13
階段を上がって、扉を開ける。
そこそこの広さのオフィスではあるが、今は人気が無い。混む時間ではないのだろう。カウンターがあって、三つ設けられた受付のうち一つしか人がいない。
「あの……」
「はい。いらっしゃいませ」
座っているのは若い男だった。
「薬師のセルキスといいます。薬の買い取りと年会費の支払を」
「はい。では奥でお願いします」
奥と言われて顔を上げる。
カウンターわきにスイングドアがあり、二つ仕切られたブースが見えた。
促されて中へ入り、手前のブースの椅子に座る。
テーブルの上のトレイに資格者証を置くとまた角の蔓草の紋章が青く光り始めた。
これも今までは当たり前だと思っていたが、このトレイはどういう道具なのか。どこから見ても金属を薄く板にして浅い箱にしただけの物にしか見えない。
この青い光が資格者証が正式の物である事を示している。
そしてカードの前面には前回の履歴、それ以前の履歴は裏に浮かび上がる。
アズュリアは小金貨を一枚トレイに入れた。
それを持って案内の若い男は事務所の奥へ引っ込んだ。
薬師組合の本部データに年会費支払の記録を入力しにいくのだろう。
アズュリアは背中から降ろした鞄の中から、傷薬と熱さましと咳止めと痛み止めを十個ずつ出す。小さな容器に入れられた物ではあるがこれだけの数だと結構な分量ではある。
男が若干慌てた様子で戻ってくる。
「セルキスさん!」
「え、はい」
大きな声を出されて驚いて背を伸ばす。
「何か不都合がありましたか?」
「いえ、そうではありません」
男は深呼吸するように胸を押さえた。
アズュリアの前に座ると、まずトレイに入ったカードを差し出した。
「お返しします」
「はいどうも」
受け取って、最新の履歴が「年会費支払」になっている事を確認する。
「こちらの薬の買い取りをお願いします」
続けてテーブルの上の薬をまとめて男の方へ押しやった。
薬師は年に最低一度は所定の種類と数の薬を組合に納品しなければならない。それで腕が落ちていないかどうかを組合も確認するのだ。
これを怠るとランクが落ち、最悪だと除籍される。
「ありがとうございます」
男の後ろから別の職員がやってきて、薬をまとめて持って行った。奥で鑑定するのだろう。
「それでですね、セルキスさん」
男は改まって向き直る。
「はい?」
「お願いなんですが、今まで年一度だった納品をもう少し増やしてもらうわけにはいきませんか。勿論、ご自身で店を持たれるというならそれでも構いませんし、むしろお願いしたいくらいなのですが」
「え、どういうことでしょう」
正直今までは、薬師組合に関しては必要最低限の事しか出来なかった。他の事で忙しすぎたのだ。
「実はセルキスさんの薬は評判がいいのですよ。どれも鑑定の結果品質は極上で、売値を高めに設定しているにも関わらず引きあいが多くて」
アズュリアは眉を寄せた。
「私が納品しているのは、組合が指定している一般的な薬ばかりで、どれも常備薬レベルの物ですよ?極上とか高めに設定とか一体何の話です?」
男もそれを聞いて困惑したような顔をした。
「誰も説明していないのですか?」
「何をです?」
男は難しい顔をして首をかしげた。
「おかしいですね。セルキスさんの薬の特殊性についてはご本人に説明をしたと聞いているのですが」
「いえ、誰にも何も説明されてませんよ?特殊性って何のことです?」
「セルキスさんの作る薬は効き目が良く、鑑定でも極上と出た為、引取り金額は通常の物の二割増し。売値も相応の値段にすると何年も前に決定されました。その説明はなされている筈と認識していたのですがご記憶には?」
覚えはない。
だが、思い当たる節はあった。
忙しすぎて納品や支払に人を雇った事が何度もあったのだ。信用できる人間を探すのも苦労した。その際やりとりするのは資格者証ではなく魔力印を押した書類だ。資格者証への記録は都合が良い時に組合へ行って魔法道具で行う。一瞬で済む。
薬の代金は組合に作った口座振込で金額は全く確認していなかった。
その上そのやり取り以外の書簡については、恐らく放置されていた可能性が高い。
実家も王宮も信用できなかったので、異能研究所を連絡先に指定していたのだが、異能研究所でもアズュリアの扱いは適当だった。
書簡が行方不明になる事が何度もあり、エスタリア領の師匠のフォローがなければ薬師資格を失うような事態も起こったかもしれない。本当にあの師匠には頭が上がらない。
そして、紆余曲折あった間の連絡は何処ともしれない場所へ消えてしまった可能性が高い。
「説明した」というのも、一体誰に説明したのやら、と思う。
異能研究所の人間に説明したのではないのか。
あの研究所にはそういうことをする人間がいたりしたのだ。
「済みません。私は薬師ではありますが、事情があってずっとそれ以外の事で時間が取れず、手紙なども勝手に処分されたりするような環境にいたもので、行き違いがあったのかもしれません」
「……そうですか」
男は少し顔をこわばらせていた。
それはそうだ。手紙を勝手に処分されるとは、何だ。
「ずっと王都にはおりましたが、最終的にはエスタリアにいる師を連絡先にしてしまっていましたしね」
「ああ、そうなっておりますね」
「もう環境は落ち着きましたし、これからは不手際は起こさないと思います。薬の納品については、考えさせてください。落ち着いたとは言え、自由に身動きが取れるようになったとは言い難いので」
心なしか男の表情が気の毒がっているように見えた。アズュリアは苦笑した。
「これからはもう少し頻繁に組合へも顔を出せると思います。本日程度の数であればもう一度くらいは年内に持ってこれるとは思いますが、どういう所に需要があるんでしょう」
一般的に薬師の義務として納められる薬は地域でまとめられて組合で販売される。多くは直営の店か、大量に引きあいがあれば直接。
「王都の職人街です」
「え」
意外な事を聞いて目を見開く。
「特に傷薬は職人街から問い合わせが多くて、常備薬として重宝されているようです。職人の各組合から、納品があればすぐに連絡をくれと言われています。ですのであなたが先日異動届を出された時、王都の薬師組合と職人の組合が大慌てしたそうです」
「まあ、それはなんというか……」
本人のあずかり知らぬ所でなかなかの事が起こっていたようだ。
「あなたは殆ど活動されていなかったようなので、今のところ王都の職人街限定の需要ではありますが、有用な情報は共有されるものです。他の街の職人組合からも問い合わせがちらほら来ています。勿論こちらの領都からも。出来れば工房をもっていただきたいところです」
年に十個の傷薬で一体、どれだけその需要を賄えたのかとアズュリアは不思議に思う。その顔を見て男はにっこり笑った。
「あなたの傷薬は芥子粒一つ分塗るだけで、傷跡が残るかと思われるような怪我が翌日には塞がっているんです」
「ええ……」
いやそんなまさかと瞬きする。
アズュリアはごく普通の手順と材料で一般的な傷薬を作っているだけだ。
「極上とはそういう事です。あなたご自身は使ってみて疑問に思われたことは無いのですか?」
男は呆れたように問う。
アズュリアは首をかしげた。
そういえば、他者の作った薬を使った事が無い。
「その様子ではないのですね。同格に扱う事ができないので、実は最初に困って職人組合へ持ちこんだのはこちらなので、なんとも申し上げにくくはあるのですが」
無意識に未だ包帯を当てている傷へ手を伸ばしつつアズュリアは考え込む。
宮廷薬師と医師が、アズュリアの薬の評価をしていたはずだ。そのレポートはアズュリアも目を通していた。
通常の薬よりは、異能者の能力の分だけ効果が高い、という程度の物だった筈。
医師により患者が用意され治験もきちんと行われていた。
それに、顔の傷は未だに消えていない。
「セルキスさん?」
顔を上げて溜息をつく。
「ちょっと色々予想外な事を聞かされたもので……。そうですわね、納品は傷薬だけでよろしければ、近いうちに百個持ってきましょう。それで暫くは大丈夫かしら」
男はぱっと顔を輝かせた。
「是非お願いします」
---どういう事?私の傷にはさほど効いてないってこと?
存在を曖昧にする指輪で、男の眼には映っていても印象には残っていないかもしれないが、未だに包帯は巻かれている。恰好の目印になるので、もし指輪がなければ傷を誤魔化す工夫が必要だった所だ。
---効いてるけど、毒の影響がね……
アルテラが仕方がない、とばかりに言う。
---解毒しきれてなかった?でもあの毒は神経を徐々に麻痺させていって心臓を止めるのよ。
どこにも麻痺は出ていない。
---あの毒、魔力の指向性があるのよ。
アズュリアは眉を寄せた。
---あなたの魔力行使を阻害したのは判ってるのでしょ?連中は最初からあなたを警戒していたのよ。
---つまり、神経ではなく私の魔力経路を麻痺させている最中ということ?
---いえ、あなたの抵抗力で抗ってるから進行はしてない。
---その抵抗力って。
---神力ね。
溜息をついた。
---正確に言えば、薬はちゃんと効いているし、毒も中和されているわ。その後遺症は、神力が発動するまでの間にほんのわずか血に混ざってあなたを蝕んだ毒の名残り。傷を治す薬の力、つまり魔力の巡りを悪くしてる。
そして恐らく、負傷者たちは、きっちり一週間後に回復異能者に治癒を施されただろう事で、もし発現していない異能の持ち主がいたとしても、魔力阻害の後遺症からは逃れられただろう。
もう一度溜息をついて、包帯の上から傷に触れた。
その指先から神力を僅かに押し出して傷を探る。
傷口にまとわりついている魔力でも神力でもない、気持ち悪いもやもやした物を微かに感じ取ることが出来た。
帰って落ち着いてから処置しよう。
手を放した。
---そういえば、あれはアサギリドクハが使われていたわね。
来る途中採取した薬草を思い出す。
---フスハの根とエンジドクハの葉とアラジュール。
毒としてはよく知られている物だ。
---ネスキールの毒。
唯一の動物性の毒。ネスキールとは南方の特定の山の洞窟に住む闇毒コウモリだ。
珍しい毒だった。これが微量で魔力を阻害する。血液と反応して。
中和するにはあまり知られていないが、同じ山にのみ生息するコハクバチの蜜を使用する。
アズュリアはこの蜜をエスタリアの師から時々送られてくる珍しい薬草とともに受け取っていた(勿論信用できる人物を手配して直接受け渡しする)。
師は「珍しい蜜で、甘さも通常の蜜の三倍だ。紅茶に入れるもよし菓子に使うもよし」と手紙に書いていた。勿論その下にネスキール毒を中和する事も書かれていた。
一度紅茶に入れて甘さと味を確かめて、後は大事にとっておいた。
とっておいて良かったと思ったものだ。
あの師匠に関しては時々こういうことが起こる。不思議と必要な物が事前に届けられていたりするのだ。
---負傷者の中に私以外異能者はいなかったのでしょうね。いたら一時的に異能が発動しなくなったかもしれないわ。
---神力に目覚めたかもしれないけどね。
---可能性はあるだろうけど……
---ま、この大陸の異能って、発現者も少ないし、なんというかじんわり効いてくるのんびりした力が殆どだものね。
---のんびり……?
---薬草栽培とか、調薬とか、花栽培とか。
---ああ、そういう意味の……
そう言われて、異能研究所で見聞きした少ない異能者たちの事を思い浮かべてみると、確かに、派手な魔法や魔術系の異能者は現状いなかったように思う。
異能者として真っ先に思い浮かべられるのはそういった方面であるのだが。
---あなたの旦那様の力はちょっと違うけどね。でも、それでも、どちらかというとのんびり系だとは思うわ。
確かに彼は攻撃魔法や魔術は行使しない。出来ない事は無いのかもしれないが、研究に専念しているようだ。
難なくあらゆるタイプの力を発動してみせたというアケヒの弟とはそこが違う。
---一時的に発動しなくても、気づかれなかったか。
---そう。あなたが最初に気づく筈が、神力が補っちゃったしね。
アズュリアは溜息をついた。
---助かったって言うべき?
---そりゃそう。だって解毒剤作れたでしょ?
---まあ、そうか。
そのおかげで褒賞金を貰えたのだ。今までの扱いと理不尽な婚約破棄の賠償金と思えばどうかとは思うが。
その他の細かい申し出も飲んでもらえたので良しとする。
大人しいだけと思っていた娘から出された条件に王は目を白黒させていたが。
---所で他に用事は?
気を取り直したようにアルテラが尋ねてくる。
言われて我に返る。
市場を通り抜けていた。
一本串焼きを買って、かじりながら歩くだけになってしまった。
---家具屋に行ってみる。
串焼き屋の前に戻ると、串を屋台の前の箱に放り込んで、商店街の方へ足を向けた。




