八話 面談
ベニグモさんの手下に案内された部屋は、先程とは違う部屋だった。さっきまでの部屋は、靴を履いたままあがって話していたが、今度のは完全に和風だ。部屋の入口で靴を脱ぐよう指示され、素直に靴下になって足を踏み入れたら畳が広がっていた。どうも、この世界の建築基準がイマイチわからない。この家以外は洋風の石造りが多かった気がするんだけど。
「来たかい。アンタで最後だね。まあ、座りな」
ベニグモさんは既に部屋の陣取って、煙管をふかして待っていた。今は建物の造りなんかより、彼女との対談に集中しないと。素直に彼女の対面に姿勢を正して座る。まずは二人の事から聞いていこう。
「僕が最後ってことは、二人はもう?」
「ああ、二人ともアタシらに協力してくれる事になったよ。そんで、アンタだけど……」
冷酷な視線が僕に向けられる。回りくどいのは嫌いって言ってたもんな。こっちもダイレクトに話を伝えていこう。
「その事ですけど……ごめんなさい。やっぱり僕も協力させて欲しいって言うのはダメですか?」
「ハッ! とんだ手の平返しだね。一人じゃ出ていくことも出来ないってわけかい」
「ううん、よく考えた結果なんです。貴女達に協力した方が、どう考えてもメリットが大きい。変な意地をはるよりも、素直に協力した方が賢いなって。そう思ったんです」
その言葉に、ベニグモさんは目を細めて煙を吸い込んだ。僅かな沈黙の間、紫色の煙が辺りに漂う。
「ハン……ちっとは考えるようになったじゃないか。だけどね、アタシもはい、そうですか、なんて言うつもりはないんだよ。あの二人が居れば事足りるだろうしね。大体、アタシを下卑た目で見ておいて、そんな奴を近くに置きたいと思うかい?」
そ、それは……あまりに肌色が多過ぎて目に入ってしまったというか……大分根に持っていらっしゃった。
二の句が告げず困っていたが、幸い、それ以上に追及することなくベニグモさんは口を開いてくれた。
「それがなかったとしても、だ。アンタ、あの二人に代わって出来ることがあんのかい? さっきも言ったと思うけどね、ここはスラムだ。テメーの食い扶持も稼げない奴を養う余裕なんてないんだよ」
先程同様、威圧感たっぷりにベニグモさんは自分に僕を使うメリットがあるのか、と尋ねてくる。その眼光の鋭さに気圧されそうだ。
だけど、負けるな。これが要の質問になる。この問いに対して、彼女を納得させるだけの答えが出せれば、急に追い出されたり処刑されるなんて事はないだろう。
腹を、くくれ!
「そうですね……僕は、竜崎みたいに喧嘩が強くもないし、柊さんみたいに戦い方を教えられる技術も知識もないです」
「だろうね。なら、話は……」
ベニグモさんは煙管の火を落として立ち上がろうとしたけど、まだ終わらせない!
間髪入れずに答える。
「だけど! 僕には手も足も付いてる! 言葉も通じるし、物だって見える! 臭いも感じ取れるし、音も拾える!」
「だから、なんだってんだい? それなら、そこらの連中とちっとも変わらないだろう。アタシが欲しいのは何か芸のある人間だよ」
ベニグモさんは心底呆れた様子で僕を捉えている。大丈夫、きっと上手くいく。
「自分で言うのも嫌だけど……僕には取り立てて長所はありません。見た目は平凡。頭の回転も人並み。運動能力も普通。仲間内に入っていても、居るのか居ないのかわからないような人間。それが僕です」
突然自己評価を始めた僕に、ベニグモさんもどう返して良いのか困っているようだった。さっきまでの蔑んだ視線はなく、戸惑い、怪訝そうな顔をしている。切札を切るなら、今だ。
「居ても居なくても変わらないのなら、急に居なくなっても気に止められないんじゃないですか?」
一瞬、呆然とした様子のベニグモさんだったけど、すぐに我に返ったようだ。煙管に手をやりながら、ゆっくりと僕を問いただす。
「アンタまさか……草になろうってのかい?」
草……?
たぶん隠語だと思うけど、ニュアンス的には伝わっていると思う。でもそれで齟齬があっても良くない。だから、はっきりと伝える。
「敵対している組織に潜り込んで、情報を仕入れる。合間をみて姿を消す。たぶん、今僕が出来るのはきっとそれだけです」
そう言うか否か。
気絶する前に味わったものよりも更に強烈な重圧が僕に降りかかった。目の前に居るベニグモさんは般若……いや、まるで我が子を捕られた鬼子母神といっても言いかもしれない。とにかく恐ろしい形相で睨み付けてくる。
このままここに居たら、四肢をもがれ頭から喰い千切られる。そんな幻影も抱いたけど、逃げ出す訳にもいかない。
僕だって、もう腹はくくったんだ。
背中から倒れそうになるのをどうにか堪えていると、徐々に重圧が緩やかになってきた。ベニグモさんの表情も少しずつ穏やかになり、その口許は微かに上がって見える。
「ハッ! ちっとは良い表情するようになったじゃないか。今のアンタなら、ただのエロガキとは言わないよ」
ま、まだそれ引っ張るんだ。そろそろエロガキは止めて欲しい。
でも、今の言葉からすると……
「良いさ。アンタもウチに置いてやろうじゃないか」
「ほ、ホントですか?」
「ああ、嘘は付かないよ。まあ、さっきも言ったけど、アタシは元来優しい人間だからね。いきなり草になれなんて無理は言わないさ。まずはこのスラムに慣れるところから試して貰おうか。言ってみれば、『試用期間』ってやつかね」
そう言ったベニグモさんの眼は怪しく輝いて見えた。
きっと、その『試用期間』の間に見込みがなければ、今度は容赦なくこの世界から退場する事になるんだろう。この世界は、本当に僕に優しくない。
だけど、今は一先ずの危機を乗りきった事にしていいかな……少なくとも、今すぐにここから追い出される事はなさそうだし。
「とりあえず、今日は休みな。明日、三人揃ってまとめて説明してやるから……オイ!」
「へい!」
ベニグモさんが声をあげると、先程の手下らしい人が部屋に入ってきた。さっきは観察する余裕もなかったけど、よく見ると随分年上の人だ。
「こいつもうちの客人扱いだ。案内してやんな」
「いいんですかい……? 本来ならさっきの二人で……」
「いいんだよ! こいつなりに使い所が有りそうな話を持ってきやがった。アタシがそう言うのを気に入るってこと、お前はよく知ってるだろう?」
その言葉に手下の人は苦笑すると
「そうでした……じゃあ客人、付いてきてくだせぇ」
と僕を促す。一応、ベニグモさんに一礼して促されるままに部屋を出る。後ろを付いていくと、すぐにさっきまで柊さんと居た部屋に戻ってきた。
「今日はこの部屋で休んでくだせぇ。敷物はありやせんが、そこのズタでもかけて貰えば今日一日は凌げるでしょう」
「あ、ありがとうございます……」
ズタって、このぼろ雑巾みたいな布の事かな?
だいぶくたびれているけど、身体を覆うだけの面積は有りそうだ。
「明日にはもうちょっとマシな物を用意しやすんで……何分、急な客人だったもんでこれで堪忍くだせぇ」
「い、いえ……野宿から思えば随分ありがたいですから……」
そう、さっきまではこの家から追い出される所だったんだ。そう考えれば、建物の中に居れるだけでかなり違いがある。
「そう言って貰えるとありがてぇです……じゃ、あっしはこれで。明日また声をかけやすから、ゆっくり休んでくだせぇ」
そう言うと、ベニグモさんの手下のおじさんは部屋を去っていった。
ああいうの、番頭とかって言うのだろうか。ベニグモさんとは随分年が離れて見えたけど……まぁ、今は些細なことか。
しかし、あぁ……今日は本当に色々あった……
たぶん、明日もまた難儀な事だらけなんだろうけど……自分の世界に帰る為だ。明日も、腹をくくって意地汚く生き抜いてやろう!
だから、今日はもう休んで良いよね?
使って良いと言われたズタで身を包むと、背中に張りつめていた糸が少しずつたわんでいくのを感じる。程なくして、僕の意識は闇に遠退いていった。