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「河童……」
化け猫が静かに声を掛けて来た。
腕に意識を失った優月を抱いている。
「優月、治して」
そう言って優月の手を見せた。
先程“鬼”を治した時、自ら傷付けた両の掌。そこから流れる血液は緑色をしていた。
それは、完全なる仲間に成った事を意味する色。
優しく掌を持ち、口付ける。唾液でも傷を治せるのだ。
「ん……」
優月が小さく身を捩ると、目を開いた。
触れた事で意識を取り戻したのだ。
「朗……」
開いた両眼は、綺麗な星を煌めかせて居た。
伸ばされた手を取ると、優月は足を下ろす。そして私に抱きついて来た。
「朗」
声も姿も優月なのに、私を見つめる瞳に宿る光りが、別の誰かの意思を認めさせた。
「優月?」
..
「そうよ優月。私よ」
伸ばされた手の平が私の頬を撫で、背伸びをした優月が顔を寄せて来た。
考える間もなく、重ねられた唇の甘さに全身が震える。
これは私のものだ。
強く思った。
否、初めからそう感じて居た。
甘美な時間が流れる。
二人の世界だ。
それがいつだったか、思い出せないくらい遠い昔、
私は愛を知った。
..
私。私は、私は誰だ?
「……朗」
優月が呼ぶ。
私を“朗”と呼ぶ。
*優星side*
「あら」
朗の母さんが何だか嬉しそうな声を上げた。
私は感動の再会に目頭を熱くしていた。だから朗の母さんが見てる方向を見て、びっくりした。
だって、ゆづが、ゆづが! 自分から朗にキスしてるトコだった。
見間違いなら良かった。けど、確かに背伸びをして朗を引き寄せる様に唇を重ねてた。
ぬあぁ~~~!! って、二人を引き離そうと駆け寄ろうと足を踏み出した時、まばゆい光りを放つ“閻魔帖”が宙に浮いていた。
それは静かに何かを訴える。
懐かしさに涙が流れる。
何が懐かしいのかさえ理解出来ずに、足が止まる。
その場に縫い留められた様に、動かない。
瞬きをした先に視えたのは、流れる赤髪と黒髪が絡む様に風に揺れる。
切なくて哀しくて、見ていられない。
「優星」
優しい腕が私の身体を支えた。
「響夜くん」
身体を反して響夜くんの胸に顔を埋める。
「う……ひくっ!」
この気持ちをどう言い表せば良いのか判らない。
ただ泣くしか出来なかった。
抱き締めてくれる確かな腕に縋り着いて泣く事しか……。
不確かな感情が胸を熱くする。
二人が一緒に居るのが、それを見て居るのが辛い。
だから訳もなく邪魔したくなった。
訳もなく?
理由は解らないだけで心の奥深くに眠ってる気がする。
「姉ちゃん?」
ゆづの声が近くに聞こえて頭を上げる。
すぐ傍に立って居て、心配そうに私を覗いていた。
「ゆぅづぅ!!」
思わず飛びついていた。
同じ身長で私よりちょっぴり軽いゆづは「あわゎわわ」何て情けない語尾を伸ばしながら倒れてしまった。
「あニャ!」
可愛らしい声が聞こえ、柔らかいクッションに倒れ込んだ。
クッション?
「優月。大丈夫か?」
って、クッションが身体を起こした。
黒髪に、黄色い瞳の浅黒い肌を持ったイケメンが優しく微笑んでた。
「誰?!」
思わず訊いていた。
「クロスだよ。大丈夫。ありがとう」
クロスは、あの黒い化け猫。
「化けたの?」
無駄にイケメン。
ポーっとしてたら、後ろから子どもを抱き上げる様に脇の下に手を添えられ、持ち上げられた。
「優星」
そのまま後ろから抱き竦められた。
「響夜くん?」
訳が判らないまま回された手を擦ると、力が緩んだ。
何か解らないけど、安心した。
「はぁ……疲れた。帰ろう!」
さっきの雰囲気を脱したくてわざと大きな声を上げて宣言する。
その事に誰も反対しなかった。
床に落ちた“閻魔帖”を拾い上げると、伝わる事柄があって先生を見る。
「“鬼の花嫁”を辞めたいなら、繋がりを断つ事が出来るわ」
驚いた様にこちらを見た先生に伝える事がある。
「但し、不老では無くなるからね」
「辞めたいわ! この子の成長を見ながら生きて年老いたい」
頷いて、閻魔帖を開く。
“離縁の術”
浮かび上がる文字を読むと、先生の身体から煙が立ち上る。
それは白く細かい文字の羅列。
空中で文字が崩れ消えて行く。
先生は目を瞑ったまま、溜め息を吐く。
「私は、木道 鈴鳴として葵と生きて行く。産婦人科医師として」
そう公言した。
その顔は幸せそうで、
―――そんな顔をみたくてこの書物を書いたのよ―――
誰かが呟いた。
誰かって、それは……。
「ゆら。この子の名前は優良よ」
朗の母さんが言った。
突然言われて振り向いた先に見えたのは、河童の娘。
名前の不思議に愕然として“閻魔帖”を書いていた女性が頭に浮かぶ。
あれは、おばあちゃん。
優良おばあちゃん。




