ファティマとアンハル
誰だろう、と思った。白っぽい髪と青い目の少年は、ロバベフ孤児院の子供ではない。
ファティマを見てにかっと笑った少年が口を開く。
「初めまして! 俺は−−「アンハル様!」
少年が最後まで言う前に、騒々しい音を立てて院長を始めとする複数人の大人が調理場へ飛び込んできた。
「アンハル様、勝手をされては困ります。何かあったらどうなさるのです」
どうやらアンハルというこの少年が焼き菓子や楽団を引き連れてきたご子息さまのようだ。
「これくらいで勝手になるかよ。なあ、ファティマ」
同意を求める少年に、知らない……と小声で返す。すごくぐいぐい来る奴だと思った。
「ファティマ、アンハル様はお前にロクムをお持ちになってくださったんだ。他の子たちはもう大広間に移動している。お前も早く行きなさい」
「これ、ファティマの分な! みんな待ってる、早く行こう!」
アンハルから焼き菓子を受け取り、一緒に大広間へ向かう。
「他の子の代わりに食器洗いを引き受けたって聞いた。偉いなあ!」
「ありがとう……ございます」
何とか敬語にできた。ご子息さまたちに対してはできるだけ丁寧な言葉遣いをするようにと口を酸っぱくして言われている。
「俺はいつも人に手伝ってもらってばっかりなんだ。自分のことくらいはできるようになりたいんだけどな」
この少年とは初めて会うのに、見覚えがある気がしてふと気づく。
あ、こいつムフタに似てるんだ。
◆
歓談中、アンハルの周りには分厚い人垣ができていた。
普段何してるんですか、ぼく数を数えらるようになったよ、あたし歌を褒められたの、という子供たちの話を楽しそうに聞いている。
ファティマは人垣から一歩引いたところでアンハルを見ていた。見れば見るほどムフタに似てる……かは分からない。最後にムフタを見たのは半年くらい前だから、記憶も薄れている。白っぽい髪、青くてつり上がり気味の目くらいしか覚えていない。
ずっと見ていたら、アンハルと目が合った。浅く頭を下げて目を逸らすが、なぜかアンハルは近づいてくる。
「どうかしたか?」
「あーと、えーと、アンハルさまは兄弟とかいますか?」
ムフタという少年を知っていますかと聞ければよかったのだが、それはできない。ウラス先生から、ムフタや誘拐のことは他人に行ってはいけないと言われている。
「ああ、いるぞ! 今は10人兄弟だ。俺は6番目で、上には3人。でも、他の兄弟と少し年齢離れてるんだ。3番目の兄は17歳で、7番目の妹は4歳。俺も歳の近い兄弟がほしかったなー」
そこまで話したところで、他の子供がアンハルの腕を引いた。ここまでだ。ありがとうございました、と頭を下げてファティマはそこから離れて壁際に移動した。
良いところの子供で、見た目が似ているし歳も近そうだからムフタとアンハルは兄弟かもしれない、と思ったが違うようだ。それにしても、10人兄弟って多いな。
アンハルと子供たちが外で遊んでいると、別の一団がロバベフ孤児院を訪れた。
「アンハル、粗相はしていないか」
「兄貴」
年少の子供たちと両手を繋いで妙な踊りを作っていたアンハルが兄と呼んだのは、彼より大分年上に見える少年だった。ゆったりした服装と穏やかな表情で、まるで大人のように見える。
「兄貴も慰問じゃなかったか?」
「こちらは午前中で終わってね。宿は一緒だし、折角だから様子を見に来たんだ。ああそうだ、明日の会食、逃げるなよ」
それを聞いたアンハルは嫌そうな顔をしたが頷いた。
突然新たなご子息さまが来たことで、場はさらなる盛り上がりを見せた。しかし、めでたい時間もいつかは終わるもので、アンハル達が帰る時間がやって来た。
孤児院の入り口で見送りの挨拶をした後、子供たちは室内へと入れられる。外で見送りをさせると収拾がつかなくなるからだ。
お茶に使った食器の片付けや夕飯の支度が始まる中、台拭きをしていたファティマはテーブルの下にキラッと光る物を見つけた。金色の鎖に白くてつやつやした玉が幾つも付いた装飾品は明らかに子供たちの持ち物ではないし、大人も指輪や首飾りはあまり身に着けない。では誰の物かと考えて、アンハルやその従者たちは耳飾りや腕輪をしていたことを思い出す。きっと彼らの持ち物だろう。
見送りに出ている院長先生はまだ戻ってきていないから、まだ彼らも出発していないかもしれない。ファティマはこっそり外に出た。すでに日は落ち、太陽のなくなった空は僅かに残る橙色と青がかった黒で薄暗い。
門の方へ向かうと、丁度アンハル達が馬車に乗り込むところだった。
「わー! 待って、待ってー!」
速足を駆け足に変えて走る。院長先生がファティマを見て目じりを吊り上げたのが分かった。
「ファティマ! 中に入っていなさいと言っただろう!」
厳しい声に肩を竦ませながらも。ファティマは手に持っていた装飾品を見せる。
「テーブルの下に落ちてた。忘れ物だと思って」
アンハルが「あ、それ俺のだ!」と言って乗りかけていた場所から降りてファティマに近づく。
「気づかなかった。持ってきてくれてありがとう!」
アンハルに装飾品を渡す。白い球が手の平に転がった。
「それ、お爺様からいただいたやつじゃないか、気を付けないと駄目だよ」
「そうなんだ。真珠の腕輪、遊ぶ時に壊さないようにって外してポケットにいれてんだけど、落としてたんだな。気づかなかった……」
薄暗い中で見るアンハルの顔は、やはりムフタを思い出す。高熱を出していたのに突然姿を消した少年。あれから長い時間が経ったが、無事に家に帰れただろうか。熱は下がっただろうか。それに、今しんじゅと言っていた。白くて丸い宝石。ルゥルア。これもムフタが教えてくれたことだ。
「へえ、よく知っているね」
「へ?」
「いま、ルゥルアと言っただろう。真珠っていう意味なんだ。まだ小さいのに物知りだね。どこで知ったんだい?」
どうやらうっかり口に出していたらしい。どこで知ったと聞かれても、ムフタのことは他の人に話せない。「知り合いに教えてもらいました」ともごもご答える。
うーん、と犬の唸り声のようなものが聞こえて何かと思ったら、アンハルがファティマをじっと見ていた。
「お前、まさか……いや、なあ、俺たち、前に会ったことあるか?」
それを聞いたファティマは、もしやアンハルはムフタ本人ではないか? と思った。アンハルが本当の名前で、ムフタというのはギメイというやつだ。偉い人たちは時々違う名前を使って仕事をしたり、ツカノマノジユウをおうかするのだと、この前見かけた物語売りが言っていた。
「恐れながら、ファティマはここに来るまで違う街で暮らしていました。アンハルさまとお会いしたことはなかったでしょう」
院長先生がファティマを下がらせながら答える。ファティマが変なことを言って、問題になったら大変だからだ。それでも、アンハルの目はファティマをまっすぐに見ていた。思いついたことを、聞いてみることにした。
「……そふに真珠って呼ばれたことはある、ますか?」
「ファティマ! 何を言ってるんだい!」
院長先生の叱責も耳に入らない。アンハルの目がパッと開かれ、青い目がきらきら光った気がした。やっぱり、アンハルはムフタだったんだ。彼が熱も下がって元気になっていたとわかって、ファティマはほっとした。熱も下がっていたし、とても元気そうだ。無事でよかった。
「院長先生、オレ、先に戻ってるから」
すっきりしたファティマは軽やかに踵を返す。そろそろ戻らないと、外に出ていたことが他の子供や先生たちにばれてしまう。「あっ、ちょっと待て!」と声がしたが気にしない。ファーマ! と呼ばれて振り返る。
「オレの名前、ファティマっていうんだ。嘘ついてごめん」
じゃーな、と手を振り、ファティマは来た時と同じように駆け足でその場を後にした。