9.地味令嬢、職場見学へ行く
「はぁ? 職場見学‥‥‥ですか?」
私は、夕食時のお父様の言葉に素っ頓狂な声をあげた。
「うん。今、学園が夏休み中だろう。将来の騎士候補を育てる為に、学園の生徒達に騎士団を知ってもらおうという副団長のアイディアで、「騎士団職場見学」という催しをすることになったんだ」
「それって、お父様の後釜の騎士候補がなかなか見つからないから‥‥‥ですか?」
「うーん。どうかな‥‥‥。今の若者は、危険な仕事はしたがらないらしいね。城の仕事で一番人気は、文官らしいよ。だから、今のうちから学園の若者に騎士の良さをアピールしようということらしい」
「それで、そのイベントに何故、私が?」
私は、夏休みに入ってから、読書三昧の日々を送っている。
毎日読む本を決めているし、何より、騎士団の職場見学なんて華やかな催しには行きたくない。
「それが、方々に声をかけているが、参加希望者が少なくてね。少しでも参加者が多いほうが良いというので、女の子にも声をかけることになった。見学に来た女の子が、騎士は素敵だと婚約者やクラスメイトの男の子に言えば、騎士になりたいと思う男の子も増えると副団長が言うんだ」
「はぁ‥‥‥」
そうして、私は「騎士団職場見学」へ行くこととなった。
「騎士団職場見学」の当日。私は、馬車に乗り憂鬱な気分で城内へと向かった。
城の敷地の一角に屋外の訓練場があり、今日は、そこでの見学となるそうだ。
騎士による剣技の実演と、騎士が使っている甲冑の試着、騎士と軽い手合わせができる交流の時間の2部制だとお父様より聞いている。
時間は午前中の2時間ほどらしいので、2時間耐えれば屋敷に戻れると自分に言い聞かせ、私は、馬車を降りた。
騎士団の正装姿で受付に立つお父様は、確かに「美丈夫」という別名に相応しかった。
女生徒の参加は、数人のようだったが、男子生徒の保護者として同伴している母親が目についた。
お父様を見て、「ああ、やっぱり正装姿が素敵」と話している男子生徒の母親達を見て、私は思った。
息子を騎士団に入団させるともれなく「緑色の美丈夫」に会えるという特典を付ければ、母親達は息子を入団させるのでは‥‥‥と。
「‥‥‥で、お父様はどうしてここに?」
用意された席に座り、剣技の実演の開始を待っていると、お父様が私の横に座った。
先ほどまで、受付に立っていたはず‥‥‥。
「いや、今日はもう仕事はないんだ」
「受付だけですか?」
「うん。ほら、そもそも実演なんてできないし。それに手合わせなんて、とんでもないよ。子供に負けでもしたら、その瞬間、完全に首だよ。‥‥‥まぁ、そもそも、騎士の業務からは外されているしね」
お父様の緑色の目は、悲しそうに揺れた。
あぁ、早く魅了魔法を使わなくては‥‥‥。
アランの初恋を応援するために、魔法の練習を再開したものの、発動しない魔力に匙を投げかけていた私は、1日10分の魔法の練習を30分にしようと思った。
「あら、あの方の顔の傷、「ラクザの守護神」みたいですね」
騎士達の演習に参加している壮年の男性を見て、私はお父様に言った。
よっぽど人が集まらなかったのか、前から2番前の席が用意されていた為、騎士の顔が良く見える。
「それは誰?」
「お父様は知らないかも知れません。もう、絶版になった本なので‥‥‥」
私は小声で暗唱をはじめた。
『男の本当の名は、トーマス・ディアス。
額に三日月の刀傷を持つ、ラクザ王国の剣の達人、別名「ラクザの守護神」。
幼い頃より剣の天才と称された彼は、17歳で軍に入るとすぐに「ラクザの守護神」と呼ばれるようになった。なぜなら、彼が参加する戦いは、必ずラクザ王国の勝利で終わったからだ。
彼は、ラクザ王国の最後の戦いで、戦死したことになっているが、実は密かに生き延びて、ラクザ王国の復興を誓い、各地で仲間を探していたのである』
私の頭には、『アンディの冒険』という少年向けの物語が浮かんでいる。
冒険者を夢見るアンディという少年が、ある傭兵に出会い、一緒に冒険へと出発する。
途中、アンディが滅んだラクザ王国の王の血を受け継ぐ子供ということ、傭兵の本名がトーマスで「ラクザの守護神」だということがわかり、2人で、ラクザ王国を滅亡に追い込んだ国へ復讐をしながら、ラクザ王国の復興を目指すというストーリーだ。
15年ほど前に隣国で出された本なのだが、出版される数年前に戦争で滅びた実際にあった国、ラクザ王国の復興が物語の目的で、実在する人物がそのまま登場するということもあって、話題となったらしい。
しかし、作者がラクザ王国出身で、本の利益がラクザ王国の復興を誓う傭兵集団の武器購入に使われていると問題になり、絶版となってしまったのだ。
その為、長編の物語のはずが、1巻しか世に出回ることはなかった。
夏休みに入って、偶然、我が家の書庫の奥で、手に入れることが難しい『アンディの冒険』を見つけた時、私は歓喜した。
面白くてあっという間に読んでしまったのだが、本の内容が事実ならと思い、私はぞっとした。
本物の「ラクザの守護神」トーマス・ディアスは、実際、ラクザ王国が滅ぶきっかけとなった戦いで生死不明になったとされている。実際に、生きているかもしれない。
そして、ラクザ王国を滅亡に追い込んだ国には、我がエスプランドル王国も含まれているのだ。エスプランドル王国は、ラクザ王国を滅ぼしたユーラリア王国に武器の支援をしたと歴史書に書いてあった。
復讐を行う「ラクザの守護神」がこの国にも来たのなら‥‥‥。
「確かに、額の刀傷は似ているね。彼の剣の腕は、なかなかのものらしいし。でも、彼は、マティウス・リーマンといって、この国の男爵だよ。確か40歳くらいだと思うが、4年ほど前に騎士団員の推薦があって、騎士団に入ったはずだ」
「まぁ、物語ですしね‥‥‥」
お父様と話しているうちに実演が終わり、訓練場では、騎士団との交流の時間が始まった。
「ルーラも、甲冑をつけてみる?」
お父様に言われ、私は、甲冑の試着へと向かった。
気分は進まなかったが、お父様に頼まれたのだ。
「実演も終わったし、私がここに座っているとご婦人方が寄って来るから、騎士団の迷惑になる。ほら、あまり人がいない試着へ行けば、ご婦人達が子供を連れてやって来るだろうし、騎士団の為になると思う。まぁ、これも騎士復帰の為のアピールだね」
そう言われ、渋々行くことにしたのだった。
案の定、私とお父様が向かう後に数人の親子連れがついて来る。
なるほど‥‥‥、流石、お父様。ご婦人方の行動はよく知っていると感心していると、1人の騎士が私に手招きしているようだ。
‥‥‥この手招き、何かが違う。普通、手招きは手の平を上にしてするもの。
その騎士は、手の平を下にして、手招きをしていた。
「リーマン男爵、ご苦労様です」
お父様がその騎士に声をかけ、私ははっとした。
この人、先ほど話していた「ラクザの守護神」に似た人だわ‥‥‥。
その男性の額には、やはり、三日月型の切り傷があった。
「ディライト侯爵、こんな大きなお嬢様がいらっしゃるのですね」
「初めまして。ルーラ・ディライトと申します」
「ルーラ。良い名ですね。古い土地の名だ」
私の頭の中に『アンディの冒険』の表紙が浮かぶ。
‥‥‥そんな訳はない。私はそう自分に言い聞かせ、頭に浮かぶ文章を必死でかき消した。
「ルーラには、胴部分はとても着られないだろうから、兜だけ被ってみてはどうだろう?」
「は、はあ‥‥‥」
周りには、お父様目当てのご婦人達が数人集まってきており、その前で嫌とは言えなかった。
先に同級生と思われる少年が、リーマン男爵に兜を被せてもらった。
兜を被せてもらった少年は、母親のほうへ行き、その姿を見せていた。
少年の番が済み、リーマン男爵が私に兜を渡した。
「では、ご自身で」
あぁ、やっぱりそうかもしれない。
兜を受け取った私は、『アンディの冒険』の表紙を頭に浮かべると、今度は、戸惑うことなく暗唱を始めた。
『ラクザの守護神、トーマスは、ルーラ村の出身だ。月という意味を持つその村は、月の女神を信仰していることから、いつしかルーラ村と呼ばれるようになった』
そして、次は、『世界の習慣豆知識』という本の表紙を思い浮かべる。
『手のジェスチャーも地方、国によって異なる。
代表的なものは、手招きだ。旧ラクザ王国からユーラリア王国にかけては、手の平を下に向けてする手招きが一般的である。
なお、旧ラクザ王国では、男性の手が女児の頭を触ると婚期が遅くなるという言い伝えがあり、親や親族であっても、女児の頭に手を近づける行為は避けたという』
小声で暗唱する私の声は、私の傍に立つお父様とリーマン男爵にしか聞こえなかったと思う。
その光景は、はたから見れば、兜を手に目を閉じて何かぶつぶつ言っている女の子を驚きの顔で見る2人の男性と映っただろう。
リーマン男爵は、大きく目を開けたまま、私をじっと見た。
「もしかして本物の「ラクザの守護神」‥‥‥?」
私のその言葉を聞いて、我に返ったのか、リーマン男爵が私に掴みかかろうと手を伸ばした。
私は、驚きと恐ろしさで動くことができず、ただ目をぎゅっとつぶった。
あれ‥‥‥?
恐る恐る目を開けた私は、頭を押さえて座りこんだリーマン男爵の姿を見た。
リーマン男爵の横には、私が受けとったはずの兜が転がっていた。
次の瞬間、お父様が、立ち上がろうとするリーマン男爵に飛びかかった。そして、体を拘束しようとして、抵抗する男爵ともみ合いになっている。
私はその様子をまるで、物語の場面のようだと思いながらただ眺めていた。
すぐにリーマン男爵は、数人の騎士に囲まれた。
「キャー!」というご婦人達の叫び声が練習場に響いている。
「ルーラ、大丈夫か!」
私は、そう言って駆け寄ったお父様に抱きしめられた瞬間、自分から力が抜けるのを感じた。
「いや、昨日の事だというのにすごいお見舞いの数だね、ルーラ」
「騎士団職場見学」の翌日の夕方、自室のベッドに横たわる私に満面の笑みのお父様が言った。
お父様は、昨日の出来事の報告へ行っており、帰宅したばかりだ。
参加者や貴族達の間では、ルーラ・ディライト侯爵令嬢が、『騎士団職場見学』で突然襲われたということになっているらしい。
貴族社会は噂が広がるのが早い。皆、私が怪我をしたと思い、お見舞いを届けてくれたのだ。
「そうですね。サントス侯爵家、トワイト侯爵家、ソーサ公爵家、騎士団の方々から。そして、エドワード王子からも‥‥‥」
私の部屋には、お見舞いとして届いた本や花束が並んでいる。
「私、怪我もないですし、もう、ベッドから出たいのですが。」
昨日、私は、お父様の腕の中で気を失ってしまったそうだ。
怪我は無いのだが、大事をとってベッドにいるようにとお父様より言われ、今日は1日中、ベッドの中で過ごしている。
「まだ、ダメだよ。しかし、私が咄嗟にルーラの持っていた兜を手にとって、人を殴れるなんてね。鍛錬の成果だ」
お父様は、緑色の目を嬉しそうに輝かせている。
「やはり、リーマン男爵は、「ラクザの守護神」だったのですか?」
「いや、まだ取り調べ中だそうだよ。ただ、彼は、男爵と言っても養子でね。なんでも、子供がいなかった前リーマン男爵が、違法の闘技場で見た彼の剣技のすばらしさから、家の為に手柄を立てられるのではと思い、養子にしたそうだ」
「そうなのですね」
「まだ、はっきりとはわからないそうだが、彼は、旧ラクザ王国の傭兵組織と連絡をとっていた形跡があるということで、厳しく取り調べを受けているらしい」
「それで、我が家の没落は‥‥‥、決まりましたか?」
私がしたことは、誉められたことではないはずだ。
あの場には、多くの人がいた。
ただ、私は幸運だっただけだ。
催しの為、彼は剣を持っていなかったのだ。彼が剣を持っていれば、私も含め、大きな被害がでたかもしれない。
きっと、何も考えずにしたことの罰が下されるだろう。私は、涙がこぼれ落ちそうになった。
「没落‥‥‥? 私の待遇は、変わらないそうだ。それに、ルーラは、悪いことはしていないよ。ただ、ルーラが賢いことも、ルーラの特技も私は知っているのだから、一言、相談して欲しかったとは思うけどね」
「お父様‥‥‥」
「ルーラには、王よりも団長を通じて、怖かっただろうからゆっくりと休むようにとの言葉を頂いているよ。今回のことは、前リーマン男爵や当時の騎士団員の募集や審査に関わった者に責任があるということになっている。今後、養子制度や騎士の審査方法の変更について、検討されるそうだよ」
「よかった」
こぼれ落ちそうになった涙を私は手でぬぐった。
私は、昨日の出来事を教訓としようと心に誓った。
「そんな顔をしないで。ほら、エドワード王子の手紙にも、『君の笑顔は素晴らしい。元気になって、早く笑顔を見せて欲しい』と書いてあるじゃないか」
「お父様、手紙を読んだのですね‥‥‥」
お父様は、顔をギロリと睨む私に優しい微笑みを向けた。
お読みいただき、ありがとうございました。
※(2020.7.14)最後に入っていた文章を削除しました。ストーリーに変更や影響はありません。