118
地面から膝程の丈の華奢な茎をゆらゆらさせながら、小振りな赤い花も揺れている。
その根元を土ごと用心深く掘り返し、用意していた素焼きの鉢に移す。
土部分へ水槽から汲んできた水をやって、鉢の下から水が落ちなくなるまで待って、鉢部分をシルキリの袋で覆う。
掘り返した部分はスコップでならすと平らになった。
アズュリアは鉢を持ち上げ、ぐるりと小さな箱庭を見回した。
そして、テラスの端に置かれている蔓で編んだ筒に目を止めた。
少し考え、鞄の中へ手に持った鉢を入れると、テラスのそれを持ち上げ、現れた雪里を見る。
筒に付与した効果で適切な温度管理はされているはずだが、心なしか元気がない。
如雨露で水をやるとそれも持ち運びサイズになった先ほどのアルテラ同様シルキリの袋で鉢部分を覆って鞄へ移した。
筒も忘れず放り込む。
---この子も連れて行くの?
アルテラが問う。
---そう。定期的にここの様子は見に来るつもりだけど、雪里はまめに見ておかないとすぐ枯れるし、本来の生息地である北山の方が環境も合ってるでしょうし。
アズュリアは今、寝室裏の石塀に囲われた箱庭へ来ていた。
勿論転移で。
外から覗かれる事のない庭は、アズュリアの慰めの場でもあったが、行方不明となっている以上今までのような管理できるわけもない。
比較的強靭な薬草香草はともかく、繊細な雪里と、万が一人が入った場合に見られると色々と不都合だろうアルテラは移すことにした。
---私、普通の花のふりくらい出来るわよ?
とアルテラは言ったが、ここへアズュリアが不在時人が入ってくるということは、ほぼアズュリアはこの離れへ戻ってくる可能性がないという事でもある。
実家にいた時の習性で大事なものは鞄に入れておく事にしてはいたが、調薬の道具などは台所へ置きっぱなしになっているのでそれらも回収する事にした。
今の所離れへ人が入った形跡はなかったが、アズュリアが長く戻らなければ、手入れの為に清掃の人間などを入れるかどうかは主である公爵次第になる。
入手が困難な薬草や希少な材料などを抽斗から取り出して鞄へ入れていく。
台所の片隅に置いた冷却箱も。
---それの中身ってあれも入ってるのよね。
---そうね。
アズュリアの肩から摘出した種子から芽吹いた葉とアルカミラ領を流れる水の蒸留水とで調合した薬。
「地の力」による、と鑑定された葉の為に、わざわざ地の力をたっぷり含んだ水を使用したのだ。
---後は、まあいいかしらね。
街で購入した花台とハンガーラックも突っ込んだ。
---危ない物は全部鞄へ入れたし、あとは片付けるなら街の薬師にでも頼めばいいわ。
---台所はともかく、見事に元のままねえ。
居間などもとより通り過ぎるだけの場所だったし、寝室に置いていた私物の家具は花台とハンガーラックだけだ。それらを撤去してしまえば元のままだ。
執事に頼んで運び込んだ衝立と西窓に下がっている黒いカーテンだけが入居時と変わった所か。
深呼吸して転移した。
北山の洞窟へ。
ここを次の住処と決めたのは、菫青に汚染された場所であるが故人が誰も来ないからだった。
元の住人であった竜の、今は神に近い存在の彼---菫青そのものを名乗った彼に許可は取った。
彼は気まぐれに姿を現すが、殆どは無関心を決め込んでいた。
アズュリアとしても神に近いような存在にしょっちゅう傍に居られても困る。
もう一体の竜の骨が浸かっている池とは反対側の壁際へ鞄をおろし、ハンガーラックと花台を出した。
広いホールのような空間の片隅に置かれたそれらはひどく場違いに見えたがアズュリアは気にしない。
---他の家具はどうするの?とりあえず寝台がないと困るでしょ?
---そうねえ。もうちょっと実家にいるつもりだから、王都で買い物して実家に配達してもらって鞄に入れるか、執事長と交渉して元自室の寝台を買取させてもらうか。ああ、でもアルカミラ領都の家具職人は気に入ってるのよね。前と同じ感じで買うか、師匠が逗留している部屋に運んでもらうか。
ま、ゆっくり考えるわ、とアズュリアは肩をすくめた。
何のしがらみもない他領で短期間部屋を借りて必要な買い物を済ませる手もある。
いずれにせよ、今起こっている問題をどうにかしてからの話だ。
鞄からアルテラと雪里の鉢も出した。
雪里は洞窟の入り口、日の入る場所へ置く。山の気温は地表ほど高いわけでもないが、念のため付与つきの筒を被せた。
---私も同じ場所でいいわ。
さてアルテラは、と思った所でそう言われた。
---そう?どこかへ地植えしようと思ってたんだけど。
---疑うわけじゃないけど、あなたまた住むところ変えるかもしれないじゃない。
---え、まあ、そうね……
雪里から少し離して置く。
ついでに洞窟の構造上玄関ホールのようになっている入口付近の土を鍬で耕し、小さな畑を作って玉ねぎ、ジャガイモ、二十日大根を植えた。
---菫青大丈夫なのかしら。
アルテラが呟く。
この辺の土壌は竜の骨のすぐ側なせいもあって、含有量が一際多い筈だった。
---私が耕した土だから大丈夫だと思うわ。
アズュリアはあっけらかんと答え、アルテラは驚く。
---判っていたけれど、あなたって規格外よね……
そうかしら、とアズュリアは首をかしげた。
ほんの数か月前まで、地味で真面目なだけが取り柄と言われていたのだ。
大したことないわよ、と言いながら、鍬を担いで玄関ホールの奥を左へ曲がった。
その先が本来の竜の住処であり、真っ暗だったが、今はアズュリアが幾つも飛ばす魔法の光で不自由ない程度の明るさはあった。
やはりどう見ても場違いなハンガーラックの傍へ鍬を置き、その隣の岩のでっぱりに腰を下ろす。ベンチ代わりに丁度良い。
鞄から大きな薬缶を取り出すと、計量カップに中身を注いだ。ゴシュフク茶だ。
---あ、いいな。私も欲しい。
アルテラが言うので、また玄関ホールから鉢を持ってきてベンチの傍へ置き、もう一個計量カップを出して同じ物を注いで鉢の前に置いてやった。
小さくなったアルテラは茎をぐぐっとかがめると花をぽちゃんと水面へつけた。
---飲みにくくない……?
アズュリアが焦ったように問うが、アルテラは花を上げるとぷるぷると振った。
---全く。美味しい。
---そ、そう。ならいいけど。
いっそ根元にかけてやった方がよくはないかと思いながらアズュリアも茶を飲む。
喉が渇いていたらしく、あっという間に飲み干してしまった。
アズュリアがブレンドした茶葉は大量に作り置きがあるが、こちらでもそのうち作らなければ、と思う。この辺のゴシュフク草はどれも菫青を帯びているが、自身は菫青の影響はないので大丈夫だろう。
---アルテラ、あなたには菫青は普通に毒なのよね?
念のために尋ねてみる。
---え、そうよ。勿論。
では茶葉はやはり気を付けなければと思いつつ、こんなところへ連れてきて良かったのだろうかと今更思う。
---だから当分鉢植えのままでいいわよ。
地植えもまずいのか。
---ごめんなさいね。
---え、大丈夫よ。あなたの神力を浴び続けているもの。耐性はついているわ。
---そういうものなの……?
---そういうものよ。
茶に花をつけるのにも飽きたのか、するりと枝分かれした茎が伸び、今の姿には多少大きすぎるように見える計量カップを難なく持ち上げ中に今度は葉を浸した。
アズュリアはもう一杯茶を注いだ計量カップを持ち上げながら洞窟内をぼんやりと眺める。
巨体の竜が住んでいただけあって広い上に天井が高い。
奥の壁から水が流れ落ち、大きな池がある割に、湿気はそれほどない。どこか外へ空気が抜ける穴があるのかもしれない。
広間のような空間は水竜が生前に付与したのか崩れないよう床も壁も天井も「頑強」が付与されている。
竜の遺体がある事で、それらは魔力を供給され続け、未だ効果が薄まる様子もない。
「うん?」
そこでアズュリアは首をかしげた。
何かが引っかかった気がした。
---どうしたの?
アルテラが見上げるように花を上げる。
「いや……」
計量カップを傾けて一口飲む。
---ここの内壁への付与が見事だなあと思って。
アルテラはぐるんと花を巡らせた。
---付与?あら……
今気が付いた、と言いたげに震える。
---これって竜の付与……?魔法、方術じゃないかしら。
---そうなの?
---人間で言えば土関係の異能。
建設現場等で重宝される異能だ。
だが、あれらは土を成形して固めるので、このような自然のままの岩壁を頑丈にするのは見たことが無い。
---付与と魔法の境界って曖昧なのね。
---付与は魔法の一種だもの。
---時々現れる魔法使いって、あらゆる属性の異能が使える人って事なの?
---そうね。あらゆる適性が生まれつき多目って所かな。
---水竜も、水の魔法だけが使えるわけじゃないって事?
---例えば、実を言えば土関係の異能者が土関係の能力しか発揮できないってわけじゃないのと同じよ。
---え、そうなの。
アズュリアは驚いて目を向ける。
---何に驚いたのか判らないけど、適性がそちら方面へ向いているというだけの話だもの。
---竜の魔法って人間の魔法使いと同じに考えていいの?
---魔力を素に魔法を編むんだもの同じよ。ただ会得するのに手間がかかるかどうかの違い。人間の「魔法」の異能者だって属性に得手不得手はあるでしょう?
当たり前の事だ、とアルテラは言う。
---そう考えるとやっぱり「異能」の方が例えるには適当かしら。あなたは薬草栽培や調薬の異能者だけれど、調薬の為に水を出したり浄化したり温度を上げ下げしたり、水魔法と同じような力が使えるようになった上に、結局転移まで出来るようになったじゃない。
転移は薬草や調薬の為に身についたわけではなく、膨れ上がった力を試してみただけの話だったのだが。
---私の場合は、神力に目覚めて力の容量を増やせたから術の種類が増やせたのだと思ってたわ……
---まあね、器官の発達具合と力の内包量によってどこまで出来るかは変わって来るけど、適性ってその程度の事でしかないのよ。
その程度の事ではあろうが、その程度の事でその後の人生が変わる事にもなるのだ。とはいえ、ではそも最初に判定される異能の適性とは何であるのか。
アズュリアはカップに残ったゴシュフク茶を飲み干した。
---そういえば、アケヒの弟が言っていたのも結局同じ事よね?
---そうね。
---こちらでは殆ど知られていない事だと思うわ。アルカミラ公爵、というか代々の魔力研究所の所長は勘づいているんじゃないかしらとも思うけれど。
---でしょうね。「魔力」「分析」の異能を持って研究してて気づかない筈ないと思うわよ。
あっさりとアルテラは言った。
---それが一般的に知られていない、ということは敢えて公表せずにきたのよね。
---そうね。王家あたりに知られると碌でもないことになりそうだし。
アルカミラ公爵が「魔法らしい魔法」を恐らく使えるだろうに使おうとしない事を考える。
最初にその異能を持って魔力研究所を立ち上げた初代当主は適性に意味がない、すなわち魔法らしい魔法は異能者であれば発現可能という事が前提で動いたのかどうなのか。そうであれば、アルカミラは常に「魔力」の異能者が出現する家系となった、とされているが、ある程度は発現する適性を操作できるのではないか。「一族で最も適性のある者が当主となる」というのはそういうことではないのか。その上で、恐らく火力のある魔法を使用できる事を明らかにしないのは。
現王家に対しての忖度なのか、思惑が別にあるのか。
アズュリアは溜息をついて空になった計量カップの持ち手に指を引っかけてだらんとぶら下げた。
---それを言ってしまったのがアケヒの弟だったというわけね。アキミズホの現状ってどうなってるの?
---あの国は竜が生きていて、人の世界とまだ近いもの。
それを聞いてアズュリアは不思議そうな顔をした。アルテラはふわっと光ってまた金の粉を散らした。
---抑止力があるって事。誰だって人より遥かに強大な存在が目に見えていたらどんな考えなしでも多少は自重するでしょ。
国王の上の存在があるという事は、それなりに増長も抑えられるという事なのだろう。
そしてこの国には今それがない。
---やっぱり公には出来ないわよねえ……
アズュリアは、王が王太子へ見せた半分に裂かれた魔法紙を思い出した。
彼らには読めなかったようだが、アズュリアにはそこに込められた物が読み取れた。
王の執務室にあった魔法契約書の「魔力を失う」と同様に。
アズュリアはカップを持ってふらふらと岩のベンチへ戻った。
その際、薬缶を地面に置いておくのもどうかと思い、持ち込んだ花台へ置こうとしたが、下がきっちりと平らではないため多少ぐらつき、躊躇って薬缶を持ったままそっと地面に触れた。
さっと小石の類をどけ、岩壁に施された頑強の付与を真似ながら、一枚板をイメージしてその一画を平らに固めた。
そして花台の上へもう一度薬缶を置くとぐらつきはなくなっていた。
先ほどまで話していた土魔法を思い出し、アズュリアは岩のベンチの前の地面に触れた。
ゆっくりと、上が平らなテーブル状の岩がせり上がってきた。
---え……
アルテラが驚いたような声を出す。
岩のベンチと高さの合うテーブルが出現した。きちんと十センチ程の天板にあたる部分の下は凹んで座った時に足が入るようになっている。
---あ……
出来ちゃった、とアズュリアは呟いた。
---……家具屋、行かなくていいかもね。
アルテラも呆然と答えた。
見に来てくださってありがとうございます。
いいね、お星さま、ブックマークありがとうございます。
急に冷えました。
うち、一昨日の夜蚊が出て、夜中に起き出して蚊取り線香焚いたんですけど。
布団から出ていた指とか変なところを何か所も刺されてむきーってなりました。
念の為昨日の夜も蚊取り線香焚いて寝ました。
季節の変化が極端すぎる。




