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ファーマとムフタ  作者: 由遥
6/7

アンハル 2

 4日目の目覚めは、ファーマの家に連れてこられてから一番マシだった。ファーマの父親が朝早くに出かけて留守にしているというのもあるだろう。

 家の中を掃除して回るファティマと色々な話をした。

 アンハルには想像もつかない生活。酒場や孤児院について話す時の楽しそうな声。それとは裏腹に、父親の話になると現実を思い出したように表情が暗くなった。

 親父が生きているから孤児院に入らないと言うが、父親が死んだらいいのか。そういう問題なのだろうか。

 欲張りにも程があるだろうと言いたくなるような将来設計にはつい説教臭いことを言ってしまった。何偉そうなことを言っているんだと内心で恥じ入るが、ファティマは意味が分からないのか「ムフタは色んな事を知っていてすごい」などと言う。

 その流れで、ファーマは自分の年齢も知らないことが分かった。誕生祝などはどうするのかと思ったが、あの父親と暮らしていればそんな祝い事などないだろう。

 じゃあ決めればいいと思った。どうせなら同い年にしようと言えば、ファーマは「オレ8歳か」と言った。誕生日はいつにするかと聞けば、こだわりはないようで今日でいいと言う。適当過ぎておかしくなって笑ってしまった。楽しいなと思った。自分でもどうかしていると思うが、ファーマと過ごすのは確かに楽しかった。


 そう思っていたのに、昼過ぎにあの若い男が来て気分は最底辺まで落ち込んだ。

 何をしにきたと聞けば、もうじき家に帰れるかもしれないと言う。

 身代金の受け渡しや要求が通る目途が立ったのだろうか。意外だった。アンハルがいなくても家は別に困らない。優秀な上の兄や姉ならともかく、何の才覚も表していない自分は切り捨てられるかと思っていた。

 しかし、本当のことを言っているとは限らない。嘘かもしれない。何の情報も入らないこの状況で、あの男の言葉を信じられる保証がない。それは分かっているのに、芽生えた期待を潰すこともできなかった。



 翌朝、目覚めたら今までになく体調が悪かった。熱がある。頭が痛い。全身がだるい。

 毒は一昨日から飲んでいない。帰れるかもと言われて気が緩んだせいだ。ファーマが懸命に看病してくれるが、一向に楽にならないまま夜になる。ファーマの父親は一度帰ってきたようだが、またすぐ出て行って昼間と変わらず2人だけだった。

 浅い眠りから起きると、喉の渇きを感じて咳が出た。近くにいたらしいファーマが動く音がした。

 「大丈夫か?」

 「大丈夫だ……水を、もらえるか」

 残っていた水をアンハルに飲ませたら汲み置き分が底をついたらしく、ファーマは水を汲みに行ってしまった。1人になるのは不安だから行かないでくれと言ったが、水がないと困ると言って聞かなかった。

 それからしばらくしてドアの開く音がした。足音が明らかに大人のもので、ファーマではない。父親が帰ってきたのかと思ったが、布をまくって姿を見せた人影は横たわる自分を見てアンハル様、と言った。

 数日振りに名前を呼ばれた。人影は迷いなくアンハルに近寄り膝をつく。アンハルの父の部下だという。この街にアンハルがいるという情報があり、探していたと言った。

 「遅くなって申し訳ございません……ひどい熱だ、お労しい。すぐ安全な場所へ移りましょう」

 父の部下は刃物でアンハルの足に結ばれた縄を切り、その体を軽々抱え上げた。

 「待ってくれ……ファーマも一緒に連れて行く。俺がいなくなったら、逃げたと思われる……殺されるかもしれない」

 そう言ったつもりだったが、まともに声が出なかった。父の部下も熱によるうわ言と判断したのか、そのまま家を出る。ファーマを置いていくことへの不安と、それ以上の安堵が胸に広がっていく。

 「もう少しだけご辛抱を」

 その声を最後に聞いて、アンハルは意識を手放した。

 

 ◆


 次にアンハルの意識が戻ったのは5日後だった。

 傍に控えていた父の部下から事情を聞かされ、自分が助け出された時の状況を思い出した。

 「ファーマは!? あいつは無事か!?」

 急に叫んだせいで声はしゃがれていた。父の部下が背をさすって水を差しだしてくるのがもどかしい。

 「ファーマという子供を探してくれ。黒くて短い髪で、俺と同い年の男子だ。俺が捕まっていた家の子供だ。恩人なんだ」

 生きていてくれと思った。アンハルがいなくなったことに気づいて、そのまま家を出て逃げていてくれと。

 その後、アンハルが捕まっていた家や周辺で捜索がなされたが、ファーマが見つかることはなかった。



 それから半年ほどが過ぎた。あれ以降、数回程度の誘拐や襲撃があったが恙なく生きている。恨みを買いやすいし敵も多い家だが、アンハルや下の弟妹の警備は意図的に薄くされている節がある。わざと狙いやすい的を置いておくことで、本命である上の兄や姉を守ろうという魂胆だろう。

 そんな訳で、あまり生活に変化はない。これまで義務的に参加していた貧困層への慰問、炊き出しなどの奉仕活動に精を出すようになった程度だ。

 「おお、アンハル。ここにいたのか」

 「爺様」

 屋敷の廊下を歩いていると、祖父と出くわした。既に一線を退き普段は別邸で自適に暮らしている祖父だが、折に触れて屋敷に顔を出す。

 「聞いたぞ。今日も下町の子供たちに教えを説いていたそうだな」

 「大袈裟だな。簡単な算術とかを一緒にやっただけだ」

 「いやいや、お前は立派なことをしている。周囲でもお前を褒める声を多く聞くぞ。儂も鼻が高い」

 潰れてるがな、と言って祖父は自分の丸い鼻を撫でる。髭で下半分が埋もれていても一目で機嫌がいいと分かる祖父の笑顔とは反対に、アンハルは自分が褒められていると聞いても素直に喜べなかった。

 確かに、近頃アンハルの評判が良いとは話に聞く。「領主の第5子は平民にも心を寄せる。誰に対してもわけ隔てなく、特に子供に優しい優しい人物」だと広まっているらしい。アンハルだって子供なのだが。

 今のアンハルの姿を、周囲は以前の誘拐で貧困街に滞在し、困窮した人々の生活に心を痛めて奉仕活動に積極的になったという美談として語るが、本人としては否定はしないが肯定もできない、という塩梅だった。彼らの生活環境の改善を願うのも本心だが、炊き出しや慰問に参加しているのはそうやって色々な場所へ行けばもしかしたらファーマが見つかるかもしれないと考えたからで、子供に優しいと言うのは、ファーマのような境遇の子供を何人も見てきたから自然と同情的になってしまうだけだ。

 「心無い者の言葉にも屈しないと聞いた。本当に強くなったな。流石は儂の宝だ」

 また真珠(ルゥルア)と言われていたらこめかみに青筋を浮かべたかもしれないが、宝ならまだ許容範囲内だ。なぜなら子供はみんな未来への宝物であるので。

 奉仕活動をする中で、時たま文句や罵声をぶつけられることもある。アンハルとて自分の行い全てが万人に受け入れられるとは思っていないし、あくまで主目的はファーマを探すことだ。なので、持ち上げられるのは違和感があるし後ろめたい。偽善者や人気稼ぎと罵られるくらいが丁度いいと思っているので気にならない。

 「お爺様、こちらでしたか。父上がお呼びです」

 姿を現した4番目の兄が祖父を呼ぶ。

 「なんじゃ、折角アンハルと語らっていたと言うのに。それではな、アンハル。次に会えるのは祝日か。共に夕餉の席を囲もうぞ」

 祖父はもう一度アンハルに微笑みかけると、従者を伴い去っていった。兄はそれに同行せずこの場に残る。

 「お爺様は相変わらずお前を気に入ってるな」

 「死んだ婆様に似てるからってな。いくら似てても俺は婆様じゃねえぞ」

 灰白の髪と青い目の取り合わせは親兄弟の中でもアンハルだけで、それは外国から嫁いできた祖父の生涯の伴侶と同じ色だという。それ故、祖父は孫の中でも一際アンハルに目をかけていた。アンハルが生まれた時には既に故人だった祖母だが、あんたのせいで俺は真珠だの宝石だの呼ばれてるんだぞ、と以前肖像画に向かって文句を言ったこともある。

 「そう嫌ってやるな。お前があちこち出かけられるのもあの人のお陰なんだ」

 「それはわかってる」

 アンハルが今まで以上に慰問などに参加したいと言い出した時、家族や父の部下である役人などの周囲は軒並み反対した。誘拐騒ぎがあったばかりなのに、のこのこ出かけるのは如何なものかというわけだ。まあその通り。

 しかしアンハルは折れない、父たちも譲らないので事態は膠着状態に突入した。

 そこへ登場したのが祖父である。「外出時は警備を厳重にして、やりたいようにさせてやれ。民も喜ぶだろう」という口添えのお陰で父の側が譲る結果となったのだ。膠着状態の間、姉に「自分のせいで死んだ子供への罪滅ぼしか?」と言われて激昂したアンハルが「ファーマが死んだとは限らねえだろ!」と殴り合いの喧嘩を起こしたことも大きな要因だろうが。

 「僕としては意外だったよ。お爺様は当面の間君を屋敷から出すなと言うと思っていたんだ」

 「周りと同じこと言うより、警備固めつつ俺に味方した方が好かれるって思ったんじゃねえの」

 「それ、ご本人の前で言うんじゃないよ」

 「わかってる。それより、俺に用でもあるのか?」

 「用がなかったら弟と会話もできないのかい。あるけど。来月にある祝日の慰問、お前の行く場所が決まったよ。馬車で半日くらいの距離にある街のロバベフ孤児院。当日の段取り改めて打ち合わせるそうだ」

 「おー、わかった」

 来月にある子供の幸福や生育を願う祝日には毎年一族の者が各地の孤児院や病院に入院している子供たちを訪問するのが習わしで、アンハルも慣れたものだ。

 話は終わったと歩き出すアンハルの背にかけられた「探してる子、無事に見つかるといいな」という言葉に、呆れた気持ちで顔だけ振り向き「思ってもねえこと言うなよな」と返す。

 「ひどいな。本心だよ」

 「だったら振りでもそれらしい顔しとけっての」

 「それこそ不誠実じゃないか」


 

 祝日の慰問当日。

 何事もなくロバベフ孤児院に到着したアンハルたち一行は敷地内に入った途端に子供たちの艦隊を受けた。

 庭で楽隊の演奏の後、ロクムという菓子を配る。大抵の子供たちは演奏よりもこちらの方が楽しみなようで、演奏中もそわそわしている子供がちらほらいた。

 「ほら並べー、歳が下の子から順番だ! 大丈夫、ちゃんと人数分あるから心配するな!」

 一通り菓子を配り終えた時、「ファティマがいない」と声が上がった。

 「どうかしたか?」

 「わっ、あの、ファティマっていう子が見当たらなくて……」

 「モータとマフディー、ファティマに食器洗い代わってくれって頼んでたわ」

 話をまとめると、ファティマという子供が当番に代わって食器の片付けをしているため、まだ来ていないということのようだ。

 「わかった! みんなは先に食べてていいぞ。ファティマには俺がロクムを持っていこう!」

 アンハルは残っていた菓子を手に取り、孤児院の中へと入っていく。残された従者や大人たちはたっぷり一呼吸分呆気に取られてから泡を食って後を追った。


 孤児院の中に入って少し歩くと、廊下の先から水音が聞こえてきた。それを頼りに進むと、調理場らしい場所に辿り着く。部屋の中を覗き込むと、歳の近そうな子供の後ろ姿がある。一つにまとめた黒い髪が尻尾みたいだった。

 「いたいた、ロクム持ってきたぞ!」

 「おー、ありがと。あとで食べるからそこに置いといてくれ」

 子供は振り返らずに食器洗いを続けている。アンハルのことは同じ院で生活する子供だと思っているのかもしれない。

 「ナッツ入りとフルーツ入りがあるぞ。どっちがいい?」

 「じゃあフルーツ」

 少し悪戯心が湧いて、忍び足で黒髪の子供に近づいていく。隣に立ったところで、気づかれたのか子供がアンハルを見た。子供の目が丸くなる。

 「えっ、誰?」

ぽかんとしている様子が面白くて笑う。そうだろう、びっくりしただろう。

 「初めまして! 俺は−−」

 

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