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王妃は表向き病を理由に療養生活に入るとされたが、実際はアルカミラ公爵夫人を陥れ殺害しようとした疑いで北の塔へ移されることとなった。
不確かな事が多い事件ではあったが、アズュリアを罰するよう騎士に促した女官は確かに王妃付きであった事、長くアズュリア周辺から王宮の予算を奪っていたこと、アズュリアに理不尽を強いていたこと、宮廷医師と宮廷薬師、そして異能研究所との癒着、必要経費の水増し等々が明らかになり、事実上失脚する事となった。
偽証を行った侍女や、王妃に盲目的に従ってきた側付きたちは罪に問われ、王宮を追われた。
アデレフ侯爵も王妃が王宮内で実権をふるえぬ以上、旗色が悪くなり、大人しくなった。
次期王の祖父であるとはいえ、現王はまだまだ健康で退位は当分先と思われ、そして王の後ろ盾は南のヴェルダルや東のレデリューがついており、アデレフが離れた所で問題は無い。王太子が即位する頃には現アデレフ侯爵も引退しているだろう。
王宮の女主人が不在となり、代わりとなるのは王太子妃だったが、現在妊娠中であり、補助するという名目で実権を握ったのは王妹であるヴェルダル公爵夫人だった。
ヴェルダル公爵夫人は即座に王太子妃へ茶会の主催を促し、議会の為に王都に留まっていたレデリュー侯爵夫人、オズダトリア辺境伯夫人を招待した。王妃が去った後の勢力図を書き換える為である。
王太子妃を旗印にしながら社交界を牛耳る算段に抜かりはなかった。
第二王子は今度こそ謹慎を厳命された。
部屋の前に常に騎士を置き、決して王子を出さない。
地下の特別房の件を口止めした直後にシュベタハ神殿へ行ってぺらぺらしゃべった事が原因である。
王子の護衛騎士はその行動の全てを報告するよう義務付けられていた事を王子は知らずにいたのである。
何度か抜け出そうとして捕まり、ついに外からしか鍵の開閉が出来ない部屋へ移された。
王子は「神殿へ行かせてくれ」と血が出るほど拳で扉を叩いたという。
医師が呼ばれて鎮静剤を投与され、王子も病ということになった。
アルカミラ公爵は渇水事業の要である妻に起こった悲劇にショックを受けつつも、前オズダトリア辺境伯の助力を受けて何とか事業を回しているとされていた。
家令に案内され、現れたエスタリア公爵は、記憶にあるよりは随分と痩せてやつれていた。
頭髪も白くなり、数か月前に見た頃より一気に年を取ったようにも見えた。
足取りもどこか不安定で、杖を突いている。
まだ老け込む程の歳ではないはずだったが、体調不良が続いていると聞いていた為、その影響だろうか。
「こんな時に時間を作って頂いて申し訳ない」
エスタリア公爵は詫びた。
「私が個人的に何かできるわけでもありませんので」
レデリュー侯爵との会談中アズュリアが騎士に連行されていったと一報を受け、議会が終わったばかりのアルカミラ公爵は情報を集めるために駆けずり回った。
家令とレデリュー侯爵から連行されていく際の話を聞いてまずは騎士団へ抗議を入れ、国王に緊急で謁見を願う。
アズュリアとの面会の申し入れをし、レデリュー侯爵の後にアズュリアと約束のあったオズダトリア辺境伯へ連絡を入れるとそちらでも情報を集めてくれていたらしく夫婦で駆けつけてくれた。
事情を問いただすべく、騎士団へ出向く用意をしていると、国王から謁見の間でアズュリアの件の審議を行うとの連絡がきた。
予想外に素早い対応だった。
謁見の間での出来事はヴェルダル公爵夫人の独壇場と言ってよく、何もかもが驚きだった。
アズュリアは家令には事前に何かあった場合はヴェルダル公爵夫人へ連絡するよう申し渡していたそうだ。魔法道具のネックレスについては侍女の恰好をして王妃宮へ随伴する事になった際に説明していたらしい。
連行の際、騎士ともみ合って千切れたというが、それが偶然であったのか故意であったのかは判らない。
直ぐに解放されるかと思われたアズュリアだったが、なかなか連絡がなく、焦れて待っていた所へ、誰も知る者のなかった地下深い独房で火事に巻き込まれて行方不明との報が届いた。
いきさつを聞くうち怒りがこみあげ、いつも冷静なアルカミラ公爵が声を荒げたと一部で噂された。
レデリュー侯爵とオズダトリア辺境伯も何が起こったのか徹底調査を行うよう騎士団へ厳に申し入れた。
そうして、本来の会談の時間になり、エスタリア公爵が現れた。
杖を突きながらソファへ腰をおろし、正面からアルカミラ公爵を見つめる瞳は真摯だった。
「本来であればアズュリアの婚姻の件も含めて、もっと早くに連絡を取るべきだった。申し訳なかった」
エスタリア公爵は頭を下げた。
「今更と思われるだろうが、事情を説明したくやってきた。あれを虐げていた件から」
声が掠れた。
「私もまだはっきりと原因を特定できてはいないが、恐らく、妻に出会った頃から既に歪み始めていたように思う」
エスタリア公爵は杖を持ちかえ、右手を握って開いた。
「今ははっきり己の意志で動かしていると実感できるが、長い間、己の意志を捻じ曲げられていた気がする。妻が妙な香りのする焼き菓子を持ってきて、何度も私に食べさせ、酷い酩酊に襲われる度、己の意志とは違う方へ向かうのだ。妻に言われ、導かれるまま」
「あれを口に入れる事に抗えばよかったと思われるだろうが、何故か魅入られたように逆らえなかった。一体、いつからそうなったのか……」
目を閉じて溜息をつく。
「いつの間にか異常を異常とも思わなくなった。気が付いたのはつい最近、長女が家を出て行った際、次女があれの髪飾りを付けているのを見てからだ」
エスタリア公爵は懐からラペルピンを出した。
中央に薄水色の石、周囲にグレーがかった石の花の意匠。
「これはかつて祖母から送られた物で「お守り」と言って渡された」
「こういった物をつける機会はあまりなく、仕舞い込んでいたのだが、髪飾りはこの花の部分と意匠が同じでこれのことを思い出したのだ」
グレーの花弁の石をなぞる。
「この石は元はこの色ではなかった。手に取った途端、輝きを失ってこの色に変じた」
受け取ってアルカミラ公爵は魔力の流れを見る。
中央の石からは付与魔法。花弁の石からはねっとりとした粘性を帯びた異様な気の名残り……
「呪い、ですかね」
顔を上げて腰を上げる。
「失礼。手を取ってもよろしいですか」
エスタリア公爵は右手を差し出した。
アルカミラ公爵はその手を取って僅かな魔力を流し、エスタリア公爵の身体の気を探った。
「呪いの残滓はある」
脈をとるように手首に触れた。
「大分抜けたのではないでしょうか。このお守りの御蔭ですか」
エスタリア公爵は頷いた。
「正気に戻った。呪いが抜けるとともに大分消耗もしたが」
アルカミラ公爵は眉を寄せた。
「これにそんな反動は無い筈ですが。大分出来の良いお守りだ」
「呪いがそういう物だったのだろう。衰弱して、一時は死を覚悟した」
骨の浮いた手を取り戻し、目を閉じた。
「アズュリアはその髪飾りをよくつけていたが、輝きはそのままだった。だが、次女の髪にさされているのを見た時、目の前で花弁が一枚色を変えたのだ」
妻や次女と一緒に長女を屋敷から追い出した直後だった。
今思えば、満座の前で婚約破棄を言い渡され、にもかかわらず、破棄してきた当の王子をかばって傷を負い、更には王都から五日もかかるような場所へ褒賞と称して嫁入りさせられる事が王家の都合で勝手に決められて帰ってきた娘にひどいことを言ったものだ。
娘は何一つ言い返すこともせず、それどころか顔色も変えず、黙って出て行った。
表情にも瞳にも、何の感情もなかった。
「次女は私より呪いが酷い。疑う事を知らないうちから母親の言動を丸ごと受け入れてきた。申し訳ないことに今そちらで療養させていただいているが」
苦い顔のエスタリア公爵にアルカミラ公爵は微笑んだ。
「治療に当たっているのは妻です。場所と看護人を二人世話しはしましたが、対価は頂いています」
お気になさらず、と続ける。
エスタリア公爵は額を押さえた。
「当家の執事長からあらましは聞いた。姉の名を使って道中浪費を繰り返した挙句、他領で暴れて卿にも迷惑をかけたと。不徳の致すところだ」
漸く貴族家である自家の拙さを自覚したエスタリア公爵の苦悩は深い。
「あれの様子と、矯正の可能性についてアズュリアへ尋ねるつもりだったのだが、長女までこんなことになってしまうとは」
「私では詳細は判りかねますが、次女殿の容体は落ち着いていると報告は受けています」
「だが、長女が診る事が条件でもあろう。今となっては……」
深く溜息をつく。
「呪いの件は、どう対応なさるおつもりです?」
アルカミラ公爵が尋ねた。
「お話から伺うに、奥方に問題があるようですが」
「いざとなれば、私が身を持って止めねばなるまいと思っている。今日アズュリアに会えれば、その件で話し合う予定でもあった」
エスタリア公爵の濃い茶の瞳が潤んで見えた。
「妊娠なさっていると伺っていますが」
「……子が生まれるまで待つかどうかも、これから判じる事になる」
「失礼ですが」
茶を入れ、壁際で控えていたアルカミラ家の家令が声をかけた。
二人の公爵が目を上げる。
「アズュリア様の伝言がございます。エスタリア家の事に関しては、執事長殿へ申し渡しがあると」
「何……」
二人ともが目を見開いた。
「エスタリア公爵様には是非執事長殿に確認をお願いしたいとの事でございました」
唇を震わせ、エスタリア公爵は杖を握りしめた。
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