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---我らの躯をこのままに、そなた一人で住まうなら好きにして良い。
自らを菫青と名乗った影と毒の竜は鷹揚に答えた。
「一人とは言い難いの。花を一輪連れて来たいの」
---……異なことを。それは今そなたが連れている小さな存在に関係があるのか?
「あら……」
今まで誰ひとりその存在に気が付いた者はいなかったが。
アズュリアは胸元から薔薇水晶のペンダントヘッドを持ち上げた。
するりと鎖から外れ、元の大きさに戻って浮き上がる。
一輪の花の意匠はくるりと回ってふわりと金色に光った。
---初めまして。私はアルテラ。東方の神樹の雫の一つ。
アルテラが、初めてアズュリア以外の存在に語りかけた。
---ほほう……
竜の影がすっと身をかがめたように見えた。
次の瞬間、光る瞳の頭部と思しき部分が目の前に迫ってきて、アズュリアはのけぞった。
浮かび上がって宙に留まったアルテラは動かず、竜の視線を受け止めている。
---なるほど。東方の竜には眷属がいるのか。
菫青が言う。
---眷属とはまた違うの。本当に私は雫の一つ。
---……そういう事か……
竜は納得したように離れた。
---よかろう。歓迎しよう。是非東方の事など聞かせてほしい。
---アズュリアは殆ど出払ってしまうでしょうから、いつでもお話し相手を務めましょう。
くるりくるりとアルテラは宙を舞った。
竜は心なしか視線を柔らかくしたように見えた。
---我が妻も喜ぶであろう。
「あら、奥様も顕現なさるの?」
アズュリアは洞窟の方を見やった。
---気が向けばな。滅多に気は向かぬようだが、見ておらぬわけでもなく、聞いておらぬわけでもない。
「そう」
何事か考えるように、アズュリアは視線を青く光る竜の骨の方へ動かした。
アルテラは、洞窟で地植えを拒否し、小さな鉢に入ったままを望んだが、後に洞窟内と洞窟周辺に限ってではあったがその状態で自由に転移しあちこち好みの場所へ移動してアズュリアを呆れさせ、安心もさせた。不在時の水遣りをどうするか頭を悩ませていたからだ。
竜の菫青は面白がってアルテラとよく話しているようだったが、アズュリアはアルテラが当初言った通り、殆ど出払っていてその様子をあまり知らない。
エスタリアの薬師、ヒビキの指は骨ばって長く、器用に動き、調薬は手早い。
領地でも指折りの薬師とのことだった。
そのヒビキは今、窓辺で白い鳥に、繊細な指先でつまんだ小さな果実を与えていた。
それを、漸く寝台に起き上がれるようになったエスタリア公爵家の次女はぼんやりと見ていた。
ヒビキの横顔は穏やかに微笑み、鳥に何事か話しかけている。
囁き声は明瞭でなく、内緒話をしているようにさえ見えた。
やがて鳥は飛び去り、看護人に差し出された粥を言われるがまま食べていた次女の方へヒビキは振り返った。
腰まで伸びた金の髪がふわりと揺れた。
ヒビキの容貌はその長身も相まって男女どちらとも取れず、端正ではあったが金髪に混ざる銅の色と、同色の瞳が不可思議さの方を強調していた。
「全部食べられたようだね」
器の中に目を移し、そう言った。
言われて次女も器を見下ろした。いつの間にか空になっていた。
看護人は器を片付け、薬湯を差し出した。
それを掴むが、持ち上げる力が出ず、看護人は手の上から手を添え、口元まで運んでゆっくりと傾けてくれた。
むせないようとろみをつけられた温い薬湯には、何種類もの薬草が煎じて混ぜられているらしいが、苦くも辛くも甘くもなく、何とも言えないような曖昧な味で喉の中を通り抜けていく。
最初は「まずい」と拒否したが、ヒビキは「呑ませる方法はいくらでもある」と笑い、その笑顔に薄ら寒いものを感じて以来、黙って差し出された物を飲んでいる。
「よしよし、全部飲めて偉いぞ」
ヒビキは子供に対するように次女を誉め、看護人は次女を支えて横たえると全ての器をまとめて一旦部屋を辞した。
目の前の薬師は、姉の師だという。
姉は王都へ呼ばれて、アルカミラを離れなければならなくなり、代わりに治療を依頼されてエスタリアからやってきたのだと聞いた。
その姉は、王都で事件に巻き込まれ、行方不明になったと聞いた。この薬師を姉が呼んでくれていなければ、どうしようもなかったと看護人の一人は言った。治療の方法も対処の仕方も判らず、行き詰っていただろうと。自分の命に係わる話でもあったが、何しろ体力が落ち切っていて、そのことに反応しようもなく、漸く何とか落ち着いた今は、治療や対処がヒビキを中心に確立されていて当初の看護人たちの不安もなくなっていた。
そして体力が多少は戻った今、姉の事件についての詳細を知りたかったが、それを知る者はこの仮の宿にはいない。
「姉さまは、まだ見つからないの……?」
ヒビキに尋ねてみるが、首を横に振られる。
「残念ながら情報はないねえ」
「そうなの……」
行方不明は第二王子もだと聞いているが、次女はそちらには関心を示さなかった。
「姉さまがいなくなっても、王都の屋敷は何も変わらないわよね」
ふと呟いたそれに、ヒビキは答えない。
「お父様もお母様も、姉さまには関心が無いのだもの。でも、そうしたら……誰が姉さまを探すのかしら」
淡々と話すが、瞳に一抹の不安が過るのを見て、ヒビキは苦笑した。
「王都の騎士や警備隊が探しているよ。高位貴族の人間がいなくなって、探さないなんてことはありえない」
「でも……姉さまは、うちからは籍を抜いたって聞いたわ」
今や貴族ではないではないか、と眼差しで言う。
「何を言っているんだい。彼女はアルカミラ公爵夫人じゃないか」
苦笑したままヒビキは答える。
それに、次女は驚いたような顔をした。何に驚いたのかヒビキと、偶然清拭の為に入ってきた看護人の方が驚いた。
「その上、彼女は第二王子を庇い、その際の襲撃で使用された毒の解毒薬を素早く用意した事で、褒賞の一つとして準男爵の爵位も授けられている。立派な貴族だよ」
更に驚いた顔をする次女に、どうやら知らなかったらしいと更に苦笑する。
「ま、準男爵じゃ平民に毛が生えた程度の爵位じゃあるけど、それを授けられたいきさつを考えると無碍に扱っていい人間とは思われないだろう」
何しろ王子の命を救ったのだ。
王家も誠意を見せざるを得ないだろう。
看護人が清拭の準備が出来たとヒビキを伺うのに頷いて見せ、ヒビキは呆然とする次女を任せて部屋を出た。
用意された自室へ戻ろうとしたが、廊下の向こうからこの家の管理人に呼び止められた。
家主でもあるアルカミラ公爵が当初の予定を大幅に超えて漸く帰還し、もうじきこちらへ顔を出すと言う。
やれやれ、面倒な、と思いつつ、ヒビキは頷いた。
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今日は病院でした。
数値は横ばいでした。
「何か質問等ないか」と言われ、漸く「酒飲んでいいか」と尋ねました。
今までもたまに飲んではいましたが。実を言うと退院直後は禁止されていたのです。
当初は肝臓に負担がかからないように言われたのだろうが(何しろとんでもない分量のステロイドを飲んでいた)、まあ、たまにならいいだろう、と。
医師の言質を取りました。ふっふ。




