18
寝室と台所を繋げる工事計画は一旦棚上げする事にした。
翌日から大人しく傷薬を作り始めた。
組合で漸く振り込まれていた金額の確認もしたのだが、八年分は結構な残高だった。
年会費を捻出する為に、調薬室で希少な薬草をこっそり鉢で育てたり、それとそれで作った薬をエスタリアの師匠に買い取ってもらったり、涙ぐましい努力を思い出して思わず気が遠くなった。
貴族令嬢としては当たり前なのかもしれないが、現金が全く手元になかったのだ。
今思えば、いくら薬草園経費が王宮持ちだったとはいえ、それを調薬してせっせと医務室へ納めていた薬師に何の報酬もなかったのは立派な搾取である。研究を盾に便利に使われていたわけだ。それは医師も薬師も侮ってくるだろう。最初は八歳の子供だったわけでもあるし。
色々な実験を行い、それらの結果が大体予想の範囲内……通常の薬師の作る薬よりは効き目が良い、という程度だったのは、アズュリアの無意識の抵抗だったのか。
アズュリア自身にも判らないが。
恐らく王宮で異能がもっとも効力を発揮したのはあの解毒薬を作った時だったのだろう。最後のご奉仕だった。
分析の結果はレポートとして王都を出る直前に薬師院に提出してきた。担当医師と薬師を通さなかったのは意趣返しでもある。
引継ぎなどの期間を設けるでなく、直ぐ出て行けと命じたのは国王だ。王宮を出た段階でもう所属は王宮でなくなっている。行動に問題はない。
「奥様、いらっしゃいますか」
庭からガルドウの声がした。
「いるわよ、ちょっと待って」
薬草から薬効成分を抽出をしている最中だった。ぎゅっと絞って、浄化した瓶へ流し込んでコルクで蓋をする。
テラスに出ると、ガルドウが小さな箱を渡してきた。
「お土産です。買い出しの」
箱は、焼き菓子のようだった。昨日アズュリア達が買った店とは別の店の物のようだったが。
「まあ、わざわざありがとう」
「いえ、お小遣いまで頂いたのはこちらですし。庭師頭とエールを頂きました」
「昨日は暑かったものね」
「はい。助かりました」
「何を買ってきたの?珍しい物はあった?」
「東方の花の苗を買ってきました。恐らく大輪の八重咲きの花が咲きます」
彼は異能でそういう事が判るらしい。ずっと勘だと思っていたそうだ。
「夏に咲くようなので、今植えると丁度良いかと。植えて良いですか?」
「え、ここに?」
「はい。本邸の庭園用とは別にこちら用も購入してきました」
「そう。まあ、あの辺が開いてるし、どうかしら」
木立ちの間には、ガルドウが植えた花が季節感無視であれこれ咲いているが、少し日陰になる南奥の部分が花が途切れていた。
「上の枝、少し払ってからにしたほうがいいかもね。日当たりが悪くなりそう。いっそ切る?」
「ああ、やっておきます。それとこれを」
小さな荷車に色々乗せてきたらしい。そこから小さな鉢を持ってきた。肉厚な丸い小さな葉は繊毛に覆われていて、ひょろりと伸びた茎の先端には白い小さな蕾が付いている。
「あら、これ」
「種苗屋に聞いたら北の山に生える高山植物で雪里と呼ばれているそうです。手に入れたはいいが、一つ売れ残ったらしく。こちらはこれから夏になるし、枯らしてしまうだろうから、屋敷でなんとかならないかと言われまして」
「押し付けられた?」
苦笑いしながら尋ねるとガルドウは真面目な顔でうなずいた。
「ええ。北の山の民はこれを薬草として利用しているそうです。ご存じですか?」
「知ってるわ。育てたこともあるもの」
「ああ、ではお願いできますか」
ほっとしたようにガルドウは言った。
「お土産として受け取っておくわ」
「ありがとうございます」
アズュリアは鉢を持って屋内へ入ると、流しに置いて水をたっぷりかけた。
土が水を吸ってひたひたになると、テラスの屋根の下、隅に木皿を敷いてその上へ置いた。
---日陰がいいの?
不意にアルテラが話しかけてきた。珍しい。
---そう。今はまだ風が通って涼しいからここでいいけど、夏の盛りになったら屋内へ入れて、冷却箱でも作ろうかしらね……。冷え過ぎると休眠しちゃうから加減に気を付けないといけないけど。
それから空を見上げた。
---こちらへ来てから雨が降ってないのよね。アルカミラは北の山からの雪解け水が豊富で、水路を張り巡らせて農地の水も問題ないだろうけど、他の地方はどうなのかしら。隣の領とか。
---心配?
---人が飢えると治安が悪化するわ。のんびり暮らすにも土台が無事じゃないと安穏としてられないし。
---貧乏性ねえ。
---実際、隠れ貧乏だったわけだし。
隠れ貧乏という言葉にアルテラは笑った。
---八年無給で働かされて、気づいてなかったのも相当だけどね。
---本当よ。褒賞金無しで追い出される事になってた可能性もあるのよ。子供だと思って馬鹿にし過ぎじゃないあの人達。
もしそうなってたら、王宮で暴れていた、とアズュリアは言った。
暴れるって、どんな風に、とアルテラが面白そうに尋ねると、「薬草を巨大化させて異常繁殖させる」とこともなげに言い放った。
---根は土を掘り返して土台を砕くわ。茎や葉は建物を押しつぶすわ。王宮を廃墟にするなんて簡単な事よ。
ふん、と鼻で息をして、調薬の続きを始めた。
同じタイミングでガルドウが南奥の木を一本切り倒すために斧をふるい始めた。
---ま、そういうことが出来る事に気が付いたのって、こっちへ来てからだけど。
---もう無力ではないって事を自覚出来たのはいいことよ。
---そうね。
無力ではないどころか、得た力は桁違いで、それはそれで使いどころを誤らないよう慎重にならなくてはいけないけれど。
とアルテラはやや心配そうに呟いた。
アズュリアは肩をすくめて蜜蝋を溶かし始めた。
---放っておいてくれる限り、私無害よ?
大人しく薬を作って生活するだけよ、と続けた。
手元は湯煎もせずに見る見る溶け始めた蜜蝋。そこへ数敵のオイルと、見慣れぬ透明な錠剤を数粒。
---それ何?
---シルキリって植物の葉から絞り出して抽出した物を固めた錠剤。砂漠に近い気候で育つの。サボテンに似てる肉厚の葉っぱの中がゼリー状になってて水分たっぷり含んでる。
---効果は?
---ぷるぷるになる。
---え?
---通常の軟膏よりさらっとした仕上がりになる。代わりに油分減らしてるから。
---それってアズュリア考案品?
---そう。ある日師匠から「珍しい」ってだけでシルキリが三株送られてきて、「何か考えろ」って言われて考えたの。
---そ、そう……
熱を上げて全てを溶かしてぐるぐるかきまぜる。そこへ先ほど抽出しておいた薬草ブレンドを混ぜ合わせる。
---一応薬師院にシアン・セルキスで報告上げてあるんだけど、この国ではシルキリの栽培が難しいんですって。あんまり使われてないのよね。
保湿も皮膚組織の賦活化作用もあるのに、とアズュリアは言う。
原産地の薬師組合にも師匠を通じて報告してあるという。現地ではぼちぼちシルキリを利用した薬が作られ始めているらしい。
---権利は?
---放棄してる。現地は大変な環境らしいし。
人がいいわね、とアルテラは呆れた。だから隠れ貧乏が加速したんじゃない、とも。
---師匠の方針なの。
---高貴なるものの義務って奴?
---どっちみち薬師は儲かるんだから、薬で儲けようとするなって。
---……言っていることは判らないでもないけど、それ、アズュリアの境遇を考えたら過酷過ぎない?
---私もそう思うわ。次に直接会う事があるなら文句言ってやるって思ってる。
そうか、親よりも親しんだ師匠とも、恐らく八年会っていないのか、とアルテラは気づいた。
師匠の方針を守っているのも、その辺の感情が関係しているのかもしれない。
アズュリアは傷薬の容器に出来上がった液体を注ぎ入れ、最後の二個程になった時、別の薬草の抽出液らしき物を混ぜこんだ。
---それ何?
---ゴシュフク草の薬効成分。
---ああ、しっとりさせる……。傷に効くの?
---効く。
二瓶は、ゴシュフク草の成分を混ぜ込んで作り、異能で全体の温度を下げて固める。
---これは私用。
一度に三十本程出来た傷薬のうち、ゴシュフク草入りの薬は別にして足元の鞄に放り込んだ。
---そろそろ顔の傷、ちゃんと治す。
ふと外を見ると、存外大きかった切り倒した木を庭師たちが細かく切り分けている所だった。
ガルドウがテラスの方へ戻ってきている。
「奥様、あの木は乾燥小屋へ運びます」
「ああ、判ったわ。ご苦労様」
驢馬を繋いだ荷馬車が来ていた。
手早く木材と化した木を払った枝まで綺麗に乗せて、あっという間に去って行った。
残ったガルドウは、シャベルと苗を入れた荷車を日陰からぽかりと開けた空間へ運び、ざくざくと地面を掘り返し始めた。
ふかふかの黒い土が見る見る出来上がっていく。
そこへ昨日手に入れた苗を間を開けて三株植えた。
無意識に神力で見てしまい、青い光がガルドウの手へ吸い寄せられるように集まり、手から植えられた苗に染み込むように流れていく様が明らかになった。
「切った木は茂りすぎてて、外からこちらが見えないように思えるでしょうが、あそこに潜まれるとじつはこちらが丸見えになるんです」
ガルドウは片付けてこちらへ戻ってきながら何気なく言った。
「なくなるとこちらからすこんと木立ちの奥が見えて、却って潜みにくくなったかと思います」
花には早々に成長するよう言い聞かせておきました、と言われ、アズュリアは何と答えていいか判らなかった。
トルコキキョウなど想像しつつ書きました。
庭仕事は嫌いだけど、花を見るのはまあ好きです。見るだけ。




