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 寝台に横たわる銀髪の男は記憶にあるよりやせ細っていた。

 顔も青白く、唇はかさつき、髪も艶が無い。

 意識が戻らず寝たきりである以上、そうなっても仕方がない。医師や看護人は精一杯の事はしている筈だ。


 男の部屋は鉄格子の中にある。

 怪我や病気など医療措置が必要な罪人の為の特別な部屋で、今はこの男が一人いるだけだが、そう滅多に使われることもない部屋でもあるのだとか。

 医療関係者と牢番以外が訪れる事もなく、他の牢からも一枚分厚い扉で隔てられ、しんと静まり返っている。


 今、寝台の傍には青白い影が一つと、男が一人佇んでいる。


 男はこの屋敷の庭師であり、つい先日までは寝込んでいたが、最近はいなくなってしまった奥方の代わりにシルキリの面倒を見たり、収穫して錠剤を作成したり、他の異能者と協力して水袋の工場を稼働させたりと、本来の職務とは全く違う仕事に忙殺されていた。


 毎日毎日、疲れ果てて自室へ戻り、夢も見ない程深く眠って目覚めて、の繰り返しであったが、今晩は夢を見た。


 突然姿を消してしまった奥方が青い透き通った影になって現れた。


 そして「協力してほしい」と言ってきた。


 夢の中で夢と判っていながらも、それは確かに奥方であると確信し、疑う事もなく頷いた。


 そうして連れてこられたのが兄のいる牢部屋。


 屋敷への襲撃事件の後、初めて兄を見たのだった。


 どうしているのだろうかと思わないでもなかったが、会いたいとは思わず、グノウ家の年老いた庭師が顔確認に来たと聞いた時も、間違いなくグノウ家の庭師であると確認されたと聞いた時も、大して関心は覚えず、生きてはいるのだなと思ったくらいだ。


 奥方は、兄から「夢渡り」したいのだと言う。


 意味が分からず首をかしげると、奥方の身体の中から小さな光が幾つかふわふわと飛び出して、兄の身体へ降りて行った。


 光の一つはガルドウの胸元へ留まった。



 「どうかしら」



 奥方の声に胸元から目を離すと、奥方は兄の身体に留まった幾つかの光に話しかけたようだった。



 ---……ちょっと、彼だけでは無理。



 驚いたことに、光から返事が来た。



 ---こっちの彼は大丈夫。



 そして胸元からも声がして身体が硬直した。


 おや、と奥方はこちらへ顔を向けた。



 「一体、この光は何ですか……」



 戸惑いながら尋ねる。



 「精霊ね」



 奥方の答えに「は?」と間抜けな声を出してしまった。


 精霊とは南方大陸に沢山の伝承を残し、今なお信じられている存在であり、南方大陸に於いては魔法の源とも言われている。


 かの存在の加護を得た者は人ならざる力を得て、精霊の意に染まぬ使い方をせぬ限りは一生をその力で豊かに過ごせる、らしい。


 かの大陸のあちらこちらには精霊を祀る祠があり、ガルドウはなんとなくそれを見かける度、祈ることはしていた。決して信仰心からではなく、よそ者の自分が滞在する事に対しての挨拶程度の気持ちだった。


 故に存在を見たことも感じたこともなかった。


 それが、南方大陸でもない場所で、遭遇することになるとは。



 ---あなたは、しょっちゅう挨拶してくれた子よね。



 光はふわふわと胸元から浮き上がってガルドウの目の前に来た。


 光の中に小さな薄羽を持つ人影が見えた。



 「実際に存在するのですか」



 信じられずに問うと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。



 ---いるわよ。最近は私たちを見ることが出来る人間も殆どいないし、滅多に人前にも出ないけど。



 ガルドウは一息で吹き飛びそうな存在に思わず呼吸も止めて一歩下がった。



 ---大丈夫よ。私たちそこまで脆弱じゃないわ。



 くすくす笑いは止まらず、ガルドウは戸惑って助けを求めるように奥方を見る。


 奥方は面白そうにこちらを見ていた。



 「ごめんなさいね。でも、もしかしたらあなたたち兄弟って精霊と親和性があるんじゃないかしらと思ったのよ」


 「……私自身は南方大陸にいた事がありますが、私も兄もロバティア出身ですよ?」



 精霊などとは縁もゆかりもなかった。



 「でもね、ロバティア人って、南方大陸との混血が意外といるらしいのよ。南海岸地域は言うに及ばず、貴族階級にも結構多いのですって」



 一夫多妻のせいもあるのかしらね、と言われて、そういえば、「正妻の他には特殊な能力を持つ女を迎える事が多い」などと家庭教師に聞いたことがあるような気もした。昔過ぎて記憶も朧げだが。


 父が兄の母を愛人にしていたのも、「古い家系で昔は異能者がいたらしい」から、という話ではなかったか。



 「それで、精霊と親和性があると、「夢渡り」とやらが出来るのですか?」



 一つ諦めたように溜息をつきながらガルドウは奥方に問うた。



 「そうらしいわ。でもあなたの兄は「ちょっと無理」らしいわね……」



 ふわ、と精霊が風に吹かれたように揺れた。



 ---でも、あなたなら大丈夫。



 光の中に仄かに見える表情はにこにこと笑っていた。



 ---あのねえ。精霊はね、縁を大切にするの。



 別の光が奥方から飛んできて、ガルドウの鼻先で止まった。



 ---あなた「ここに暫く滞在します」って挨拶したでしょ?



 確かに心の中でそう唱えた。



 ---私たちはね、珍しい子が来たから興味を持って、土に良い影響を与えるあなたの異能を喜んだの。



 確かに、農場で作業する際、ほんの少しの異能を混ぜていた。あの頃は兄の事があって異能に恐怖を覚えていた為、ささやかな発動しか出来なくなっていたが、それでも多少は植物を丈夫にしたとは思う。ガルドウの行く先々で不作は一度もなかった。



 ---大陸にいる間、あなたの事は見ていたわ。ちょっとした幸運を上げたりもしたわ。



 幸運……


 思わず苦笑しそうになって、いや、と思い返す。


 確かに、南方大陸に渡ってから比較的穏やかに暮らせていたとは思う。農場の仲間も雇い主も気のいい人間が多かった。


 良かれとロバティアの商人に引きあわされもしたわけだが。



 ---ああ、あの時は悪かったわ。誰にも悪意がなかったのよ。あの商人もあなたに害意は無かったわ。本当に行方不明になったあなたを心配していたのよ。



 ガルドウはやはり苦笑するしかない。


 確かにあの商人もまた人が好かった。その人の好さ故に、己の行商の旅程に入れて連れ帰ろうとした。


 子爵家の事情を知らないとも思えなかったが、それも何とかしようとでもしていたのだろうか。今となっては謎である。


 ガルドウとしては、帰れば確実に人死にが出そうな実家へ今更戻る気はさらさらなく、途中でさっさと逃げ出したのだが。



 ---あなたがこちらへ戻ってきてからも、私たち、あなたを気にかけていたわ。縁が出来たから。あなたが無事故国を越えてこの国へ入ってこれるようちょっと手助けしたりもしたのよ?



 そういえば、隊商から逃げ出した後も運が良かった。盗賊に襲われる寸前で回避できたり、割のいい日雇いの仕事と出会ったり。


 ザイツェンに入る際にも、国境近くでザイツェンの商人が探していた荷運びの仕事で入国が出来た。


 南領の農場でも良いタイミングで仕事が見つかり、日々をしのぐ為の持ち金に苦労したことは無い。


 実家で運の悪さを使い切ったのかと冗談のように考えたりしたこともある程だ。



 「そう言えばあなたもあなたの兄も植物栽培の異能持ちよね」



 ふと呟いた奥方。それに反応する細かい光たち。



 ---それだけでは弱いのよ。それでいいならこの兄だって恵みを与えていいことになってしまうわ。



 精霊たちの抗議に似たそれに奥方はそれもそうかという顔をする。。


 アデレフとは違って、この男は中毒性のある草を栽培したり、人の中に埋め込んで芽吹かせる種を作り出したりしていた。精霊たちの望む力の使い方とは違っているのだろう。



 「ガルドウならいいわけね?」


 ---聞かなくても判ってるでしょ。



 奥方は苦笑いしてみせた。


 ガルドウには意味が分からない。


 奥方はガルドウに笑みを向けた。



 「私の母にね、渡ろうと思ったの」


 「お母様……エスタリア公爵夫人ですか?」


 「そう。元グノウ伯爵令嬢ね」


 「ああ、兄が庭師を務めていた家ですね」


 「あなたの兄は、私の母と長く交流していて、まあ、肉体関係もあったのよ」



 「は……」



 ガルドウは呆気にとられて言葉を詰まらせた。


 奥方は苦笑のまま淀みなく続ける。



 「いつから、どれくらいの期間なのか、その辺は判らないけれど」



 横たわる兄の顔を見る。


 幼い頃はいつもぼんやりとどこかここではない所を見つめているような子ではあったが、流れ落ちる銀の髪と紅い瞳でふわふわと庭の花の中を歩く姿は、妖精めいていて美しくはあった。


 今は、やつれて面影もないが。



 「あなたの兄を経由して母に夢渡り出来るんじゃないかなと思ったの。片方に精霊の力が通れば、親しく交わった人間には夢渡りできるのですって」


 「……娘のあなたではいけないのですか?見た所、あなたも精霊と親和性があるようだが」


 「血の繋がりしかないの」



 奥方の言葉を理解するのに一瞬の間が必要だった。



 「血の繋がり以外の関係がないの」



 ガルドウは言葉に詰まった。



 「精霊たちが言うには、こちらの大陸では力が弱まるから、南方大陸ゆかりの人間か、それと深く交流した者かでないと夢渡りが発揮できないのですって。しかもそういう人間であっても更に条件があるそうよ」


 「条件ですか?」


 「精霊に魔力を与えられるかがまず一つなのだそうよ」


 「まあ、奥様は異能者ですから魔力はあるでしょうが」


 「精霊が好む魔力じゃないと駄目なのだそうよ。この大陸の、特にこの国に満ちている魔力は精霊とは相性が悪いのですって。私は曾祖母の遺伝が強くて、この国の人間が持っている魔力とは持っている力が異質なの。全く違うからどうかしらと思ったのだけれど、意外と精霊とは相性がよかったようよ」



 精霊へ報酬として魔力を与えられた事から、まずはガルドウへ夢渡りしてきたという事らしい。



 「あなたと兄の間にも血の繋がりしかないわけで。……やっぱり無理ということなのよね?」



 精霊へ問うと光がぴかぴかと点滅した。



 ---多分大丈夫だと思うわ。


 「え、そうなの?」



 いささか驚いたように奥方が問うと精霊はふわりと飛んでこちらへ戻っていた。



 ---この子の精霊への祈りがとても好ましく思われている上、この子達の家系の中に南方大陸の血が混じりこんでいるし。


 「あ、やはりそうなのね」


 ---それにこの兄は……



 精霊は何事か言いよどんだ。


 何かを言いかけたようだったが、少し沈黙した後、ぴかぴかと光った。



 ---それと、もう少しあなたの魔力を頂戴。



 精霊は奥方に要求する。



 ---こっちの大陸だと何をするにも力が足りないの。


 「まあこちらは頼む立場だし、好きなだけどうぞ。でも大丈夫なの?馴染むと言っても異質ではあるのでしょう?」


 ---ええ。なんだかあなたの魔力、美味しいわ。



 精霊は意外な事を言う。



 「蛇は「毒の利いたつまみ」と言っていたわよ」



 精霊たちは「まあ」と面白そうに一斉に笑った。



 ---蛇にとっては毒だったのかもしれないわね。


 「あなたたちに害がないならいいのだけれど」


 ---大丈夫。害どころか、すごく元気になる。



 奥方は何と言ってよいか判らないような顔で曖昧に微笑んだ。



 「というわけで、協力してもらえるかしら、ガルドウ」



 くるりとこちらへその微笑をむけられ、ガルドウは戸惑いながら頷いた。 



書いて書いて没にして、切って貼って切って貼って……

見返すと矛盾だらけで修正して修正して……


辻褄が合っているのか不安になりながら上げますた。


一年ぶりに髪を切りました。

頭が軽くなりました。

首への負荷も減ってほっとしました。


見に来てくださってありがとうございます。

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