カーストどうぶつ病院
先日、飼っているハムスターの「ねずみ」ちゃん(1才8ヶ月、メス、ペットショップのコジマ出身)が怪我をした。ねずみちゃんは私のソウルメイトであり、私の世界の全てであり、私の非常食であり、私の唯一の友人である。そんなねずみちゃんの危機とあっては、いてもたってもいられない。
私は近所の動物病院へ電話をかけた。電柱に貼られたポスターで見かけたことのある、近所の病院である。しかし電話にでた相手は、大変申し訳なさそうな声で、「ハムスターは診られないんですよ。うちは猫と犬だけなんです」と謝った。
私はそういうこともあろうと素直に受け入れ、もう一軒に電話をかけてみた。結果は同じであった。今度は素直に受け入れることができなかった。犬と猫が診られて、ハムスターが診られぬとはどういうことか。それは差別ではないのか。私の怒りを聞いたハズバンドは、「当然だ、なんせねずみは害獣だからな」と言い捨てた。
私は憤った…私の親友を、害獣呼ばわりとは何事か。むしろ害獣はお前の方ではないのか。私はそう叫びたいのをグッと堪え、巨大害獣に背を向けて、三軒めに電話をかけた。それが私と、害獣を診察してくださる病院との、感動の出会いであった。
しかし、ねずみ保険というものはない。あったとしても誰も入らない。少なくとも私は入らない。つまり全て自費ということになる。ネットで調べると、レントゲンやらなんやらで一万円は軽く超えるとの見積もりが書かれてあった。
私は無意識のうちに考えていた。それは、ねずみちゃんをいくらで買ったっけ?という世にもおぞましいクエスチョンであった。答えは1000円。それを聞いた巨大害獣は、「新しいハムスターが10匹買える」と、米粒をそこら中に撒き散らして笑った。そして、すぐにアメトークを見るのに戻っていった。私は恥じた。ほんの一瞬でも、巨大害獣と同じ考えを持ってしまった自分のことを。
私は巨大害獣のことは一切忘れて、財産を投げ打つ覚悟で動物病院へ向かった。
獣医さんは大変丁寧で優しく、素晴らしい方であった。ねずみちゃんは左足の骨折と、なんか網膜炎みたいなやつと判断された。
先生は病状を説明するために、骨折した他の患者さん(猫)のレントゲンの写真まで開示してくださった。私はこんな風に他の患者さんの極めて個人的な写真を赤の他人の私が見てもいいのだろうかと不安になったが、先生があまりにも堂々と見せてくださるので、じっくりと拝見させていただいた。動物の骨折は自然に治ることが多いということであった。手術をするよりは、抗生物質と消炎剤を飲ませ、自然治癒を待つ方針で治療を進めることになった。最後には、ねずみへの薬の飲ませ方まで、丁寧に指導してくださった。
私はすっかり先生の優しさに感動してしまった。これがねずみの主治医ではなく、私の主治医だったら…と考えた。世の中うまくいかないものである。
目を潤ませながら診察室を出、待合室の隅っこに、ねずみちゃんを入れた虫かごとともに座った。よかったね、ねずみちゃん。ねずみちゃんはああ、よかったわ、あんたって本当ファンキーでブラボー。と答えた。我々の絆は、種族を超えて、また一つ深まったのだった…
その時、前方に熱い視線を感じた。顔をあげると、綺麗な豚色の犬とその飼い主が、ニコニコしながらこちらを見つめている。豚色の犬はねずみちゃんに興味津々なようである。私は虫かごを犬の鼻づらの前に見せつけるように置いてやった。ダイヤモンドを開陳する、王様のように堂々たる顔つきで。
しかしあろうことか豚色の犬は2、3秒クンクンと嗅いだだけで、あとはすぐにそっぽを向いてしまった。私はショックであった。すぐに気を取り直し、ふん、犬などにねずみちゃんの真価がわかるまい。と考え、ねずみちゃんをまた元の位置へ戻そうとした。すると今度は飼い主の方が、「可愛いですね。どこか具合が悪いんですか。」と笑顔で声をかけてきた。
私はねずみちゃん以外と普段あまり話さないような生き方をしているため、知らない人間に話しかけられるとたちまち挙動不審になる。しかしねずみちゃんに興味を示してくださるとは、そんじょそこいらの人間とは違う、心の優しい人格者に違いない…そう思った。私は嬉しさのあまり、聞かれてもいないことまで、ペラペラと喋った。
「そうなんです。骨折しちゃって。回し車で骨折したかもしれないみたいでして。ハムスターをみてくれる病院があんまりないんですけど。こちらは診てくださって。本当に助かりました、はい」
飼い主は穏やかな笑みを浮かべて、「まあ。そうなの。」と笑った。それから突然後方を指し示して、「あそこでも売ってますよね。ふふふ。」と笑った。彼女の指差した先には、大きな「ペットショップのコジマ」の看板があった。
「昔流行りましたよねえ。ふふふ。いっぱい生まれちゃって。ふふふ。」
「ええ‥」答えながら、私は急に、自分がしおれて行くのを感じた。
私は思い出していたのである。「いい年をして、ハムスターなんか飼ってるの?うける笑 小学生みたい笑」と、かつて友人に言われたことを。ちなみに私は彼女のことをそれ以来無視し続けている。
とにかく私は目の前の一見穏やかなように話している飼い主も、腹の奥では同じことを思っているのではないかという不安にとらわれて、仕方がなくなってきたのであった。
私は彼女の足元で眠る犬を見た。純正のレトリバーである。大害獣式計算方法で行けば、「ハムスター350匹分」である。黄金に輝く毛、まっすぐな瞳。「おすわり」といやあ座り、「待て」といやあ待つ。それに比べてねずみちゃんはどうか。私のことをひまわりのタネ搬入機としか見ていない。掃除をすれば苛立って噛み付く。古いひまわりのタネを捨てれば噛み付く。呼べば無視をする。撫でようとすれば噛み付く。一緒に寝ようとすれば潰れる。
「他には何か、飼ってらして?」
飼い主が新たな質問をしてきた。そこで私は彼女が、決して私とねずみちゃんとを、蔑んでなどいないのだということを感じた。私はすぐに他人を敵と決めつけてしまう自分を恥じた。この病院で一番ねずみ男のように陰惨で被害妄想的な人間は私だけなのである。
私は目を輝かせて、「はい!ヤドカリを三匹!」と答えた。
飼い主は「まあ…そうですか」と言って、笑った。その笑顔が引きつったように見えたのは、気のせいであったか。それきり彼女はテレビの方へ向いたきり、レトリバーと一緒にそっぽを向いてしまった。ヤドカリのことを詳細に話そうと思っていた私も、ぼんやりとテレビを見るしかなくなった。
それきり、私たちは一言もかわすことがないまま、別れた。私は待合室をぐるりと見回してみた。犬、猫、犬。犬、猫。今度は雑誌のラックをみてみる。犬のきもち、猫のきもち。ねずみのきもちは…どこにもない。
会計を済ませて外へ出た。冷たい木枯らしが吹き付ける。私はトボトボと、ヤドカリ三匹の待つ家に向かって歩き始めた。ねずみのきもちも、ヤドカリのきもちもわからない。私がわかるのは、孤独な人間のきもちだけだ。