絵を描く少女
一心不乱に目の前のキャンバスに筆を走らせる。
頭の中にある光景を早く目の前に描きたくて、飲食をせずに私は必死に絵を描き続けていた。
「少しは休んだらどうじゃ?」
「うん、もう少し描いたら休むね」
問いかけられた言葉に私はキャンバスから目を離さずにそっけなく返す。そんな言葉をかけても相手は怒った様子はなく、お茶をすする音が聞こえてきた。
私はその音に少しだけ微笑むと、一気に完成させようと筆を持ち上げた。
ここはとても小さな街の小さな家。家の中には十歳を少し超えた少女と老人の姿があった。
少女は今も一心不乱に絵を描き続けている。そんな少女を微笑んで見つめる老人は愛娘を見つめるような表情をしていた。
少女は小さなころ、捨てられた。昔から絵を描くことが好きで、紙とペンさえあれば夢中になれた。誰かと遊ぶことはせず、ただ一人で一日中絵を描き続ける日々。少女はそれが幸せだったが、両親はそんな娘のことが気に入らなかった。
絵を描いて生計を立てることなど無理だと、両親にはわかっていた。この街には絵を楽しむような人はいなく、毎日を必死に生きていくためには絵だけを描いているわけにはいかなかった。
少しでも勉強をして、良い学校に入って、稼ぎの良い仕事にありつかせるのが、子を持つ親がすべきことだった。
しかし、少女は勉強はまるでできなかった。周りの子は小さいころから英才教育を受け、少しでも良い学校に入ろうとしているのに、少女は勉強には興味がなくまるで手を付けようとしない。
両親はそんな娘のことがだんだんと嫌いになっていった。そんな折、両親の間に新しい命が芽生えた。そこで、両親は少女を自分の子ではないことにしようとした。絵ばかり描いている娘は、自分の娘ではない。母親のお腹に宿っている命こそ、自分たちの子だ。
少女が捨てられたのはそこからしばらくしてからだった。
遠い遠い町、両親は小さな子を寒空の下、捨てた。
ぼけーっと離れていく車を負うこともせず、自分がいらない子なんだなと、なんとなく感じた。勉強ができないのではなく、勉強に興味がなかっただけで、少女は頭が良かった。
さて、私はこれからどうしよう。絵を描くことはできないのかな。十歳に満たない少女は捨てられたことよりも、そんなことを思っていた。
「おや、こんな所に女の子が一人でいて、寒くないかい?」
そう言って声をかけてきた人物が、今少女を育てている老人その人だった。
老人は少女が絵を描き続けて学校に行かなくても、怒ることはなかった。むしろ、完成した絵をとても嬉しそうに褒めてくれた。
少女はいつしか、この老人のことを本当の父親のように感じていた。
少女のことを拾って数年になるが、少女のこれまでのことを訪ねてくることはなかった。そして、自分のことを語ることもしなかった。
少女にはその距離感がとても心地良いものだった。
それでも、自分を拾ってくれた老人には何か恩返しをしたいなと考えていた矢先のことだった。
天気が良かったので、今しがた完成した絵を窓際で乾かしていたときのこと。
「この絵はなんだ! とても素晴らしい物じゃないか!」
偶然家の前をとても高そうな車が通った。
車は急停止すると、中から二十代ほどの人物が降りてきた。
「こんな絵を描く人物に会いたい! この素晴らしい絵を描いた人物はどこにいる?」
見るからに位の高い人物は意気揚々とまくし立てた。少女は自分だと名乗ると、その人物は、
「素晴らしい! それに君は若い、ぜひ僕の嫁になってほしい!」
と言ってきた。
その人物はこの国を治めている王様のような人だった。当然少女に断る権利はなく、「たまには帰っておいで」と笑顔で送ってくれた老人の言葉を後に少女は偉い身分になった。
それからの日々は退屈であった。自分のことを褒めてくれた人物は悪い人ではなかったが、素晴らしい絵を描くことを常に求めていた。私を拾ってくれた老人のもとにも毎月生活できるだけの金品を送ってくれていたので、私は求めるままに部屋にこもって絵を描き続けた。
ただ、困ったことに、少女が住んでいる場所から出ることは許されなかった。なんでも他国からのスパイに素晴らしい絵を描く少女がさらわれてしまうのを防ぐためだとか。
少女はだんだんと絵を描くことがつまらなくなっていった。
そんな折、老人が亡くなったことが少女に知らされた。葬儀には出席することは許された少女が、埋葬される老人の顔を見たとき、自然と涙があふれてきた。
老人は、とても素敵な笑みを浮かべたまま横たわっていたのだ。
これまでの感謝と、伝えられなかった言葉が胸にあふれかえってきた。
少女は、そっと手を合わせ、その場を後にした。
それから数年後、各国から素晴らしい絵だと絶賛され、高値がつけられた絵があった。
その絵には、笑顔で小さな少女を抱きしめる老人が描かれていた。