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 ガルドウに頼んで集めてもらった端材を寸法を測って鋸で切る。


 何をするのかと遠巻きに眺めていたガルドウは慌てて寄ってきたが、構わず切る。


 石の上へ板を置いて、片足で固定して。


 「奥様、おっしゃっていただければ、私がやりますから」


 刃物を持っているが故にうかつに手を出すわけにもいかず、あたふたしているガルドウにアズュリアは振り返る。


 「花台を作るだけよ。今までも自作してきたから心配いらないわ」


 あっという間に切り終わると、テラスに並べて黒い液体を塗り始めた。


 「それは、ニスですか?」


 「いえ、薬草で作った腐食止め」


 ささっと全体に塗り終わると、乾くまでこのままにしておくわ、と言って片付け始めた。手慣れた様子にガルドウは溜息をつく。


 離れの女主人の手には変わった形の鋸が握られている。大工道具とは違って細くて小ぶりだ。その上持ち手の所で折り畳める。そして切れ味が良さそうだった。


 丁寧に布で汚れを拭って軽く油を塗布して。手入れの仕方も手馴れている。 

 

 「ニスが必要なら持ってきます。乾くのは明日ですか?」


 諦めたようにガルドウが言うと、アズュリアは空を見上げた。


 「そうね。今日も明日も雨なんか降りそうにないし」


 「釘は足りますか?」


 「ええ。手持ちはまだあるわ」


 奥方の持ち物はおよそ貴族とは思えない物ばかりだった。


 台所しか見たことが無いが、テーブルや作業台の上には調薬の道具が並べられ、棚には薬草や香草の乾燥葉が整理されて引きだしにメモを張られておさめられている。


 あちこちにぶら下げられている薬草の束。食器棚の中も食器は一部しかなく、あとは全て調薬の道具のようだった。


 大部分は元からあった物ではなく、奥方が持ち込んだものだろう。


 薬草栽培と調薬の異能があるという。


 王宮では薬草畑を与えらえ、世話をしつつ薬を作っていたとも聞いた。


 八歳のころから。


 平民であっても、丁稚奉公に出るのはどうかと思われるような歳である。


 八年そうやって過ごしたという奥方の薬は良く効いた。


 ハンドクリームなるものは手荒れに困っていた下働きの人間に喜ばれている。


 傷薬は、細かい傷を作る事が多い庭師には有難く、夜塗っておくと翌朝には傷がふさがっている。

 

 ガルドウにのみ渡された化粧水は、言われた通り、朝晩顔や首筋にぴたぴたと塗っている。


 一体それでどうなるのかと思っていたが、驚くほど肌の調子がいい。


 髭を剃るのも楽になったし、剃刀で傷を作る事もなくなった。


 奥方にこれもまた貰った石鹸を使っているせいもあるが。


 日焼けで赤銅色になっていた顔も手もなんとなく色が抜けてきたような気さえした。


 ハンドクリームと傷薬だけでなく、石鹸も奥方から庭師小屋へ差し入れされた。


 汚れる事が多いだろうからと。それと、手洗いの習慣は大事だとも言われた。ついでに、外出後はうがいもせよと先日うがい薬まで持ってこられた。


 奥方はどこまでも薬師だった。


 化粧水を貰った翌日、貴族の女の象徴のような腰まで届く豊かな黒髪がばっさりと切られていて仰天した。


 くるんと小さな団子を一つ作った頭で「軽くて楽だわ」とのたまった。


 庭師と変わらない恰好をして、片足で板を固定して鋸を引く。


 調薬の時は、その上に深緑のローブを羽織る。


 食事は自分で作っていると聞いた。


 午前中に訪れると、はたきをかけていたりモップで床を拭いていたりする。


 使用人と大差ない生活をしている奥方に、ガルドウは何とも言えない気分になる。


 侍女やメイドを拒否した奥方が不便をしていないか気を付けて見ていてほしいと本邸の執事から申し渡されているが、要するにそれとなく監視しておけという事なのだろうなと皆察している。


 定期的に執事には報告を上げているが、執事も戸惑っているのがよく判った。


 最終的に公爵に報告するのだろうが、公爵も戸惑っているのだろうか。


 そもそも形だけの妻とはなんなのだ。


 雲上人の考えることは良く判らない。





 花台というより、寝室の庭で使う椅子とテーブルが欲しかったのだった。


 テラスにあるテーブルと椅子はそこにないと不便だし、本邸の物置にでも行けば、使っていない家具はいくらでもあるだろうが、本邸へ行って、執事に話を通して、物置を案内されて、と手順を考えると途端に面倒になった。そもそも本邸へ行く事が面倒だ。遠いし。三日に一度厨房裏には行っているが、それは食材の為で面倒には感じないので、結局の所上級使用人が苦手なのだろうか、と釘を打ちながら自問する。


 幅広のコの字型の腰高の台を一つと、それに重ねて収まる高さの同型の物を一つ。ずらして配置して、その上に植木鉢を置けば立派に花台になる。


 ガルドウが持ってきてくれた飴色のニスを全面に塗ってまた乾くまでテラスに放置する。


 なかなか良くできたと自画自賛する。


 何もない寝室にコンソール代わりに別に作って置いてもいいかもしれない。


 この家の家具は台所以外は必要最低限の物しかないのでちょっと何かを置く、という場所すらなかったりするのだ。


 「奥様、明日街へ出るんですが、何か入用な物があれば買ってきましょうか」


 不意にガルドウが声をかけてくる。


 そうねえ、と冷えた茶を入れながら小首をかしげる。


 「驢馬の荷馬車に乗っていくの?」


 「はい。仕事の買い出しですんで庭師頭と行きます」


 「じゃあ乗せてくれる?」


 無邪気に尋ねると、とんでもないとガルドウは首を振って全力で拒絶した。


 護衛もつけず、庭師だけで奥方を街へ連れて行くなんて、何かあっても責任が取れないと言われた。


 どうせアズュリアがどこでなにをしようと本邸の人間は関心がないのだからいつもの恰好で黙って出かけてしまえばバレもしないし問題もない筈、とはいえ、確かに庭師の彼らに負担をかけるのは申し訳ない。


 「そうね、迷惑かけちゃうのは良くないわね」


 諦めた様子にガルドウはあからさまにほっとしたような顔をした。


 出かけるなら一人で行くしかない。


 「今のところ買ってきて欲しいものは特にないわ。わざわざありがとう」


 「いえ」


 「御駄賃上げるわ。庭師頭と何か買って食べたりするといいわ」


 室内へ入って、食器棚の引き出しから銀貨一枚を持ってきて遠慮するガルドウへ手渡した。


 「安心して。公爵家は関係ない、ちゃんと私のお金だから。だからあんまり渡せないんだけどね」




 翌日にはニスが乾いたので、花台と言って作ったそれを寝室の庭へ運び込んだ。


 鞄に入れて持ってきただけだが。


 ---おお、いい感じじゃない。


 アルテラが弾んだ声で言った。


 一人分の食事や茶を乗せ、くつろぐ程度なら問題ないテーブルが出来上がった。


 問題は同型の椅子になる台だが。


 そっと腰を下ろしてみたが、軋みもぐらつきもなく、しっかり体重を支えてくれた。


 「大丈夫、ね」


 ---「頑丈」を付与しないの?


 「ああ、そうすればいいのよね。使い慣れていないからうっかりしちゃうの」


 手の平に神力を集め、椅子に置いて染み込ませる。テーブルも同様に。


 ---アズュリアは色々作るんだから、もっと付与を使うといいわよ。


 「そうね」


 溜息をついて、室内に置いた鞄から冷えた茶の入ったポットと金属の計量カップを二つ持ってくる。


 出来たてのテーブルへ置いて、茶を注ぐと、アルテラがするすると葉のついた茎を伸ばしてきて計量カップを取り上げた。


 それを花へ近づけたり、葉を中へ浸けたりして、気が付くと茶はなくなっている。


 もう慣れてしまってアズュリアもどうなっているのか気にしたりはしない。


 ---今日は庭師は来ないの?


 アズュリアが昼間こちらへ来る事は少ない。調薬室で作業している姿を見せておかないと問題がありそうなのでそうしている。


 「ガルドウは庭師頭と街へお出かけ。買い出しですって。荷馬車に乗せてって頼んだら、責任取れないから無理って言われちゃった」


 花は笑うようにゆらゆら揺れた。


 ---まあ彼ら使用人だものね。


 「私の立場だって大したことない、どころか所詮厄介者じゃない。街に出るくらいどうってことないと思うのよね。まあ彼らにしてみればそういうわけにはいかないんでしょうけど」


 ---街に行きたいの?


 「薬師組合に顔を出しておきたいのよ。領都に着いた時に異動届は出したんだけど」


 ---あなた正式な薬師だったの。


 花に驚かれて驚いた。


 「薬作って人に渡してるんだもの当たり前じゃない」


 ---いや、でも、あなた高位貴族の令嬢だったし、第二王子の婚約者でいずれ王子妃になる予定だったんでしょ?職業を得ているってどうなの。


 貴族の娘が働いて箔がつくのは身分が上の女性の侍女か王宮の女官くらいではないか。


 「第二王子の婚約者として異能の研究をして功績の一つも立てろって言われたのよ。薬作って人に飲ませるなら正式に薬師になるしかないじゃない。そういう法律なんだし」


 ---いつ薬師の資格取ったの?


 「九歳の時」


 ---ええ……


 「八歳で婚約して、直ぐに研究を始めろって言われたんだもの。一年は薬草畑や調薬室なんかの準備や調整をしてその間に試験受けたわ」


 ---それって普通の事なの?


 「普通じゃない。別に試験を受けるのに年齢制限は無いけど、大抵は十四、五歳から。私の場合、五歳の頃から領地で薬草育ててたから、その時地元の薬師に師事したりして一応事前準備は済んでいたのと、領地の薬師が推薦してくれたから受けられたの。そうじゃなきゃ王子妃教育も始まったし、挫折してたわ」


 それでも寝不足でふらふらだったけど、と続けた。


 「領地の薬師の助言に従って、組合への登録は別名にしたわ。勿論本名も記載されるけど、屋号で活動して良い事になってるから、屋号の方を表に出すようにしたの。それでかろうじて貴族家の娘の面目は保たれる事になったのよ」


 ---そういうの、研究しろって言った王家とか補助についた王宮薬師とかからは指南がなかったの?


 「あるわけないじゃない。あの人達、他者の都合なんて考えないし、考える必要もないと思ってるんだもの」


 領地の師匠が気遣ってくれなかったら、手抜かりが多くてどこかで破綻していたかもね、と呟いた。


 ---別名は、何?


 「シアン・セルキス」


 ---まあ、男名にも女名にも聞こえるし、平民らしくないけど貴族っぽくもない、本名とは似ても似つかないけど知識があればそうでもないと気づく、絶妙な名前ねえ。自分で考えたの?


 「何にしようかなと思ったらぽんと出てきた」


 ふふふ、と花は愉快そうに揺れた。


 ---ひらめきね。従って正解。


 「それって神力が言ってる?」


 ---どうかしら。


 ゆーらゆーらと揺れながら、花は何事か考えているようだった。


 アズュリアは一気に金属カップの中の冷えた茶を飲んだ。


 ---ねえ、アズュリア。


 「何」


 ---私が街に連れて行ってあげるって言ったら、どうする?


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