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02

 ここへ来るまでのあれこれを思い出して、溜息をつきそうになった。


 侍女に案内されたのは、広大な屋敷の敷地の片隅にある小さな建物だった。


 物置小屋も覚悟していたが、庭師などが住む家よりも上等な作りであった為不思議に思ってぐるりを見回した。


 「先先代様の奥様が、庭を楽しむために建てられたそうです」


 侍女が疑問に答えるかのように言った。


 「その後、先代様が市井で見染めた方がお住まいになったとお聞きしております」


 言い換えれば、今からお前の住む場所は先代が愛人を住まわせていた場所で、お前にはお似合いだと言われているも同然ではあるが、離れに住みたいと言い出したのはアズュリアである。


 「そうなのね」


 何らかの反応を期待していたらしい侍女は目を眇めたが、アズュリアは気にせず鞄を部屋の隅に置いた。


 建物は平屋で、玄関扉を開けると居間になっており、ソファとテーブルが置かれている。奥に扉が三つ。


 一番左の扉を開けると、台所だった。


 「まあ」


 床は土間で石を敷き詰めてあり、広々としていた。そのまま裏庭へ抜けられる開口部が大きくもうけられている。


 高価なガラスが一面に使用されており、居間より明るい。


 大き目のテーブルと六脚の椅子が中央に置かれている。


 そちらへ向かうように流し台があり、作業台と、かまどが二つ並んでいる。


 流しを挟んだ壁際には食器棚がしつらえられており、古いながらも良い風合いを出していた。中を覗き込むと、一式シンプルな白の食器が揃っているようだったが、大部分はスカスカで何も入っていない。反対サイドに扉がありその両脇にも棚がある。


 そちらの扉を開けると隣室は農作業具等を置いておくらしき物置になっていて、こちらも庭側に出入りできる扉があった。


 これはいい。台所は調薬室にしよう。


 アズュリアは本当に久しぶりに心が弾んだ。


 



 朝一番に台所の掃きだし窓の鎧戸をぱたぱたと片側に寄せ、ガラス戸を全開にする。


 珍しい網戸を引いて虫の侵入を防ぎ、朝食の支度をする。


 湯を沸かし、茶を入れる。


 フライパンを火にかけて、ベーコンを焼き、卵を落とす。


 籠にパンを盛り、ベーコンエッグを乗せた皿に畑でちぎってきたハーブ類や二十日大根を乗せる。


 塩にぴりりと胡椒に似た刺激のあるハーブを砕いて混ぜ込んだ調味料を振る。


 テーブルについて、食事を始める。


 ハーブも野菜も卵もベーコンもパンも全て美味しかった。


 久しぶりにゆっくりと朝食をとれる日々に、ほっと息をつく。


 アルカミルに来てから、心身ともにリラックスできているような気がする。


 窓の外を見やると、裏庭の畑が見える。


 半分は、薬草の種をまいたが、異能の力か三日で青々と茂って庭師を絶句させた。


 十種類以上あり、それぞれ区画を作って分けていたが、その印が見えないほどどの種類も一様に繁茂している。


 もう半分には玉ねぎとジャガイモ、端の方にキュウリや二十日大根等を植えた。


 こちらもふさふさと葉が茂っている。


 季節感が全くなく、庭師は信じられないと言いたげにアズュリアを見たが、肩をすくめて笑っておいた。


 アズュリア自身も説明のしようがないのだ。


 だが、アズュリアが鍬を持って畑を耕せば、さくさくと地に刃が通り、土は柔らかくなり、肥料を混ぜたように肥える。


 そこへ植物の種を撒けば、瞬く間に成長し実を結ぶ。


 全て異能のなせる業だったが、宮殿内の薬草畑の世話をしている時は、ここまで顕著ではなかったように思う。


 普通に育てるよりは早いかな、と感じる程度だった。


 もっとも、宮殿内に調薬室と畑を与えられたのは八歳の頃で、己の異能の事もまだよく判っておらず、担当医師と薬師に指示を受け、言われるがまま試行錯誤を繰り返す所から始めたので、己の力がどのように変化しているのかはあまり意識もしてこなかった。


 一度繁った薬草畑は、常に青々としていたからだ。


 てっきり異能は「薬草栽培」というからには、薬草の栽培にしか発揮されないのだと思い込んでいた。


 土を肥やす所から出来るのであれば、植物は全て栽培し放題である。


 宮殿内の薬草畑で、野菜を育てるなどという考えも及ばず、アルカミルに来てから己の力の汎用性を知って驚いたアズュリアであった。




 初日に侍女に頼んで呼んでもらった庭師頭は、真っ白い頭と良く日に焼けた顔をした気のいい老人だった。


 家の裏に当たる部分を畑にしたいと言うと、現状適当に花を配置しているだけなので畑にすること事態は構わず、庭の周囲も木立になっているので景観がどうという話でもないが、畑にするには耕して土を作らねばならず、そこまでここだけに注力する人手が無いと庭師頭ははっきり告げた。


 「作業は私がするから大丈夫」


 アズュリアはにっこり笑って言い、庭師頭をぎょっとさせた。


 奥方にそんなことをさせられない、いやそれ以前に農作業など出来るわけがない、と首を振る庭師頭の前で、物置部屋に置きっぱなしにされていた古びた鍬を持ちだして、さくりと土に突き立てた途端。


 真っ黒な土が掘り返された。


 さくさくさく、と三度鍬をふるえば、庭の一部はあっという間に畑の土になった。


 「私、「薬草栽培」という異能を持っているの」


 庭師は暫く固まり、アズュリアはその間にさくさくと鍬をふるって庭の半分を耕した。


 再起動した庭師は弟子の一人を呼んできて紹介した。


 無口な若い男は外国出身で、濃い髪の色をしていた。


 そして、「花栽培」の異能があるという。


 「確かに、花を健康に咲かせる腕は庭師の中でも一番ですが、奥様程の力の発動はありません。私としても自分にない異能なんてものの持ち主の育て方が判らず、普通に庭師として教える事しかしてこなかったのですが、奥様、こちらの担当をこの男にしますので、教えられる事があれば教えてやってはもらえませんか」


 頼み込まれてしまった。


 「何か教えられる事があるかしら。私庭師ではないのよ?」


 そういって困った顔をしたアズュリアだったが、畑の周囲に花を植えたいので一緒に作業してもらうのはどうかと提案した。


 屋敷の広大な敷地を数人の庭師で手入れしている現状、男の担当もアズュリアの畑のみというわけでは勿論なく、一日の内のほんの短い時間を一緒に作業することになった。畑の周囲のささやかな隙間にほんの少し花を植えるだけだ。短期間で済むし、男の手間でもないだろうとアズュリアは考えた。


 実際、庭の中に植わっていた花を掘り起こして、植え替える作業が殆どだった。


 畑の周囲を囲うように、ここと思った場所へ鍬を入れるとふかふかの黒い土が出来上がる。そこへ穴を掘って植え替えてやる。その繰り返しだった。


 だが、鍬やシャベルで土を掘る度、上質な土が現れる状態に男は目を見開き、じっとアズュリアの作業を観察して手伝い続けているうち、男も肥えた土を掘り返せるようになり、アズュリアを驚かせた。


 「何を言ったわけでもないのに、似た異能同士だと影響し合うのかしら?」


 新しい発見だった。


 王宮に報告すれば喜ばれるだろうと思ったが、そうする気になれなかった。


 実を言えば、アズュリアはしがらみだらけの王子の婚約者としての生活に疲れ果てていたのだ。


 睡眠時間を削る詰め込み式の教育の上に異能の研究まで課されて、常にふらふらだった。「ゆっくり寝たい」と思いながら生活していたのだ。


 こちらから王宮に敢えて連絡を取る事など今はしたくなかった。


 「どこかへ報告されますか?」


 黙り込んだアズュリアへ男が聞いてきた。


 男の濃い色の瞳にはそれを望まない色が浮かんでいるように思えた。自分と同じ。


 「やめておくわ」


 そう言って笑った。


 「もう王宮の住人ではないもの」


 溜息のように呟いた。





 アルカミル公爵家はその始まりが異能によってなされた家であった。


 祖は数代前の王弟であったが、その人物に発現した異能は「魔力」と「分析」。


 希少な異能だった。


 「魔術」や「魔法」よりも。


 それらの異能は何故そういった力が行使できるのか、そもそもその力は何であるのか、異能者本人も理解が難しい為、現れた一代でその能力を行使する以外なかったが、「魔力」そのものが異能である場合、考察も研究も可能なのだ。しかも「分析」が同一者に発現した。


 王国は長年、時折気まぐれに現れる異能というものをなんとか制御したいとあれこれ試し続けていた。


 異能を研究する機関が王家直轄に設立され、専門家も存在する。


 それでも遅々として理解は進まない。


 それが、「魔力」という異能を持った者が現れた事で変化した。


 アルカミル公爵家の祖であった王弟は、魔力を分析し、魔法や魔術への理解を深めた。


 そして魔法、魔術の異能者に対して分析に基づいた教育を行うと、制御能力も威力も格段に上がったのだった。


 王弟は王に願って魔力研究所を設立し、初代所長となった。


 同時に、異能と呼ばれる力の根源も、分析の結果魔力であると報告された。


 魔力という物は、目には見えないが空気のように地に満ちていて、人間はそれを呼吸するように取り入れているが、蓄積しておけるかどうかは体質による。蓄積しておける人間に発現するのが異能であろう、と王弟は予測した。


 その体質を取り入れ、出来るだけ異能者を発現させたいと願って王家は以来、異能者を血に取り込む事に熱心になった。


 貴族家も同様である。


 故に、異能者は王家や貴族家に多く出現するようになった。


 アルカミル公爵家は普通の貴族家に比べると頻繁に「魔力」の異能者が産まれる。


 他の貴族家と違って、公爵家自体は婚姻によって異能者の出現を促そうなどとはしなかったが、初代の体質が強すぎたのか、何時の時代も必ず血族の誰かに「魔力」の異能者が産まれる。


 公爵家は、初代の意思を尊重し、「魔力」異能者を当主とし、魔力研究所所長としてきた。


 長年の功績を持って、アルカミラ公爵家は特異な地位を得、社交も免除され、研究第一を許されて存在している。




 実はアズュリアが王宮で薬草栽培や調薬を試行錯誤していた時に指導していた医師も薬師も、その指導については異能研究所がサポートしていた。


 アズュリアはあまり顔を合わせたことはなかったが。 


 そして魔力研究所の所長は異能研究所の顧問を務めているとも聞いている。


 繋がりが無いわけでもなかった。


 アズュリアの事も報告は受けていたのだろう。


 故に、全く興味がないというわけではなかったのだろうとは思うが、いきなり訪ねてこられるとは思わなかった。


 庭師の男---名はガルドウというらしい、に貰った麦わら帽子を被り、庭師が着ているような長袖シャツと足首まで覆うレギンスに頑丈なブーツ、これもまた厚手の庭師の手袋をつけて、庭師と一緒に花を植えている所だった。


 どうしても、一画に薔薇を植えたいとガルドウが言うので。


 アズュリアはどちらでも良かったが、台所のテーブルに座ると良く見える位置である事に気が付いて、納得はした。


 ガルドウによると、植えた薔薇は彼によって品種改良されたもので、紫の花弁が開くそうだ。


 奥様の土でどのように育つか見てみたい、と言われ、正直でいいと思った。


 そんなこんなで、土にまみれている最中だったのだ。




 公爵は最初、玄関から呼びかけたそうだ。


 だが、返事がなく、裏へまわり、畑作業中の書類上の妻と庭師を目に入れた。


 妻の庭師と同じ格好に流石に目を見開いたがそれだけで、妻の方もまた、目を見開いたが「何か御用ですか?」と冷静に問うた。


 「いや、そなたの様子を確認に来ただけだ」


 さようでございますか、とかがめていた腰を上げ、軽く手をやって伸ばすと、畑を示した。


 「庭師と相談してこのように致しました。木立に囲まれておりますし、景観は問題ないと思います」


 畑の半分は薬草類が青々と占め、半分は黒々とした見るからに肥えた土からにょきにょきと野菜の茎と葉が突きだしている。


 「元は畑ではなかったのだよな?」


 公爵は確認するように、傍にいた庭師に尋ねた。


 「はい。見た目に問題がないような花を植えておりました」


 「なるほど。「薬草栽培」は土も肥やすのか?」


 公爵はアズュリアへ尋ねた。


 「そのようです。わたくしもこちらへ来て知りました」


 「宮殿にも薬草畑を作っていたと聞いたが?」


 「あちらはわたくしが八歳の頃に作った畑です。異能は発現して三年経っておりましたが、何が出来て何が出来ないかもわからず、協力してくれた庭師も薬師も「普通よりは多少薬草の成長が早いか」と言った程度の認識だったかと思います。ある程度薬草が育ってからは、常に青々としておりましたので」


 「なるほど。認識する暇がなかったか」


 「薬草の為の土でしょうから、その他の植物には向き不向きがあるでしょうが」


 「だが、有用ではあるな。薬草と一緒に植えているから野菜も育ちがいいのか。野菜だけなら効果は無いのか」


 「やったことがないので判りませんが、実験なさりたいのですか?」


 「そうだな」


 アズュリアは溜息をついた。


 「契約には入っておりませんよ」


 言われて、公爵は鼻白んだようだった。


 「そなたは自分の異能に興味はないのか?」


 「ありますが、確認は自分の調子と相談して自分だけで行いたいです」


 言われて改めて妻の顔を見る。


 右のこめかみから顎にかけて走っていた傷には当て布され包帯が巻かれている。


 「この前まで傷がむき出しだったと思ったが」


 「漸く余裕が出来たので、傷薬以外の手入れも始めました。見苦しいのか皆さん、傷を見ては顔をしかめられるので」


 「そうか」


 見苦しいのではなく、その傷が出来た経緯も含めて痛ましく思われるのではないかと公爵は思ったが、何故か彼女はそうは受け取らないようだった。


 「お茶でも召し上がりますか?」


 妻は嫌々と言う風もなく、だが親しみを込めもせず、尋ねてきた。


 公爵は頷いた。


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