恵みの雨
「随分と楽しそうであったな」
リビングキッチンであるために、キッチンでの会話はボルタに筒抜けだった。会話に参加することも出来たが、大人しく待っていろと言われていたボルタは正座したまま、その言い付けをきっちりと守っていた。
「ボルタさん、そんなかしこまらないで椅子に座って?」
茉莉はトレーをダイニングテーブルではなく、リビングスペースのテーブルへとを置く。
「至極恐縮」
促されたボルタは、飼い主に指示された大型犬のようにその命に従った。ガスターは茉莉の向かい側に、ボルタはその隣の椅子へ腰を下ろす。普通の木製の椅子であるが、重量がありそうなロボ達が座っても壊れることはない。椅子もそうだがフローリングの床も抜けることはなかった。何でもありな不思議ロボのこと、きっと重量も上手いこと調整できるのだろう。
「ボルタさんには見た目の偏見から渋めの緑茶を入れてみた。口に合えばいいけど」
「ありがたき幸せ」
ボルタは目の前に置かれた茶托から湯呑を持ち上げ、一口ゴクリと飲み干すと、そのまま固く目をつぶり微動だにしなかった。
「……マズ過ぎて故障しちゃった?」
硬直するボルタの隣で優雅にティーカップを傾けるガスターへ、茉莉は小声で問いかけた。
「いつものことよ。気にしないで」
ガスターは心配など微塵もする気配なくハーブティーを味わっている。
「――――――――美味い」
「アンタ溜めが無駄に長いのよ」
ほぅ、と幸せそうな一息を吐いたボルタへ、ガスターは突っ込みを忘れない。縁側で茶を啜るご老人のようなボルタを見て、茉莉は『あ、そういうキャラ設定なんだ』と空気を読んで納得していた。
「こんなに美味い茶が飲めるとは、我が人生に一片の悔い無し」
ジーンという擬音が頭上に見えるような恍惚の表情を浮かべるボルタ。
「そんな大袈裟な」
「それが、そーでもないのよねー」
茉莉の意見に意外にも賛同しなかったガスターは、ティーカップを両手で包み込み、その中で揺らめく琥珀の波を見つめる。
「あの施設に居たときも、これと同じようなお茶類沢山飲まされたけど、どれもこれもただエネルギー摂取しているってだけで味気無かったのよ」
「左様。まさしく生き地獄であった」
苦々しい様子で語る二人のロボット。茉莉はそんな二人を静かに見やり、緑茶の入った急須を手に取った。
「逃げられてよかったね。はい、おかわりもどうぞ」
「かたじけない。――ロキソにも、この美味い茶を飲ませてやりたいものだ」
新しいお茶が注がれる様子を見守るボルタがポツリと声を漏らす。
「もう一人のお仲間は、ロキソさんっていうの?」
「ええ。あの子、私達の中で一番遅く作られたから、弟みたいなもんなのよ」
心配そうな声色で茉莉へ返事をしたガスターは、両手で持っていたティーカップを一気にあおり飲み干した。
「それじゃあ尚のこと心配だね。早く見つけてあげないと」
「ありがとう……茉莉ちゃん」
突然現れた見ず知らずのロボットを嫌な顔一つせず匿い、安否を心配し、惜しみなく協力をしてくれる茉莉にガスターは声を詰まらせ、ボルタは静かに咽び泣く。柔らかな朝の光に照らされた部屋の中には、心地よい空気が流れていた。
「とりあえず昨日の罠、いっぱい作ってくるね」
「それはもういらないと思うわ……」
心穏やかな雰囲気をぶち壊し、腕まくりしながらキッチンへ向かう茉莉に、ガスターは力の抜けた声を投げかける。それと同時に何処からか、サァァァという微かな音が聞こえて来た。
「あら、さっきまでいい天気だったのに」
音が聞こえてくる外を窓から確認したガスターが不思議そうに呟くと、罠を作り始めた茉莉の動きが止まった。
「じゃ、雨天中止ということで」
「え?」
罠を作る手をはたと止め、即断した茉莉に驚いたガスターが素っ頓狂な声を出す。
「買い出しはまた今度、晴れてるときにね」
「えぇ?」
「今は便利なんだよー、ネットスーパーってあってね。注文したらすぐに届けてくれるの」
「ええええええ!?」
つらつらと外出拒否を告げる茉莉に対し、ガスターはそのつど驚きのリアクション。まるで陳腐なテレビ通販番組の合いの手のようだ。
「茉莉殿は雨が苦手か」
「うん。雨粒一粒たりとも濡れたくない」
「猫なの!? アナタ猫なの!?」
ボルタの問いに答えた茉莉へ、なぜか猫の生態に詳しいガスターが突っ込みを入れる。
「でもガスターさん達には、むしろ恵みの雨だよね」
「どうして?」
「もしかしたら、この雨に濡れたことでロキソさんがエネルギー摂取出来て、ガスターさん達を探しに来るかもしてないでしょ?」
茉莉の言い分に、ハッとしたロボット達。
「まあ! そういえばそうね!」
「茉莉殿は才色兼備であるな」
ガスターは己の口元で両手を合わせ、ボルタは腕組みをしたまま何度も深く頷いた。このハイテクロボ達、茉莉に上手いこと丸め込まれたという事実に気が付いていない。
その時、感心しきりなロボット達と、出不精な人間一人の耳に、雨音に混じったカリカリという音が届く。いち早く音の主に気が付いた茉莉は、慌てて庭へ面するガラスサッシを開けた。
「ぶみゃ~……」
「大変、ドンちゃんがずぶ濡れに」
サッシの隙間から室内へ飛び込んできたドンは、茉莉がいうほどずぶ濡れではなく、その上質な絨毯のような毛皮は、ある程度の水滴をはじいていた。それでも彼はいつにも増して不機嫌そうな顔をしている。だがお利巧なドンは室内を汚さないよう、体をブルブル震わせて雨水を飛ばすことを我慢していた。よく訓練された猫である。
「待っててドンちゃん、いま拭いてあげるからね」
バスルームへ向かった茉莉は、目についたバスタオルを引っ掴み、ドンの元へ速攻で駆けよった。そんな茉莉の一部始終を、ガスターとボルトはポカンと見ている他ない。
「あのドン殿は、茉莉殿にとって大切な猫殿なのか?」
「そーよ。あと茉莉ちゃんは生粋の人間嫌い。これも重要よ、肝に銘じなさい」
「承知」
バスタオルで優しくドンを拭いている茉莉を見ながら、ロボット二人はこっそり会話する。
「あれ?」
「どうしたの?」
ふいにドンを拭く手を止めた茉莉を心配し、ガスター達は彼女のすぐ後ろまでやってきた。
「ドンちゃんのお腹に……」
そう言いながら、ドンの両脇に自らの両手を差し入れ、ひょいと持ち上げた茉莉。露わになったドンの腹に何か黒々としたモノが、コアラの子供のようにしがみ付いていた。
「「あ」」
謎物体を目にしたロボット二人は、同時に短い声をあげた。その声に反応した謎物体は、ドンの腹毛に埋めていた顔をあげ、背後を振り返る。
「アンタ、何やってんの? ――ロキソ」
謎物体と目が合ったガスターは、呆れを滲ませた声を漏らした。