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 畑の芋は三日で繁って、一週間で実をなした。


 土から引き抜いた根にはごろごろと芋が連なり、大豊作と言ってよく、流石に収穫は人を雇った。庭師の家族や、屋敷の畑を世話している者達の家族だったが。


 それを持って、アズュリアは庭師頭を通じて本邸の公爵へ報告書を出した。


 日照りが続き、食糧不足が深刻化する気配を感じた場合は、選択の一つとして御一考をと。




 公爵が再び離れを訪ねてきたのは報告書を提出した翌日だった。


 今度は家令の他に執事長まで連れている。


 敷地内とは言え、何度も先触れもなく尋ねてくるとは。


 アズュリアは今日は調薬の最中だった。


 執事長が庭へ回って声をかけてきたが、玄関から三人を迎え入れた。


 台所への扉は開けっ放しだ。


 「調薬室は締め切るか、開けっ放しで私が人の出入りを見られるようにしておきたいので」


 そう断って、ソファにかけるよう言うと、台所、いまや調薬室へ入って茶の準備をして戻ってきた。


 家令と執事は公爵の背後に控えているが、人数分の茶は入れてきた。


 茶菓子は相変わらず手作りのクッキーを皿に盛ってきた。


 「毒見は必要ないとの事でしたわね」


 そう言って、向かいに座った。


 居間は台所に比べると狭い。


 殆ど必要最小限のスペースとソファセットが置いてあるだけだ。


 北側に向いて開いている窓の下にチェストが一つありはするが中身は何も入っていない。


 普段は使う事のない部屋で、アズュリアも通り過ぎるだけの場所である。


 「この前と同じで台所でよかったんだが」


 公爵が言う。


 「今は調薬中です。知識のない者が触ると危ない物などもありますので」


 「そうか」


 ティーカップを持ち上げて口を付ける。


 いくら毒見は必要ないとはいえ、アズュリアが入れた物なので真っ先に口をつけなければならない。


 それを見て、公爵もカップを持ち上げた。


 皿の上のクッキーも一つ取って口に入れた。


 公爵はそれにも手を伸ばした。


 「そなたの作る菓子はうまいな」


 「バターや砂糖をふんだんに使っているからだと思います。材料が良ければ大概のものは美味しくなりますよ」


 「そういうものか」


 「ええ」


 最近、同じ話をしたことを思い出す。


 ---えええ、口が肥えてる貴族が食べてもアズュリアの作った物が美味しいって言うの?


 アルテラがすかさず話しかけてくる。アズュリアは無視した。


 「所で、昨日の報告書の件だが」


 公爵は用件を告げる。


 「はい」


 「先ほど畑へいって確認してきた。農場の保管庫へ納められた収穫した芋も見てきた」


 「はい」


 「俄かには信じられないが、ここの庭が現実なのは判っているし、一部始終を見ていた庭師にも確認した」


 「はい」


 「そなたが危惧している通り、雨が降っていない。アルカミラだけでなく、穀倉地帯と呼ばれている南領や、王都もだ」


 「そうですか」


 「麦は備蓄がある」


 「では貴族は心配いりませんね」


 もとより貴族の心配などしていない。


 「問題は庶民だ」


 芋も農家それぞれに備蓄はないでもない。


 だが庶民は農家のみではない。


 「私が一人でやれる事ですから、限度はありますが、今から準備はしておきます。異能で芋の保存もどうにかできるかもしれませんし」


 「済まないが頼む。我が領だけの事ならなんとでもなるが、これほど広範囲となると」


 いささかほっとしたように公爵は力を抜いた。


 「主食の問題は、まあ来年は雨が平常通りに降るとして今年はなんとかしのげるとしましょう」


 それでもあちこち問題は出るだろうが。


 「問題は水不足ですわね。特に王都は井戸が枯れたりすると目も当てられない状況になるでしょう」


 「ああ、王都は下水も整っていないし、川の水は使えない」


 衛生状態も悪くなるだろう。今以上に。


 貴族は王都よりましな状況を望む者は領地へ籠ればいい。水が豊かな土地はある。王領にもあった筈だ。


 ここでも問題は庶民だ。


 「お目にかけたいものがあります。庭へ回っていただけます?」


 そう言って、アズュリアはソファから立ち上がった。


 公爵たちと一緒に、玄関から出て庭へ回った。


 そして水路から引いている水が流れ込んでいる水槽へ案内する。


 中を見ると、澄んだ水の中に、透明な何かが沢山沈んでいるように見えた。


 アズュリアは袖をまくりあげて(今日も安定の庭師ルックに調薬ローブだ)その中へ手を突っ込むと、丸く透明な塊を掴みあげた。


 ゼリーのようにも見える。


 アズュリアはそれを畑の土の上でつかみつぶした。


 ぱしゃん、と予想以上の水があふれ出して土を濡らした。


 「今のは?」


 公爵は水槽の中へ視線を戻した。


 「南方の植物の葉から抽出して作ったゼリーですが、こういう粒を」


 ローブの下、腰につけているバッグからごそごそと出してきたものは、錠剤といっていいほどの大きさだった。


 「水に浸けますと」


 ぽんと水槽へ放り込む。


 そして再び中へ手を突っ込んで先ほどと同じゼリー状のものを掴みだす。


 「ものの数分でこのようにたっぷり水を含んで膨れます」


 「つまり……?」


 「水を運ぶ手段が出来るという事ですわね」


 公爵は顎を擦った。


 「先ほどご覧にいれたように、見た目以上に水を含んでいます。今は掴めば潰せますが、少し外気と日光に触れさせると表面が硬化しますので、そうすると刃物で裂かないと破れません。まあでも輸送においては好都合でしょう?」


 「これは、権利関係はどうなっている?」


 「発見考案は私です。薬師院へ報告登録もしてありますが、権利は放棄していますから誰でも好きに使えますよ」


 「一体、何故、いや、今まで誰も見向きもしていなかったのはどういうことだ」


 呆然と公爵は呟く。


 「まずこの植物は南方の砂漠近くが原産地ですが、こちらでは栽培が難しいという事が一つ。原産地の方は貧しく、食料以外の植物を育てる余裕がないことが一つ。あと、こちらの人は庶民にとって便利な物には興味がない」


 ゼリー玉を水槽へ投げ戻して、テラスの屋根の下へ三人を案内する。テーブルの上には表面が硬化したゼリー玉が置かれていた。それを公爵へ渡すと、公爵は興味深げにつつき、強めに指で押したり、引っ張ってみたりした後、執事長にナイフを持ってないか尋ねた。


 アズュリアが腰のベルトからナイフを抜いて公爵へ差し出す。公爵は驚いたような顔をしつつも受け取り、テーブルにゼリー玉を置いて、その表面に刃先を滑らせた。


 すっと切れ目が入ると、内部から予想以上の水が溢れだしてテーブルから流れ落ちた。


 全て零れ落ちた後には、一枚の抜け殻のようになった透明な膜が残った。


 「植物は現地で薬草として扱われています。私も薬草として分析しました。実際薬草としても優秀です。今のところ、大量に栽培できるのは異能持ちの私しかいませんので、この知識も技術も、私専用ですけれどもね」


 「皆、薬としか思っていないから、商業利用は考えもしなかった、という事でもあるのか?」


 「ま、この商品とて薬剤と言えば薬剤ですし」


 苦い薬を包むのに使える、とアズュリアは言う。


 「そういう技術も薬師院に登録済みです」


 「なるほど……」


 アズュリアへナイフを返し、公爵は残った膜を指先でつまみあげて強度を確認するように引っ張ってみる。


 「胃に入れば胃液で溶けて無害です。硬化した膜で覆われた状態だと、煮沸消毒した水で半年は変質しません。直射日光は避けて欲しい所ですが、それ以外であれば保管場所も問いません」


 「これも量産可能か?」


 「畑の拡張を許可下されば」


 「勿論、必要なだけ許可しよう」


 「では、明日からでも作業に入ります」


 アズュリアはローブの端を両手で持って淑女の礼を見せた。


 王宮で厳しく磨かれた一つの乱れもない優雅な動きだった。


 米神に咲いた傷跡もそれを彩る装飾に見えた。


 背景は畑で、髪は平民でもあり得ないほど短く、着ているものは調薬用ローブの下はシャツにレギンスの庭師仕様、足元は武骨なブーツ。


 貴族令嬢としても、公爵夫人としても、考えられない姿であるにもかかわらず。


 「ガルドウは助手としてお貸しください。出来るだけ業務に支障のないようには致します」


 「庭師たちにはそなたに協力するよう今までも言ってきたし、これからもそうするよう言っておく」


 「ありがとう存じます」


 それで話は終わりだとばかりに、アズュリアは三人を先導するよう庭を出た。


 「奥様」


 そこで初めて執事長が話しかけてきた。


 「何かしら?」


 「畑作業と薬草栽培と調薬と、お忙しいでしょう。せめて掃除や洗濯のメイドを入れられませんか?」


 振り返ると、初日あれ程冷ややかな眼差しを向けていた執事長が気遣わしげにこちらを見ていた。家令も、公爵さえ同じ目をしていた。


 どこまでが本心かは判らないが、事前に申し合わせはしてきたのだろう。


 「折角だけど、人を入れたくないの。もうここは調薬の為の場所だから」


 「お体が持ちませんでしょう」


 アズュリアは考え込むような顔をした。


 「奥様?」


 「八歳から八年そうやって生活してきたから、慣れてるわ。王都にいる時は、この上に王子妃教育なんかもあったから、睡眠時間が足りなくていつも眠かったけど、今は夜ぐっすり眠れる分だけ体調はいいのよ」


 強風が吹いて、ばたばたと何かがはためく音がした。


 テラスの端、丁度寝室庭の壁のこちら側に、物干し場が作ってある。そこに干したシーツがはためく音だった。


 「ああ、シーツは時々洗濯してもらってたわ……。実家じゃなくて、王宮の方で。よく調薬室に泊まり込んでたから」


 実家じゃ自分で洗ってたわ、とアズュリアは笑った。


 「別に使用人たちに意地悪されてたわけじゃないの。私に構うと妹の機嫌が悪くなるから、皆仕方なくね。両親は妹の言う事しかきかないし。そういうわけで、私、前も言ったと思うけど、自分の事は自分で出来るのよ。心配しないで」


 「奥様」


 今度は家令が口を開いた。


 「何かしら?」


 「旦那様との契約に衣食住は保障するとございます」


 「ええ」


 「こちらへおいでになってそろそろ二ヶ月でございます」


 「もうそんなになるかしら」


 「奥様の為の予算が全く手つかずでございます。食は厨房で食材をお分けしていると聞いておりますが、衣はどうしてございますか。住とて、住処はともかく、こちらを用意した侍女に確認した所、寝室には寝台とドレッサーと小さな箪笥があるきりだと伺っております」


 一瞬黙って、それからアズュリアはふ、と微かに笑った。


 家令は顔をしかめたが、アズュリアは、寝室のスカスカ具合が、予算で充実させるのが前提だったと知っておかしくなっただけだ。嫌がらせではなかったらしい。


 「ご心配ありがとう」


 笑みを浮かべてアズュリアは言った。


 「まず衣は別にね、ご覧の通りだし」


 ぴらりとローブをつまんで見せる。


 「これは市販の物だけど、自作も出来るのよ。順番に着てるの。下のシャツもレギンスも自作」


 先ほど錠剤を出した後、ローブの前を留めていなかったので、中に着ている物も見えている。今日は上下黒で、アズュリアがあの黒い布から作った物だった。 


 「こんな風だから、別段寝室に今以上の家具はいらないの。充分よ」


 「しかし……」


 「ご存じでしょうけど、私は薬師だから、薬の収入もあるわ。ちょっとした物なら自分で買えるの。あと、庭というか畑というか、そっちの作業道具は庭師たちから提供してもらってるから……、ああ、じゃあ、予算は庭師予算に足してあげて?」


 「公爵夫人の予算は庭師予算とは比較出来ませんよ。いくらか妥当な分を上乗せするとしても、相当額が残ります」


 「じゃあ他の有意義な事に使って下さいな」


 「そういうわけには……」


 公爵家の面子もあるのだろう。アズュリアは苦笑する。


 この家には女主人がいない。公爵の両親は同居していないし、兄弟姉妹も同様。確か両親は街中の貴族街に住んで、そちらの魔力研究所に今でも足を運んでいるらしい。公爵には弟と妹がいるが、弟は爵位の一つを受け継いで家を出ているし、妹はアルカミラ親族の伯爵家に嫁いでいる。どちらも魔力研究に従事している。誰も家政には目を向けていない。そもそもそういう家ではないのだ。


 今までそのあたりを守ってきたのは執事長であり侍女長なのだろう。


 恐らく独身主義と思えた公爵が、漸く結婚したかと思えば、やってきた嫁は悪評塗れ。実体は公爵令嬢とは名ばかりの土と薬草に汚れても全く気にしない庶民より常識の外れた女。


 二人の内心の嘆きが想像できて、気の毒にも思える。

 

 ---私には関係ないけれども。


 アズュリアはふいと視線と意識をそらした。


 「薬を作るか畑を這いまわるしか能のない女には過分な物です。何か必要となれば都度連絡します」


 「奥様……」


 執事長が何か口を挟もうとしたが、公爵が手を上げてそれをとめた。


 「これから日照りに備えて活動するのであれば、予想外の物入りもあるだろう。そのための資金として使用しよう」


 「是非ともお願いいたします」


 再びローブを持って礼をした。


 それきり黙って表へ向かう。


 「奥様、流石にクローゼットが無いのは不便ではございませんか。小ぶりなものもございますのでよろしければお運びしますよ」


 玄関前で執事長が言った。


 アズュリアは小首をかしげた。


 「特に必要ないわ。むしろ小ぶりな衝立があればそっちをお願い」


 「衝立でございますか?」


 「そう。窓と寝台の間に置くの。外から覗き見られないように」


 執事長がぎょっとしたような表情を浮かべたのを、アズュリアは無表情に見返した。

見直す度に誤字脱字。

誤字脱字だけならともかく、表現の重複もあったりして、眩暈がします。

なんだかなあ……

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