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03

 「台所で申し訳ないですが」


 そう言って、庭から網戸を開けて公爵と背後に控えていた家令を室内へ招いた。


 台所は家の半分を占めているのではないかという広さだった。


 玄関側の居間より広い。


 大き目のテーブルは古びて木目の風合いも良く、クロスなどかけられていない。端の方に薬研やハーブの入った籠などが置いてあり、普段は作業台として使用されているようだった。


 見回すと、壁際にしつらえられた棚には薬草が整頓して納められ、あちこちにハーブがぶら下げられている。


 台所というよりは、調薬室だった。


 竈ではなく、卓上の焜炉を使って湯を沸かし、アズュリアは茶を入れた。


 柑橘類の香りがした。


 「ハーブティーです。済みませんが紅茶葉等は用意がありませんので」


 繊細ではあるが実用一辺倒の真っ白な陶器のティーカップをすっと目の前に置かれる。


 更にテーブルの片側に寄せられていた四角い缶の蓋を開けた。


 中にはハーブを練り込まれたクッキーが入っていた。


 「私が作った物ですから毒見いたしますね」


 そう言って、家令を見、中の一枚を選ばせる。


 家令は一瞬眉をしかめたが、言われるまま一枚を選び、アズュリアはそれを取り上げて口に入れた。


 そして飲み下してから、テーブルへ置いた。


 「そこまで気にしなくてもいい。私は「魔力」を使って毒の有無が判る」


 「あら、そうですの。便利なものですわね」


 アズュリアはそう言うと、三杯入れたティーカップのうちの一つを流し横の作業台へ置いた。


 「あなたもどうぞ。一緒のテーブルに着くわけにもいかないでしょうから」


 家令に告げて、自分は公爵の対面に腰を下ろした。


 家令は毒見とばかりに一番最初に口を付けた。アズュリアはそれを見ながら自分もカップを取り上げた。


 遅れて公爵も手を伸ばす。


 「そなたは料理をするのか?」


 ほんのりと甘みのあるハーブティーは癖もなく、爽やかな香りで飲みやすかった。喉の奥がすっとする。


 「切ったり焼いたり煮炊きしたりは薬を作るのと一緒ですから」


 「ああ、そうか。では調薬の異能を持つ者は料理の才もあるのか」


 缶からクッキーを一つつまみあげ、公爵は一口それを齧った。


 ほろりと柔らかく、バターの香りが立った。


 「閣下、料理のうまい下手は経験ですし、本来なら調薬だってそうです」


 うまいな、と思いながらクッキーをかみ砕いているとアズュリアが微笑みながらたしなめるように言った。


 目を向けるともう一度微笑む。


 「閣下は異能の研究者でもいらっしゃるのでそういう視点になってしまうのでしょうが、調薬が出来る者は料理に必要な手順に慣れているだけです。異能の派生ではないと思いますよ」


 「そういうものか?」


 「ええ」


 アズュリアは目を伏せてこくりと茶を飲み下した。


 「そなたは異能には否定的なのか?」


 公爵が不思議そうに尋ねる。


 アズュリアは目を開いて、ふ、と息をついた。


 「あまりいい事もありませんでしたからね」


 カップを置いて、ぼんやりと窓の外を見やった。


 アズュリアが来てから晴天続きだったが、今日もいい天気だった。空が青く眩しい。


 「だが役に立つ能力ではあるだろう?」


 「そうですね……」


 そのおかげで、先だっての毒にも対応できたではないか、と言うと視線を戻された。


 「異能が無ければ、そもそもが毒を負うような目に合う事もありませんでしたよ」


 それのせいで王子などの婚約者に決められてしまったのだ。


 舞踏会での婚約破棄の件は、当然秘されるはずもなく、遍く貴族家に知れ渡っていた。その後の襲撃事件の方が重大事ではあったが、忘れている者はいない。


 「そういえば、そなたの妹だが」


 話を変えるために、思い出したように告げる。


 「王妃殿下に勉強をやりなおしてこいと言われたそうだ。王子妃どころか、高位貴族の令嬢としても足りていないとはっきり拒否されたそうだ」


 「そうですか」


 幼いまま身体だけ成長したような所のある堪え性のない子だった。


 ダンスだけは熱心に練習していたが、それ以外は三十分以上座っている事が出来ず、すぐに母親の元に逃げ込んでいた。


 あれでは確かに王子妃どころか貴族家の嫁も無理だろう。


 「公爵夫妻には、一体どういうつもりで教育をしてこなかったのかと真顔で尋ねたとか」


 ふ、とアズュリアは笑った。


 「貴族家の親は子供の教育をきちんと行う義務がある、とされていますからね」


 昔、余程の事があったのか、王国法にきちんと明言されている。


 「あれは生まれついて可愛らしく、その容姿を最大限利用して愛らしく振舞い、両親を骨抜きにしていましたから。私から見れば、あざといだけでしたが、可愛いだけで皆盲目になるものなのですよね」


 面倒だからと考えることを拒否するような頭の悪さだったが、反面人に取り入るのがうまく、そういう意味での器用さとずるがしこさはある。


 うまく利用すれば何かの役に立つかもしれませんよ、とアズュリアは言った。


 「王子がうまく制御できれば良かったのでしょうけども」


 「あの王子では無理だろう」


 思い込みが激しく短気な王子を思い出しつつ公爵は首を振った。


 実際、舞踏会などという衆人環視の中で婚約破棄を叫ぶような真似をしたのは、妹に唆された面もあるのではないかとアズュリアは思っている。


 何か、都で流行っている芝居にそういう物があるとか騒いでいたような気がする。


 あの場にいた誰もがそれを知っていたが為、王子の愚かさはますます強調されることとなった。


 舞踏会には隣国の王族も参加していたはずだ。挨拶する前に騒ぎが起こったので顔は見ていないが、恐らく周辺国にも噂は広がっているだろう。


 「国内の高位貴族の中から今更婚約者を決めるのは無理があるでしょうし、周辺国の王女に嫁入りか婿入りを望んでいただける適当な方もいなかったように思いますが、どうなさるんでしょうね」


 「気になるか?」


 「いえ別に」


 もう関わり合いになりたくない、とアズュリアは続けた。


 王家だけでなく実家も妹も。


 「エスタリア公爵家の領地は豊かですし、父も割合まともな領地経営をしていましたが、あのざまでは先行き不透明です。面倒な事を言ってくるようなら無視して下さい」


 「いいのか?」


 「甘い顔を見せたら食らいついて骨までしゃぶろうとしてきますよ。多分」


 特にあの妹は、自分の都合しか考えていない。


 目の前の男は、瞳を見ればその酷薄さは明らかであるのに、単に美形であると言うだけで妹は色目を使ってくるだろう。


 第二王子の線がなくなったら、近づいて来るかもしれない。あれは、とにかく姉の物が欲しいのだ。


 今回の形だけの婚姻は、褒賞も兼ねているが表向きは異能研究の為、ということになっている。今の所妹の関心が無いのは恐らくそのためだ。異能が無いのは悔しがったが、異能研究が絡みだすと協力は王命になる。面倒だ、という思いが強いのだろう。


 「君が実家をどう思っているのかはよくわかった」


 公爵の言葉に物思いから帰ってくる。


 言葉に僅かに混ぜられた毒に、アズュリアは皮肉な笑みを浮かべた。


 「信じるも信じないも閣下次第です。よく調べてご判断下さいませ」


 それきり黙り込む。


 二人は沈黙を保ったまま、菓子と茶を楽しみ、やがて家令が「そろそろ」と時間を告げ、公爵は退出する事となった。


 居間へ続く扉を開け、表から帰ってもらう事にする。


 公爵も家令も今の様子を確認するようにぐるりと見た後、玄関扉を開けて待ち受けるアズュリアの傍へ歩み寄る。


 「過不足なく暮らしているようだね」


 「ええ。こちらを用意していただけて有難いです。感謝しています」


 「大したことではない。暫く誰も使っていなかったのだ。好きにしてくれていい」


 「ええ」


 感謝しているのは本当なので、アズュリアは微笑んでおいた。


 そのまま出ていくかと思われたが、「失礼ですが」とそれまで黙っていた家令が話しかけてきた。


 「侍女とメイドはどちらでしょうか」


 「え?」


 アズュリアはきょとんとして家令を見る。


 それで何かを察したように、家令は渋い顔をした。


 「モップが仕舞われておらず、居間の隅に出しっぱなしになっております」


 言われて、ああ、と窓辺に目をやる。


 「午前中、掃除をしていたら、庭師のガルドウが来る時間になって慌ててちょっとあそこに置いちゃったのよ。失態を犯した使用人はいないわ」


 敢えて言えば私の失敗ね、気を付けるわ、とアズュリアは笑った。


 「奥様、こちら担当の侍女とメイドはこちらに来ておりますか?」


 家令は冷ややかな表情で重ねて尋ねる。


 「見たことがないわね。でも掃除も炊事も洗濯も全部自分で出来るし、他人に入ってこられるのも面倒だから今のままで構わないわ」


 これからも、誰も来させないでね、と念を押すように言うアズュリアに家令は固まった。


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