一話 喋る猫
目覚めると知らない風景が広がっていた。
明らかに日本じゃない町並み。例えるなら、某有名ゲームの町中がそのまま前に映し出されている感じ。それも、スチームパンクというよりは、剣と魔法のファンタジーワールドを彷彿とさせる、どこか古めかしい世界観だ。
不意に、妙に生々しい風が頬を撫でて、これが夢じゃないと思わされる。
異世界転移、それか異世界召喚?
これが現実と認識すると同時に、僕の頭によぎったのはその二つ。
少し知ってる人なら、その言葉に胸を踊らせ、冒険者になってハーレム作ってやんぞー、とか、知識チートで無双してやんぞー、とかこれからを思って興奮のるつぼだろう。
実際、僕もほんの少しは気分が昂揚したのを覚えてる。異世界に移ってくるなんて、何かに選ばれた英雄的存在。そんな特別感がさっきまでは身を包んでいた。
でも、今はもう帰りたい。
だってさ?
雰囲気に流されてカッコよく取り繕ってみたけど、剣と魔法のファンタジーワールドを彷彿する世界観ってもっと牧歌的じゃない?
今は夜なのか、薄暗くて見えにくいけど、目を凝らせばしっかりと見えてくる景色。
本来のどかなはずのその景色は、予想以上にボロい。
僕の目の前に建ち並んでいる家々は、隣の屋内を通り越して、向こう側の通りが見えるくらい穴が空いている。周りには所々ゴミが落ちてるし、どう考えても治安が良いとは思えない。
絶対、ここスラムだよ!
牧歌的とはおおよそ対極に位置する場所だよね!?
スラムから始まる英雄譚ってどんなのさ!?
それに……
「あぁん!? じゃあどうすんだよ!? このままずっと立ちんぼかぁ!?」
「そうは言ってないじゃない! あたしはただもっと情報を集めてから動くべきって言ってるだけで……」
この二人だ。
竜崎 蓮と柊 朱音。
僕の通う学区内では知らない奴はいない程の有名人だ。
竜崎 蓮の方はいわゆる不良だ。
しかも、めっちゃワル。
目立ち過ぎる金髪と、いつも眉間に皺を寄せたその顔付き。上級生グループの不良から因縁をつけられて、その全てを返り討ちにしたとか。
完全に、うちの学校をしめている札付きのワルだ。
その風貌から、誰がつけたのか『金髪の荒鷲』なんて通り名もあるらしい。
それに対して、柊 朱音は優等生。
学年テストの番付では、常に上位を争う優秀な学力。加えて、剣道部に所属し、腕前は二段。インターハイにも出ていた。
文武両道をそのまま地で行く彼女は、容姿も端麗だ。面を外したい女子として雑誌にも載ったことがある。
そんな二人が、ずっと言い争ってる。僕の体感では、たっぷり十分は経ってると思う。
竜崎は早く先に進みたい。柊さんは今の状況の確認をしたい。要は方針に折り合いがつかないんだ。
僕?
蚊帳の外で呆けてるよ。
だって、超不良と超優等生。世界に選ばれたのは、どう考えてもこの二人でしょ。
ここで僕が出刃っても、当て馬になるのが目に見えてる。今はいがみ合ってる二人だけど、なんやかんやあって恋人同士になるんだよ。きっと。
そう思うと、異世界に来たという興奮も何処かへ飛んでいった。
むしろ、早く帰って日常に戻りたい。こんな風に考えるのは、別に普通の事なんじゃないかな。
「ちっ……埒があかねぇ。お前、どうしたいんだよ」
あ、竜崎が折れた。でも、意外と力でねじ伏せるとかしない人なんだな。女子には手出ししないとかそういうのだろうか。
「だから……ずっと言ってるでしょう? 動くにしても情報が欲しいって。せめて彼が目覚めてから……」
「そんないつまでも寝てる木偶の坊になにができんだよ!!」
「何か知ってるかもしれないじゃない!! 第一、こんな所に寝かせて行けないでしょ!?」
柊さん優しいなー、見ず知らずの僕を気にかけてくれるなんて……
「おい」
「はい」
あ、気を抜いてて思わず返事しちゃった。
「おめー起きてんじゃねーか。何ずっと黙ってんだ、この野郎」
「君、目が覚めたの? 大丈夫?」
「え、いや、あの、大丈夫です。ハイ」
「おう、こら。シカトか? 知ってること全部話せ」
いや、近いよ。
そんな顔を近付けて、威圧感たっぷりに言われても僕は何も知らない。
って言ったら殴られるんだろうなぁ……
「志賀 誠司、二年生です」
「おう…………そんで?」
そんで、って言われてもなぁ……僕だって二人と同じようなもんだし……困っていると柊さんが言葉を継いでくれた。
「同級生だったのね。志賀くん、何か知ってることはない?」
何も、と言おうとしたが、声が掠れて上手く喋れない。自分が思ってる以上に、有名人二人と話すのは僕の精神を削っているみたいだ。
仕方なく、ゆっくりと首を横に振り意思表示をする。
「だろーな……さて、こいつは木偶の坊ってわかったし、辺りでも見回してみるか」
「ちょっと! そんな言い方ないでしょ!」
「……そうかよ」
竜崎はそう一言言うと、素知らぬ顔でそっぽを向いてしまった。
尚も憤慨する柊さんに、気にしていないからもう良い、と首を横に振り伝える。それを見て、柊さんは困ったような顔をしながら、竜崎への反論をやめてくれた。
実際は、木偶の坊呼ばわりされてイラッとするところもあるけど、いつまでも平行線の話を見ているのも疲れた。僕は、もう帰りたいんだ。
「……仕方ないわね。あまり歩き回りたい場所じゃないけど、周囲の情報を集めましょう。それにしても、志賀くんの事は見かけた覚えがないけど……」
「おう、そーだな。おめー不登校か?」
再三、首を横に振る。
単に、友達がいないだけだ。
別にいじめられてる訳でもないし、クラス中から除け者にされてる事もない。影の薄い、人畜無害な一生徒。それが一番僕に合う言葉かもしれない。
ただ、そんな僕にはどうも気の合う人がいなかった。影の薄いまま、他人との人間関係が構築できなかった。だから、学校でもほとんど人と話していない。
二人みたいな有名人からすれば、完全に路傍の石。モブだろう。
「やーっと揃ったにゃ!」
唐突に、頭の上から甲高い声が聞こえた。
驚いて見上げたけど、特別何も見当たらない。
空耳……?
でも二人も僕の方をみて驚いた顔をしている。いや、よく見ると正確には僕の足下だ。
釣られて視線を地面へと下げていくと、そこには真っ黒な猫がいた。暗くてよく見えなかったのか。
「いや、君達もう少し仲良くやりまえよ。同郷の仲間だろうにゃ……まあ、我輩、助けられたことにゃは感謝している。君達の無事を確認できたし、我輩、これにゃて失敬」
そう言うと、黒猫は踵を返して暗がりの町へと去っていった。
「ここでは猫が喋るのが普通なのかしら……」
そんな柊さんの呟きに、僕は力なく首を振って返す。
すっと目に入った竜崎の顔が、うっすら笑みを浮かべていたのが印象的だった。