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台所へ戻ると、鎧戸を閉めて戸締りした。
---二、三年で離縁するつもりだったの?
アルテラが話しかけてきた。
「そのくらいが妥当な期間かなと思って」
居間の窓も閉め、玄関の鍵を確かめて、寝室へ戻ってきた。
「アルカミラ公爵家にとって、私は何の益もないどころか、迷惑極まりない女よ。あの公爵閣下も我慢出来てそのくらいかと思ってたの」
---離れに住んで、何の接触もないじゃない。関係は上司と部下みたいなものだし。今のままでも公爵が困ることは何もない気がするけど。
「今以上の悪評が立たなきゃそうかもね」
現状、確かに公爵は何も困っていない。
現状維持を望むなら別にそれはそれでいい。
---悪評立つのかしら?王都にいもしないのに。
「悪評以前に、エスタリア公爵家を迷惑だと思えば即離縁でしょう」
---実家とは縁を切ったんでしょ?
「それでもあの人達、何をしてくるか判らないでしょ?」
まともな思考回路をもっていない人達だもの。
浴室の下着も取り込んで、洗濯物を畳む。
全て鞄にしまって、ふう、と溜息をついた。
---熱、また上がってきた?
「いえ、あれは閣下の前を辞すための方便よ」
世間話をするような仲ではないし、気づまりだったからさっさと離れたかったのだ。
---なんだか気の毒……
「あちらだって話が続かなくて困ってたじゃない。渡りに船だったでしょうよ」
テラスに出ると、如雨露に水を汲み、雪里の土の湿り具合を確かめて水を灌いだ。
ぼちぼち冷温箱に移してやらねばならない。
反対側へ行き、正体不明の種にも水をやる。
水に反応するように、ぴょこんと芽が飛び出してきてアズュリアを驚かせた。
「あらまあ……」
そのまま水をやり続けると、にょきにょきと伸び、十センチ程度で止まった。
「何に反応したのかしら。水、じゃないわね。地の力?」
如雨露に入れたのは水路の水だ。
考え込み、アズュリアは室内へ戻る。
花台(小)に置いておいた庭師ベルトを取って腰に巻くと、ハンガーラックにかけていたローブを羽織る。
姿変えの指輪を嵌めて、ドレッサーの鏡を覗きこむ。
髪と瞳は無事茶色になっていた。
---私、転移はしないわよ。
アルテラが固い声で告げる。
アズュリアは鞄にベルトをつけて背負った。
---アズュリア?
アルテラの訝しげな呼び声に目をつむって、意識した。
離れから一番近い水路を北上し、ずっと進むと今回異能者たちと開墾した畑がある。
この時間は仕事が終わり、人気は無い。
傍には、アズュリアが管理を任されている芋の貯蔵庫でもある倉庫がある。
倉庫の鍵はアズュリアが持っている。
誰も、いない。
薄暗い、倉庫の中。
軽い眩暈はしたが、それ以上は何もなく、アズュリアは倉庫の中にいた。
---どういうことなの。
アルテラの混乱したような声が聞こえる。
アズュリアは己の中の神力を測る。
まだ充分己の身体を満たしている。
この程度の距離であれば大して神力を消費もしないらしい。
---アズュリア。
説明を求めるようなアルテラの声を無視して、倉庫の小窓から見える北側の森に意識を集中する。
思った通りの場所へ移動していた。
この時間、この辺りに人影は無いが、用心の為木の陰に入った。夕方ではあるが、夏のこととてまだ日がある。
---アズュリア、まさか、あの水浴びって……
アズュリアは体内の神力の量を確認しながら、次々と転移を繰り返し、やがて屋敷の敷地の北限へ辿り着いた。
話に聞いていた通り、川があり、水車が三基も回っていて水をくみ上げている。
小川と聞いていたが、結構な水量が流れている。どこもかしこも渇水で水を求めていると聞いているが、アルカミラだけはその心配は本当にないようだ。
水車の傍には番小屋があり、灯りが灯っていた。
常に誰かが詰めて監視しているらしい。屋敷にとっては大事な設備なので当然の用心である。
姿を見咎められてはたまらないので、即座にその場を離れ、森の中を転移した。
夕間暮れに獣が出てくるが、一度魔獣や夜盗が現れる夜道を王都まで転移を繰り返した経験があるので、気配を察すると同時に目に見える適当な所へ転移して遭遇を避け続ける事も難しくはなかった。
今回は、アルテラの力は借りていないが。
あっという間に、北山の麓へ辿り着いてしまった。
山裾には森が広がり、森の手前には集落もなくはないが、殆どは畑か牧場だった。
牧場には、羊が多く飼われているようだったが、ヤギも牛もいた。
ミルクやチーズなどの乳製品も作られているようだった。今度はこちらへ買いに来てもいいかもしれない。領都の方へ行くよりは人目がない。
そう考えながら、北山を目の届く範囲で転移しながら登って行く。
道は作ってあったが、上の方は殆ど人が通らないらしく、雑草が侵食して道がなくなりかけている。
アズュリアは鉈剣を持ち、道に沿って転移する。
やがて、森林が途切れ、岩がゴロゴロしている場所へ出た。
アズュリアは神力で見回した。
菫花石が、あちこちに転がっていた。
足下の石を拾い上げる。
白っぽい石の中から黒い石が覗いていて、この黒い石が菫花石だった。
日が暮れてしまった為、判りにくいが、日光の下で見るとこの黒い石はその名の通り菫色の花のような模様を浮かべて光る。
菫青はその模様の中に含まれていると言われている。
---アズュリア、その石には触らない方がいい。
菫青は触ると青に染まる。
染まるだけでなくそこから肌に浸透し、神経を麻痺させ、血流にのって全身を巡り、やがて心臓を止める。
ほんの微量でもその効き目は強烈で、王家が自害用に持っていたりする。
暗殺に使われないのは、青く染まるからだ。
死体の肌が青くなるのは勿論だが、飲み物や食べ物に混ぜても青くなるのでは暗殺には使えない。
針に仕込んで近づいて刺すなどの不意を突いた攻撃になら使えない事もないが、集める、塗布するなどの過程で作成者や暗殺者の方が毒に侵される可能性が高くあまり現実的ではない。
アズュリアは、神力で菫花石を見る。
毒もまた「力」だった。
受容体を持つばかりでなく、地の力は菫青に吸い寄せられてくる。
この山に地の力が溢れているのは、菫花石あるが故であった。
「どうにもならない毒だから人を寄せ付けず、辺境の峻厳な山だから更に人は来ない。この上ない条件だこと」
アズュリアは呟きながら、露出した菫花石を指先で撫でた。
---アズュリア、やめて!
アルテラは悲鳴を上げたが、アズュリアは笑った。
指先が青く染まっている。
---なんてことするの!浄化して!今すぐ!
アズュリアは石から手を放して、指先へふっと息を吹きかけた。
青は吹き飛んで行った。
---お願いだから自分を大事にしてよ!
半泣きでアルテラは訴える。
アズュリアは石を掴んでいた手を軽く振った。
「菫青は、私には効かないの」
---え……
「八年ぶりに触ったけど、やっぱり何の影響もないわ」
足元に落ちた石をつま先でこつんと蹴る。
---触った事があるの?八年ぶりって八歳の時?
「そう。王宮に上がって最初に作らされたのが菫青の毒だったの」
こつんこつんとつま先で蹴って、道なき道をゆっくりと歩く。
「いざとなれば王家の秘密や自身を守るために自害する。王子妃教育の一番初めに習ったわ。そして調薬の異能を持っているのならその毒を自分で作って常に身に着けておけと言われてこの石を目の前に置かれたわ」
あの教育係がどういう派閥から選ばれたどういう人物であったのかは判らない。
何故なら初回しか来なかったからだ。
二回目からは何事もなかったかのように全く別の教師が授業を始めた。
「私の異能は薬草栽培との組み合わせだと思われていたから、鉱物系の毒を扱わせるなんて、それ自体死ねと言われているようなものよ。私が石を素手でつかんだ時のあの教師の顔、忘れられないわ」
にやりと笑ったのだ。
エスタリア公爵家の政敵から差し向けられた人間だったかもしれないし、単純に第二王子の婚約者狙いのどこかの家からの刺客だったかもしれない。
アズュリアは異能を発動して、用意された菫花石から菫青を抽出した。
薬瓶をよこせと教師に言うと、教師は初めて狼狽えた。
用意していないから持ってくると言って退出し、戻ってこなかった。
アズュリアは、常に持ち歩いているのに誰にも注目されない鞄から予備の薬瓶を出し、そこへ菫青を入れ、蓋をした。
石が乗せられていたトレイには微量の青い粉が付着していた。
それを浄化し、青く染まった己の指に気づいてそれも浄化し、何故か部屋から退出させられていた侍女を呼ぶ為に扉を開けた。
教師に毒を調合させられ、薬瓶が無いと言うと、持ってくると言って出て行ってそれから帰ってこない、状況をそのまま、たまたま見つけた衛兵に告げている最中意識をなくしてその場で倒れた。
丸一日、意識が無かったらしい。
気が付くと王宮内の客室に寝かされていた。
王妃付きの侍女が様子を見に来て、毒で倒れたのだと聞かされた。
毒が菫青であれば、倒れる程度では済まないと思ったが、提出した毒は紛れもなく菫青であると鑑定された。
その為、「たまたま運がよかった」という事で決着させられた。
八歳の子供にはどうしようもなく、それを受け入れた。
頑張ってストック作ろうとしているんですが、書いたはしから投稿したくなってしまう……
誤字脱字、矛盾が一杯あるんで、せめて二、三日は寝かせて冷静に読み返さにゃいかんのですが(それでも間違いはいっぱいある)。
沢山読みに来て頂いてありがとうございます。
一回しか更新していない日だったのに申し訳ないです。
いいね、評価、ブックマークありがとうございます。




