゃなくて?」
庭師は僅かに顔をしかめた。
「私の名前を花につけてどうするんです」
「あら、製作者の名前を付けてもいいと思うわよ?」
「私は奥様の名前がいいんです」
「閣下が問題ないとおっしゃるなら別にいいけれど」
「品種として安定したら報告します」
彼の中では決定事項らしかった。
庭師小屋から離れは少し距離がある。
それ以上の会話はなく、二人は黙って歩いた。
「馬が必要でしょうか」
ふとガルドウが言った。
「まあ、遠いわよね」
離れから屋敷も遠い。先日公爵は馬車で来た。
「奥様は乗馬は大丈夫ですか?」
「乗れるわよ」
王子妃教育の一環として王宮で教えられた。
「庭師が使うのは驢馬と荷馬車なので、奥様をお乗せするには適さないのですが、自由に使える馬を手配してもらうよう言っておきましょうか」
「必要ないわ。本邸へ行く用もそんなにないし、庭師小屋程度の距離であれば歩くわ」
「そうですか」
「あと、荷馬車に乗るのも平気よ。実家の薬草畑は領地の庭の一番端だったから、よく庭師の荷馬車に便乗させてもらってたもの」
神殿で異能が確認された後、異能研究所に異能者として登録されてしまった以上、貴族家として子供の異能の発現に助力しないわけにもいかず、父はアズュリアを領地へ一人やり、庭の一番端に薬草畑を作ってそこで作業するように言いつけた。五歳になったばかりの時だった。
まだ少しは父もまともだった頃だ。
母が嫌がるのでなるべく目につかない所を指示したのだろう。あの頃はまだ、乳母がいたし、妹も物心つく前だった。庭師も事情を理解していてアズュリアに庭仕事の事など色々と教えてくれた。曲がりなりにも情緒がまともに育ったのは彼らのおかげだったと思う。先行きを心配してくれてもいたのだろう。市井の事なども折に触れ話してくれた。両親の目が届かない領地故に、平民の子のように街へ連れ出して買い物の経験などもさせてくれた。
「奥様は、その、あまり貴族らしくないのですね……」
アズュリアは笑った。
「そうかもしれないわね。小さい頃はそのうち家を出て平民になるんだと思ってたわ」
ガルドウは目を白黒させて口ごもった。
反応のしようがなかったのだろう。
「貴族と言っても、子供に力はないから、当主である親に見放されたら生きていくのはなかなか大変なのよ」
「そうですか……」
「今の私の立場は人の目にどう見えているのかは判らないけど、今までに比べればずっとましなのよ」
にっこり笑ってみせる。
「毎日ちゃんと眠れるし、健康的な生活が送れているわ」
離れが見えてきた。
アズュリアはガルドウには庭へ回ってもらい、玄関の鍵を開けた。
調薬室に他者を入れるわけにはいかないので習慣のようなものだ。ちょっと出るだけでも施錠する。
内側から鍵をかけ、そのまままっすぐ台所へ入り、ガラス戸を開けた。
ガルドウは庭の花の様子を見ていた。
「お茶出すわね」
声をかける。
「お気遣いなく」
返事が返る。
日差しの下を歩いてきたので冷えた茶を用意する。
室内ではなく、テラスに出したテーブルの方へ。
調合用の金属のコップに作り置きしておいたハーブティーを注ぐ。
「つめたい……」
ガルドウはコップを持ち上げて呟いた。
「私、「調薬」の異能も持っているの。冷やしたり熱したりは異能のうちよ」
「便利なものですね……」
「使えるようになったのは最近だけれどもね」
「異能とは変化するものなのですか?」
「そのようね。私も知らなかったわ。でもあなたの力だって変わったじゃない」
「そうですが、それはてっきり奥様の力の影響かと」
「そうかもしれないけど、変化する事に違いは無いわ。ま、隠しているわけじゃないけど、大っぴらに宣伝するつもりもないから、黙っててちょうだい」
ガルドウは頷き、暫く話して帰って行った。帰りに傷薬とハンドクリームを持たせてやった。庭師たちの手に小さい傷がある事に気が付いたのと、庭師頭の細君に対する礼のつもりだった。
馬を断ったのは早計だったかと思った。
ゴシュフク草を取りに行こうとして足が無い事に気が付いたからだ。
屋敷の北を流れる小川というのは敷地の外側だ。
アズュリアの離れは屋敷の西側にあるがやや南よりで、恐らく辿り着くのに小一時間かかるのではあるまいか。
試しに歩いてみようと水路に沿って遡ってみることにした。疲れたら帰ってくればいい。
最近すっかり着なれてしまった庭師の恰好に麦わら帽子で出かける。
貴族家の女性である印の長い髪だけが恰好に合っておらず、邪魔で仕方ない。
社交の必要がないのであればいっそ切ってしまおうか。
今日も晴れ渡った青空の下、一人てくてくと歩きながら、それは素晴らしく良い案のように思われた。
明日切ろう。
そう決心して、ふと傍らを見ると、水路の水がかかるかかからないかの石塀の隙間にゴシュフク草が生えているのが目に入った。
水路は最初は木製の樋で作られたらしかったが、今は地面に溝を掘ってその周囲を石垣で固め、中は時間を置くと固まる混ぜ土で全面塗り固められている。石垣は腰の高さだが、水は通常時はその半分程の所を流れている。
ゴシュフク草が生えているのは水が跳ねて濡れている石垣の石の隙間だった。
良く見ると、石垣の石の隙間には点々とゴシュフク草が生えている。
麻袋を取り出して、早速目につくそれらを摘み取り始めた。
雑草扱いと言われるわけがよく判る繁殖具合だった。
あっという間にそこそこな大きさの麻袋が一杯になった。
馬も遠出も必要なかった。
離れに戻るとガルドウと庭師頭が来ていた。
「あら、ごめんなさいね。ちょっと外に出ていたの」
「いえいえ、庭の様子を見に来ただけですので」
二人はほっとしたように庭の方へ回った。
アズュリアは昨日と同じく玄関から入って台所側の窓を開けた。
外のテーブルに麻袋を置くと、桶を持ちだしてきてその中へ井戸水をくみ、摘んできたゴシュフク草を放り込んで水洗いを始めた。
「ゴシュフク草ですか」
庭師頭が草を見て声をかける。
「ええ。小川まで行かなくても一杯生えてたわ。やっかいな草って本当なのね」
そしてふと顔を上げる。
「ねえ、水路の石垣の隙間から生えているのを見たんだけど、今の水量であの位置の石が濡れるのって変だと思うの。水路にひび割れか何か出来てるんじゃないかしら」
庭師頭が眉を寄せた。
「どこら辺でしたでしょう?」
「うちから一番近い二番水路を北上して私の足で十分くらいかしら。あの辺だけゴシュフク草が沢山生えてたからすぐわかると思うわ。私摘みつくしてないもの」
「ちと見に行ってきましょう」
庭師頭は頭を下げ、ガルドウと一緒に直ぐに庭を出て行った。
表面からは判らなかったが内側に亀裂が入ってそこから水が上がっていたそうだ。
更にゴシュフク草がそこへ根を張っていたと。
水路は定期的にメンテナンスしているし、日々庭で仕事をしている庭師も気を付けて見るようにしている為、別段アズュリアが報告せずともそのうち誰かが気が付いて手入れされていたと思うのだが、大袈裟に感謝された。
「ゴシュフク草が生えていたら、注意した方がいいのね」
「水路はこの屋敷では便利に使われている物ですので奥様にも留意していただけたら有難いです。ゴシュフク草を採取される時だけでも構いませんので」
「気を付けておくわ」
井戸もありはするが、敷地内の建物の殆どは水路から水を引き入れて生活しているらしい。浄化槽を通して掃除や風呂やトイレに使用し、排水も浄化槽を通して下水用の地下水路に流す。地下水路は何代か前の当主が「魔力」で作ったそうだ。下流の川に流れ着くまでには無害化されているというがどういう仕掛けなのかは想像がつかない。
いや浄化の仕組みについては幾つか予想がつくものもありはするが。
いずれにせよこの屋敷は清潔で衛生が保たれている。
屋敷で試験的に作られた下水のシステムは後に領都に応用敷設されたらしい。
故に領都にも水路は碁盤の目のように巡らされている。
「そう言えば領都って中央の川だけじゃなくて水路が縦横に走ってたわね」
馬車移動の際見ただけだったが。
「奥様は街へ出かけられたりなさらないのですか?」
外出する事そのものがほぼない奥方に初めて疑問を持ったらしくガルドウが尋ねる。
「今の所用事もないし」
「王都程の規模ではありませんが劇場などもありますよ?」
「観劇って気分でもないのよね。その前に顔の傷治さないといけないだろうし」
ゴシュフク草で作った薬を今日から使い始めている。相変わらず包帯も巻いている。
「痛むのですか?」
女の顔に、まして貴族の女の顔に傷がついているという事を本人があまり気にしていない風なのでガルドウもあまり深刻にはとらえていなかったのだろう。改めてそう言われて無神経だったと思ったのか急にしゅんとなった。
「もうあまり痛まないわ。ただ傷が乾いたから引き攣れるのよね」
口を開いただけでも引き攣れる時がある。予測できないので痛みで貌が歪むこともある。
ゴシュフク草の薬はそれを再びしっとりさせる。おかげで大分楽になった。
「ま、そのうち行きたくなったら外にも行くわよ。多分ね」
公爵がどう言うかは判らないが。
そう言えば、勝手に出かけていいものなのだろうか。許可がいるのか?
ふと思い至って疑問に思う。
こちらが何をしようが関心が無い様子なので、公爵夫人とばれないような恰好で出かければいいのだろうか。
「奥様それは、何をなさっているんです?」
アズュリアは先ほどから香草の葉のみをこそぎ落としている。
「まとめて成分を抽出するの」
「はあ」
「傷薬とかハンドクリームの素になるわね」
「へえ……」
興味深そうにしげしげと眺めるガルドウは子供のようだった。
「本来ならアルコールに浸けるんだけど、私の場合異能があるから」
水すら使わず抽出できる。
「この前頂いた物はこれですか?」
「あれは別の薬草で作ったわ。これは香草だから、香りが良い物が出来るわね」
「効能も違うんですか?」
「そうね。前のは薬だけど、こっちはどちらかというともっと日常的に使うような、化粧品みたいな感じかしら」
保湿に優れてシミ等を防ぎ傷ついた皮膚の再生を促す。異能がそう告げている。
「良かったら使ってみる?」
「私がですか?」
「ええ。朝顔を洗った後と、夜お風呂に入った後に使ってみるといいわ。首筋とか手とか日焼けするような所にも塗るといいと思うわ」
手早く残りの葉の始末を終え、葉の入ったボールを持って、「ちょっと待ってて」と言って台所へ引っ込む。
鍋一杯に用意しておいた湯冷ましを適量汲んで異能で温度を上げ、急激に下げ、更に浄化する。
ボール一杯の香草の葉を手の平から送り出した力で包み込み、ぎゅっと圧縮すると有効成分が絞り出されてくる。それを浄化した計量カップへ移す。
通常薬を入れる瓶を浄化し、そこへ規定の割合になるよう浄化水と有効成分を混ぜる。
綺麗な緑色の液体になった。
きゅっとコルクで蓋をし、そのまま庭へ持って出る。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
差し出されるまま受け取って、ガルドウは戸惑うような顔をした。
彼の中では男が化粧水をつけるというのが想像つかないのかもしれない。
「男性でも肌の手入れはした方がいいと思うわ。まあ試しに使ってみて。稀に合わない人がいるから、最初は手とかにちょっと付けて確認してね。あと、浄化はしてあるけど一ヶ月くらいを目途に使い切って。アルコールも入ってないし、あんまり長く置いておくと悪くなるから」
「はい……」
ガルドウは最後まで戸惑いつつ化粧水を持って帰って行った。