順調な売れ行きと雲行きが怪しい発展
次の朝。
僕はティモンドさんと二人で、市場に露店を構える準備をしていた。
晴れ渡った空と白い雲。少しばかり肌寒い朝の市場は、それでも強い熱気を充満させていた。
「ふぁぁ……」
欠伸。銀の滴が目尻に溜まる。
昨夜は本当に遅くまで宴会をやっていた。ただでさえ連日電卓作りで疲弊していた僕は、昼過ぎまで寝てしまいたかった。
だけど身の回りの大人たちはそれを許してはくれない。
「ミロ! 起きろ! 今日もいい朝だ!」
僕の部屋に侵入してきて、大声で叫ぶ母親に叩き起こされ、僕は渋々ベッドから出た。
「しゃきっとしろ! 今日はティモンドと一緒にアリシアちゃんとの合作を売るんだろ? そんなナヨナヨしててどうする」
その後、市場に行ってティモンドさんと合流し、今に至る。
「ミロくん。しゃきっとせんか。そんなんでは、掴めるチャンスも逃げていくぞ」
ティモンドさんは豪快な笑顔で僕に言う。
ティモンドさんも母さんも、昨夜遅くまで飲み食いしてたのに、どうして二日酔いもせず、こんな朝っぱらから元気でいられるんだ。
母さんは仕事に向かったし、ティモンドさんは朝はこうして市場に立ってて、午後は狩りに行くらしい。とてもじゃないけどこの大人二人のバイタリティは真似できない。
ちなみにアリシアは今もすやすや夢の中だそうです。羨ましい。
ティモンドさんがいるのは、そうでないとまた変なチンピラに絡まれて、製品を壊されたり金を巻き上げられたりしかねないからだ。暑苦しいけど安全には代えられない。
今日売れるのは6台。昨日アリシアに渡した図面は、アリシアが早くかつ楽に作れるように配慮をしたものだ。お陰で昨日だけで6台の生産に成功している。
僕は電卓販売の旨を紙に書いて、長机に貼り付けた。
今日の値段設定は18万G、昨日役所に買い上げてもらった値段の倍だ。まだまだ値段をあげていくつもりでいる。
「ミロ。ちょっと、いいか?」
早速、一人のお兄さんが声をかけてくる。確かこの市場で、果物屋をやっている人だ。年は二十代半ば、
「妹から聞いたんだ。その電卓ってやつの話を」
確かこの人は妹さんが役所勤めだ。電卓の話を耳にしていてもおかしくない。
この兄妹は、かつては村の大多数の、僕らを攻撃する側の人間だった。たしか妹さんが役所に勤め出したあたりからかな。まず妹さんが僕らの味方してくれるようになって、徐々にお兄さんも軟化した。
今では友達と言っても問題のない関係だ。
「すげえ便利なもん作ったんだな。ぜひ俺にも……、18万G!?」
お兄さんは飛び出そうなほど目を見開いて驚く。あれかな。妹さんからは9万Gって聞いてたのかな。
「9万なら買ったんだがな……。どうしよう」
お兄さんは頭をかき始める。僕は追い討ちをかけることに決めた。
「ちなみに18万で買えるのは今日だけです。明日は最低でも25万Gです。明後日はたぶん30万Gを越えます」
「……っ!?」
嘘はいってない。僕は本当にこのくらい値上げをする予定なのだ。
僕らの電卓の噂は急速な広まりを見せており、ついさっき隣の村の地主から問い合わせの手紙も来た。
これはもう強気でいくしかない。僕はそう考えて、大きく値段をつり上げていくことにした。
「どうしますか? この価格で買えるのは、今日が最後かもしれません」
もっとも、僕の野望である、パーソナルコンピューターの普及が叶えば、こんな百均未満の性能の電卓なんて、50Gでも買い手がつくか微妙だ。
だけど、今のこの世界ではこれが最先端のコンピューター。これでも良心的な価格と言える。
「なあ、ミロ。俺たち昔から見知った仲じゃないか。お友だち価格ってもんがあるだろ?」
「今のこの値段こそがお友達価格です。世話になったこの村の人には安く売ってあげてるんです」
その言葉がとどめになったようで、お兄さんは悔しそうに、
「わかったよ。持ってけ、18万Gだ」
「ありがとうございます」
僕は頭を下げて金を受けとり、電卓を手渡した。
「ミロくん。なかなか商才があるぞ。わしにはないものをもっておる。それでこそアリシアの夫になるにふさわしい」
ティモンドさんが言う。僕はいつもの通り「結婚だなんて気が早い」と返した。
そこからはトントン拍子。6つ用意した電卓は、午前中に完売した。買っていったのはいずれも村の商人たちだ。こんな高値でも買うなんて、どれだけみんなお金の計算に難儀してたかがよくわかるね。
僕が悲しかったのは、お兄さん以外の五人は、みんな恐る恐るといった様子で、周囲の目を気にしながら買っていったこと。
ミロから高値でものを買ったなんて知られたら立場が悪くなる。そんな意図が透けて見えた。
悔しいけど、これから変えていけばいい。僕は僕の力で、僕と言う存在を認めさせて見せる。
「じゃあの、ミロくん。あとはせいぜい頑張ってくれ」
昼。ティモンドさんはそう言いながら僕に手を振り、狩りへと向っていった。
「あー。ダメだ」
そして向かった集会所。僕は書いていた図面を丸めて捨てた。紙の上での計算すら合わないようじゃ、アリシアに制作をお願いする段階にすら達していない。
商売のほうは順調だったけど、僕はある問題に頭を悩ませていた。
小数と割り算の実装。
これまでは、整数同士の足し算、引き算、掛け算しかできていない。商人向けの便利アイテムとしてはこれで十分かもしれないけど、さらなる飛躍──電脳革命を目指すには、どうしてももっと幅広い計算ができなきゃいけない。
このへんから急激に構築の難易度があがってくる。
丸め誤差 (コンピューターでは無限に続く小数点以下をそのままでは扱えないので、どこかで打ち切って四捨五入なりして妥協する必要がある)をどの程度許容するか、どの程度なら認めてもこの世界では問題がないか。そういったことを考えていく必要がある。
「いっそ可変長の入力受け付けるのはどうかな。いや、それは……」
いろんな案が僕の中で浮かんでは消える。そのどれもが、アリシアが実際に作ることが可能かまではわからないものばかりだ。魔術の才能に優れない僕が一人でいくら考えたって、ただの机上論でしかない。
理論上は計算可能であることがわかってるのが、せめてもの救いだ。そうでなければとうに心が折れていた。
「アリシアに会いたいな……」
アリシアに会いに行こう。直に話し合って決めよう。
あの天使のような笑顔に癒されたい。
僕はそう考えて、屋台に使った石の机を片してテントを畳む。
後片付け終わり。僕はアリシアの家目がけて駆けだした。