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清らかな水の中から、真っ赤な紅玉を拾い上げる。
石のテーブルの上、既に並べていた他の物の隣にそれを置く。
親指大のファセットカットされた蒼玉、紅玉、手のひら大の球に研磨された紫水晶、一輪の花に削り出された透明な水晶、小さな杯にやはり削られた翡翠、母岩がついたままの小さな緑柱石の結晶。
これらを一渡り眺めて紅い花、アルテラはしょんぼりと茎を垂れさせた。
---どれも駄目?
アズュリアが尋ねる。
---うん。どれも悪くは無いんだけど。
現在、アルテラが新たに依り代に出来る石を物色中だった。
菫青が妻の寝床にある物はどれも自由に使って良いと許可してくれたので、アルテラが相性のよさそうなものを選び出したのだが。
---あの薔薇水晶程はしっくりこない。
---そうなのねえ……。
頬に手を当ててアズュリアは考え込む。
---エイリンの工房へ行ければいいのかもしれないけど。でも良い石があるかどうかは運だものねえ……。
---あそこは店主も目利きだから。
---ああ、そうね。
恐らく異能とは言えぬほどの僅かな力ではあるが鑑定系の能力があるらしき店主は石を見る目も確かだった。
エイリンの工房にあった加工前の石は半貴石であってもいずれも質が良く、宝石としての価値もさることながら、魔力あるいは神力の通りやすい物が多かった。
聞くとエイリンが仕入れた物もあるが、店の石の大半は店主が手に入れてくるという。エイリンも店主の目は信用しているようだった。高級ラインの方の職人達も同様らしい。
---やっぱり買い物するなら王都よりアルカミラ領都がいいわよね。
---そうね。職人も品揃えもなんとなくしっくりくるわ……
北山からの水が行き渡っているせいもあるのだろう。馴染みやすいし住みやすい気がする。
そして、長い事己をがんじがらめにしていた王族や家族から逃れられた地でもあるからだろう。
心の底からほっとして寛いだのは物心ついて以来初めてだったような気がする。
---離れが恋しくなった?
アルテラが面白そうに問う。
アズュリアはそうね、と頷いた。だが言葉ほどは執着もないように見えた。
---体が無いって、意外に不便な事もあるのねえ。
のんびりとそんなことを言う。
---いや、何言ってんの。
アルテラは呆れたように言う。アズュリアは笑う。
---現状ってとっても便利なのよ。どこにでも入りこめるし、食事の必要はないし、眠る必要はないし。
石のベンチに腰を下ろす。
---私は不便よ。いくら行った事のある場所へ転移できるって言っても、この姿じゃどうにもならないわ。この辺を移動するのが関の山よ。
反対にアルテラは不満だらけのようだった。
---そうねえ……
テーブルの上に肘をついて並べた宝石を指先で転がす。接地面を物質化していると説明され、器用過ぎるとアルテラは呆れた。
指先で紅玉を転がしていたが、ふと思い出したように顔を上げた。
---閣下から頂いた指輪の石はどうだった?
大振りの蒼玉だった。なかなかの器だった。
---ああ、あれは良い石だったわね。薔薇水晶程ではなかったけれど。
---あれでも駄目なのね。
---質は良かったけれど、合う合わないがあるから。
なるほど、とアズュリアは考え込む。いずれにせよ、他の物とともに鞄の中に入って異空間だ。ここにはない。
---指先を物質化できるなら、全身物質化できないの?
焦れたようにアルテラが言うと、アズュリアはふむ、と腕を組んだ。
と、青い光と影で出来ていた像がしっかりとした人の姿に変じた。
---まあ、出来るんじゃない。
アルテラが喜色に溢れた声を上げたが、紫紺の瞳が瞬いたかと思うとすっと実体を失ってしまった。
---今のところ全身となると長時間は無理ね。
肩をすくめて見せる。
花はがっかりしたように下を向いた。
---買い物行きたかったなあ。「石の息吹」に行きたい。
---悪いわね。
---エイリンに頼んだら、またあの薔薇水晶みたいな細工、作ってくれるかなあ。
---職人だもの。作ってくれるでしょう。
いかにも悲しそうに振る舞っているが、この洞窟内や周辺に転移しまくって日当たりのよい場所や程よい日陰などを楽しんだり、竜の菫青と話しこんだり、どう見ても自由気ままに過ごしているようにしか思えない。
---花を飛ばせばいいんじゃないの?
---え?
---そもそも最初は花のついた小さな枝だったじゃない。あれをもう一回作ればいいだけじゃないの?
---ユスラの枝をもう一回……
アルテラは考えてもみなかったと言いたげだった。
アズュリアには何が不思議なのか判らない。
---駄目なの?制限でもある?
---特にない、はず。
---ま、でもそれをくっつけてくれる人間がいないと駄目よね。でもそれなら石の依り代だって同じ事でしょ?
前提がおかしい、とアズュリアは笑う。
---でもあなたが身体を取り戻したり、或いは身体の物質化が長時間可能になった時にすぐ装着出来るようにしておきたいのよ。
アルテラが不満そうに言う。
ふむ、とアズュリアは腕を組む。
---じゃあ、手段の一つとしてこれはどうかしら。
アズュリアはゆっくりと立ち上がると、床からアルテラの植わっている鉢を持ち上げた。
そして、昼の日差しがさんさんと降り注いでいる入口の方へ出た。
そこは洞窟内を自宅とすると玄関ホールのような物だったが、先日耕した畑が青々と葉を茂らせていた。菫青の影響もないらしい。
鉢を片手に抱えたまま、ついでのように手をひと振りすると、そこから霧状の水が湧きだし畑を覆った。
---便利よねえ……
アルテラは呆れつつも茎を伸ばしてそれを浴びた。
---あなたはそんなことしなくても自分で水の補給が出来るでしょ。
---いやあ、でもあなたが生み出した水って、神力入りだからね。
アズュリアは溜息をつきつつそのまま裂け目から外へ出た。
竜の骨が陽光に青光りしている。
アルテラは己を抱えるアズュリアの腕以外の場所が物質化した事に気が付いた。
おや、と思った途端、声が響いた。
「リュクシス」
それはまごうことなきアズュリアの肉声で、アルテラは驚いてぴんと茎を伸ばし、花をアズュリアの方へ向けた。
その時、空の彼方にきらりと光る何かが現れ、一直線にこちらへ急降下してきた。
---え……
アルテラが驚いて言葉を失っている間に、それは金に光る白い鳥となって舞い降り、竜の骨の上へ降り立った。
足や嘴まで真っ白な鳥だった。尾羽が長く靡いているが、風はない。先は揺らめいて空気に溶けて消えては現れる。
明らかに、普通の鳥ではなかった。
---鳥、に見えるけど、違う……?
アルテラが不思議そうにそれを見上げて言う。
---そう。私と師匠の間では鳥文って呼んでいるけれど、魔法の一種ね。
---え、ではお師匠って魔法が使えるの?異能者?
---いえ、そうではないんだけど……
アズュリアは苦笑交じりに答えた。
---こういう魔法道具を沢山所持しているのよね。どうやって手に入れたのか聞くと、古代遺跡の中から見つけたって言うんだけども。
---どこの……?
---とんでもなく辺境で、殆ど人も来ないような集落だったという話だけれど、どこかは絶対教えてくれないのよ。
師匠の事は何も知らないし、知っている人もいない、謎の多い人物なのだ、とアズュリアは言う。
---……そう。
アルテラは何かを飲み込むかのようにそれだけ答えた。
そうやって納得するしかないわよね、とアズュリアは笑う。
---前に師匠と確実に連絡を取る方法があるって言った事あるでしょ。
ああ、そのうち話すが驚くだろうと言われて、それきり忘れていた。
---師匠も暫く使ってなくて、この鳥の事を失念していたらしいのよね。で、なんとかならないかとやりとりして思い出したらしいの。
腕を伸ばすと鳥が舞い降りてきた。
「今、私の体ないのだけど、あなたも似たようなものよね。とまれる?」
本物の鳥に話しかけるように言うと、鳥は躊躇うことなく意識体の腕にそっと触れるようにとまった。
---声は出さなきゃいけないの?
どうやら声帯や呼吸器官を実体化させて話しているらしい。
「リュクシスは私の声で制御するの。必要なのよ」
---そうなのね。
「で、この子、リュクシスにユスラの小枝をつければより広範囲に移動は出来るんじゃない?」
結論としては、可能だが鳥文はアズュリアとヒビキの間でやりとりされているのみの存在であり、それ以外の場所へ自在に出向くには適さない為、見送られることとなった。
ついでにアズュリアは畑から幾つか薬草を採取し、蔓でちゃちゃっと編んだ小さな籠に入れて蓋をすると鳥に持たせて師匠の下へ送った。
蔓は以前も行った西の海岸でまた採取してきた。
アルテラの移動に関しては、緊急時はアズュリアがどこか一部を物質化させてそこにユスラの枝をくっつける事にした。
アズュリアと行動を共に出来ない事にアルテラは不満げだったが、四六時中一緒にいる必要などないだろうとアズュリアに言われて渋々従った。
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寒さも多少は緩んできましたかね。今晩はマイナスにならないようです。えがった。
雪国の雪かきを動画サイトで見たりするのですが大変そうです。
皆様くれぐれもご自愛ください。




