最初に作るもの
「まずは、『電卓』を作るところから始めようと思う」
工房の黒板の前に立ち、チョークをひとつ握って、僕は言った。
「デンタク……?」
椅子に座るアリシアは、その丸い目をきょとんとさせて、首をかしげた。とてもかわいい。
「そう。僕らはまず、電卓で今後の資金を集める」
僕らが最初に作るものは、異世界製の電卓と決めた。
「電卓っていうのはね。数字と記号を入力したら、計算結果を出してくれる道具のことだよ」
「えっ!? すごい。そんなの作れるの?」
「作れる。僕と君がいればね」
最初に作るものは、これくらい単純でないと厳しいだろう。
僕の知識とアリシアの魔法の組み合わせは、もっともっとたくさんの可能性を秘めている。それこそ、理屈の上では僕のいた世界となんら変わらないコンピューターだって作れる。
けど、それを作ることが理論上は可能であることと、現実的な時間で作り出せるかどうかは、全くの別問題だ。
最初からいきなり僕が元いた世界のようなパソコンを作るのは、あまりに大変だ。どれだけ長い時間がかかるかわかったもんじゃない。
最終的には、この世界にパソコンを普及させ、インターネットだって作ってやるつもりだ。だけどそれだけのものを産み出すのに、元の世界の人たちは天才が大勢集まって何十年も要した。いくら僕には、先人の知の積み重ねの知識があるからといって、途方もない時間がかかるのは疑いようがない。
だからまずは、コンピューターと呼べるものの中では、かなり簡易的で、それでいて村で金を持っている職の人、すなわち商人たちの役に立ちそうな、電卓を作る。
「この村ってさ、アリシアのお婆ちゃんが先生やってるお陰で、それなりに教育は行き届いてるじゃん」
「うん。一緒にお婆ちゃんに読み書き計算を教えてもらったよね」
このジャーラ国は、広大な大地を山に囲われた大きな国。中でも王都カルターは、それはそれはものすごい大都市だ。一度家族旅行で行ったことのある僕は、あまりの大都会ぶりに衝撃を受けた。
街の広さや密度だけなら、元いた世界で言うところの東京や大阪、名古屋なんかと肩を並べられるんじゃないだろうか。
王都では、義務教育に近い制度がとられており、王都育ちの大人は、日常レベルの読み書き計算ならできる。
一方でこのオリヴェート村のような、広大な草原のなかにぽつんと存在する辺境の村では、とてもじゃないが教育など行き届いていない。
そこで立ち上がったのが、アリシアの祖母でティモンドさんの母親である、パメラさんだ。
「パメラさんはすごいと思う。一人で村の教育水準を大幅に上げたんだ」
パメラさんは、嫁ぐ前は王都に住んでおり、学校にも通っていたらしい。
その知見を活かして、この村に来てから数十年、ティモンドさんが生まれる前から、子供たちに読み書き計算を教え続けてる。
「ミロはすごかったよね。計算の方はどんなテストも満点で、お婆ちゃんの質問への答えも全部完璧で。読み書きも優秀な方だった。お婆ちゃんも、ミロくんほどの優秀な生徒見たことないっていつも言ってたよ」
「あれはね……。ちょっとね」
僕はあまり胸を張れない状況に苦笑する。
僕が計算において非常に優れていたのは、前世で数学やってた記憶の片鱗のお陰だったのかもしれない。語学も堪能って訳じゃなかったけど、まあまあできたのも事実だ。
そう考えると、成績がずっとクラスでトップだったことが、周りの子達に申し訳なく思えてくるね。人生二週目なら強いのは当たり前じゃん。
「それよりもすごいのはアリシアだよ。なんのバックグラウンドもないのに、読み書き計算どれも僕と同じくらいの成績だったじゃん」
僕は純粋にアリシアをすごいと思う。かつての僕は低い魔力へのコンプレックスで、お勉強なんかできたってなんの意味ないってスタンスだったしね。
前世の記憶を取り戻せたのは、簡単ながら算術に触れていたから、という側面もあるのかもしれない。そもそも転生も記憶取り戻したこともわけわかんないから、本当のところは知りようがない。所詮はただの憶測でしかないものだけどね。
「それじゃあ、始めようか」
僕はチョークで黒板に文字を書き始める。
「まずは、整数の足し算と引き算をできるようにしたい」
僕は告げる。
整数というのは、-2,-1,0,1,2,3といった数字のことだ。普通に日常生活で出てくるやつだね。
足し算と引き算、特に整数に限ったものは、掛け算と割り算に比べて計算機構を作るのが遥かに簡単だ。これができなければ、早速頓挫することになるし、逆に足し算と引き算さえできれば、電卓の初期型として商人に売れなくもない形になる。
僕らの電脳革命の未来を占う第一歩。その作業が今始まった。
ミロは具体的に何を目指すの? 結局先人の知恵を借りて現実世界のコンピューターの歴史をなぞるだけ? そう思われる方は1章10話まで暫しお待ちを。電脳ウィザードの真の野望が語られます。