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ねじ曲がった世界で、君と私は親友だった。

八月二十二日、午前一時十分。


生暖かい風が髪の隙間を通り抜けていく。

どこまでも黒い空に輝く星を見て 今日にしてよかった、と鮮明な頭で思う。

汗で張り付くシャツを引きはがす。

じっとりとした熱帯夜だった。


廃墟にしては随分小洒落たこのビルを見つけたのは、もう3ヶ月も前のことになる。

人気のない廃れた路地にぱっきりとした白は浮いていて、ちょっと張り切りすぎだよと笑ってしまった。

例えるなら、チェーンのファミレスにフォーマルなスーツを着てきたような感じ。

この路地にあるどの建物より綺麗なのに、この路地にあるどの建物よりも馴染めていなかった。

そんなビルを、私は親しみを込めて"空回りビル"と呼んでいる。

いつも必死で空回りしてばかりの私と、なんだか似ていた。


"空回りビル"の屋上は意外と狭くて、20歩くらいで端と端まで行けてしまう事を、何度も繰り返した予行練習を経て私はよく知っている。いつものようになんとなく数えてみたら、今日は17歩。私は気分が上がると大股で歩く癖がある。

いつもより大きめの18歩目は少し上へと向けて、転落防止のために高くなっている#塀__・__#に足をかけた。

そのままグイと体を押し上げ塀の上に立つ。

目線が急に三十センチくらい空に近づいて、星の輝きにチカチカした。

その場で夜の空気を胸いっぱいに吸い込むと、熱された空気が肺をじんわりと温めて、誰かに抱きしめられているような心地になる。

こんなに息がしやすいのは久しぶりだ。


塀から片足を空中に透かしてみると、つま先が暗闇に溶けて見えなくなった。

初めて見るプラス三十センチの景色は、今までと全く違うもののように思える。

溶けた足先の、更に先をじっと見つめて、必死に目を凝らす。

目測十一メートル下、この先には私の希望が詰まっている。


つま先をぎゅうぎゅうに押し込めないと履けない茶色のローファー。

誰も付けなくなった6人用のストラップ。

汗で張り付く長袖のワイシャツ。


誰も救ってくれないから、自分で救われるしかないと分かっても、仕方ない事だと思った。

人って、そんなに強くないし。


窮屈な靴も、きつく結んだ髪も、堅苦しい制服も全部とっぱらった私は、今この世界で1番自由だ。


ザリザリとしたコンクリートは少し熱くて、剥き出しの足裏がひりひりする。

私はくるりと向きを変え、ゆっくりと空回りビルを見渡した。

脱ぎ散らかした制服と、きちんと揃えられた靴以外はなにもない。お気に入りのパッキリとした白色は、夜の濃い黒色にすっぽり隠されてしまって見ることが出来なかった。

あんなに綺麗だと思った夜の黒色が途端に邪魔なものに思える。

多分、みんなこんな気持ちだったのだろうと想像して笑えた。


しっかり地面を踏みしめていた足の裏からザラりとした感覚が消え、脳みそが身体中の筋肉に力を入れることを禁止した。

後ろから吹き付けられる風に煽られ、母譲りの茶色い髪の毛が顔にまとわりついて視界を覆う。

隙間から見える黒い空がゆっくり遠ざかっていった。


瞬間、世界が反転する。

屋上の縁から飛び立った私は、そのまま重力に従って下へ下へと落ちていった。

急速に上っていく景色が綺麗で、暗闇に光る星に手が届きそうで。自由な私はたしかに空を飛んでいた。


パッキリとした白色を思い浮かべながら、このビルは取り壊されないでいて欲しい と憐れむような気持ちで思った。

数秒後、ひっくり返った世界のまま、私は地上に着地する。

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