三兄弟の好きな人
後夜祭の翌日は代休となっている。
私は休みを利用して、部屋を引き払うため荷物をまとめているところだ。理事長が許可を出してくれたので、早々に女子寮に移れることとなった。紅や蒼、黄が荷造りを手伝ってくれている。
「すぐに引越すなんて早過ぎるよー。こんなことなら、紫ちゃんともっとくっついておくんだったな」
黄が口を尖らせて可愛く拗ねている。だけど、どさくさに紛れて私の荷物の中に自分のお菓子やぬいぐるみを入れてくるのはどうして? 「間違えたから取りに来ちゃった」って女子寮に来ても、黄ならすんなり中に入れそうだ。
「十分だろ。甘えたふりしてかなり触っていたように思うが? ああ、紫。参考書を持って行くなら、これとこれがいい」
蒼は、専門家が読むようなバイオテクノロジーや遺伝子工学の本を当然のように渡してきた。いくら私が理系でも、はっきり言ってそこまで求められてないと思う。蒼のレベルをまともに読もうとしたら、専門用語の意味が分からず途中で眠くなってしまう。眠れない時に利用するならいいのかも。
「兄さんの本を押しつけたってダメだよ。持って行くなら僕のぬいぐるみがいいよね?」
「それこそ要らないな。勉強の邪魔になるだけだ。お前もいい加減に卒業しろ」
「むう。兄さんこそ、面白味がないと女の子にモテないよ?」
「結構だ。静かな方がありがたい」
「失恋したばかりだもんねー」
「お前もな」
蒼も黄も、後半私にはよくわからない会話をしていた。二人に好きな人がいたというのも初耳だし、失恋したというのも初めて聞いた。
文化祭か昨日の後夜祭で告白でもしたんだろうか? クールで知的な蒼と明るく可愛い黄を振るなんて、その子達には見る目がないな。もう少し早くわかっていたら、彼らの良い所をちゃんと見るようアドバイスしてあげたのに……
「二人ともすぐに諦めちゃうの? 頑張ればもしか……もがっ」
私の口をいきなり塞いできたのは紅だった。どうしたの、突然。まさか紅も弟達の好きな相手を知っているの?
「紫、頼むから何も言うな。お前が言うとやぶへびだ」
「はぶべべ?」
紅の大きな手で塞がれているので、上手く声が出せない。でも、この話はこれっきりにしてくれということなんだろう。偉そうに見えて、やっぱり紅は優しいお兄ちゃんだ。傷ついた二人をそっとしておこうということね?
口を押さえられたまま頷くと、彼は手を外してくれた。それなら私も話題を変えることにしよう。
あ、そう言えば。
紅に詳しく聞きたいことがあったんだ。
「ねえ。紅が昨日、後夜祭でみんなに言ったことだけど。私、自分が誘拐されかけたこと、全然記憶にないんだけど」
「まあ、そうだろうな」
紅が肩を竦める。蒼は眼鏡のフレームを触りながら、考え込むような顔をした。黄だけは、私と同じくキョトンとした表情をしている。
「そうだろうなってどういうこと?」
私が聞くと、代わりに蒼が答えてくれた。
「ブラフだ、紅の」
「ブラフって……はったりってこと?」
「ああ。紫が誘拐されかけた事実なんてない」
「え? でもあの時紅は、堂々と言い切っていたよね? 当時私も、頭の傷以外にも擦り傷とか切り傷とかいっぱいあって大変だったなって思い出したんだけど」
私が言うと、紅は苦笑した。
「それな、たぶん紫が自分で作った傷だわ。張り切って『秘密基地』に行こうって藪の中に突っ込んでいったせいだと思う」
「……え?」
「ああ、それならわかるかも。やんちゃだったもんね? 当時の紫ちゃん」
「一番先頭じゃないと気がすまなかったからな」
黄や蒼まで何てことを!
でも……確かに。
小学校の運動場にあった藪のような所に、『秘密基地』を作ろうとしたことなら覚えている。三人を引き連れて行き、将来の夢や好きな子を聞き出そうとしていたっけ。
「ジャングルジムから飛び降りるのも、階段の何段上から飛べるか試そうというのも、全部お前が言い出したことだ」
「そ……そうだっけ?」
紅に言われると、かすかにそんな記憶が甦ってくる。あの頃『強いゆかりちゃん』になりたかった私。三人よりも自分が強いと見せたくて、かなり張り切っていたような気がする。
「だから、黄を攫おうとした犯人に噛みついた時も、特に違和感はなかったんだ。だけどそのせいで、お前は傷つけられてしまった」
辛そうな顔をする紅は、あの日のことを今でも後悔しているようだ。けれど私は誘拐犯よりも、自分の黒歴史の方がショックだ。そんなに凶暴なお子様だったなんて、今の今まで忘れていた。このままではいけない。他に聞いとくことはなかったかな?
「えっと。じゃあ、櫻井家に届いた脅迫状の話も嘘?」
「それは本当だ」
「それならやっぱり、私を守るために……」
私を心配した両親とおじ様が、安全を考慮し学園に入れてくれようとしたのだろう。
「まあ、そう考えた方が幸せだろうな。脅迫状を送った犯人くらい、うちの警備担当にかかれば難なく見つけ出せるが」
腕を組んだ蒼が当たり前のように言う。
そういえば、そうだった。だって、彼らは大財閥の櫻井家だもの。日頃から身の危険には敏感なはず。黄の誘拐未遂以降は特に警備を強化していたから、犯人なんかすぐに探し出せる。脅迫状を出した犯人も、とっくに捕まっているに違いない。
あれ? それなら私を男装させて学園に入れたのって、世話役だから?
「蒼、それくらいにしろ。黄も、自分は関係ないという顔をしてもダメだ」
「紅!」
私は思わず紅を見上げた。
髪をかき上げる彼は相変わらずかっこいい……じゃなくて。だったら紅は、みんなの前でそれっぽい嘘をついたってことになる。そうまでして私を学園に残したかった理由って何?
「紫、だから最初に聞いただろう? 『紫記』として学園に通うか俺と婚約するかって」
「はい?」
「それは違うぞ。私も言ったはずだ」
「蒼!」
「僕も。紅だけがいい思いをするなんて、やっぱり許せないんだけど」
「黄まで?」
首を傾げてしまう。
ゲームの記憶を思い出した日、私は攻略対象の『紫記』となるため学園に通う覚悟をした。その時に、婚約のことも言われたような気がする。でも婚約は、うちの親がノリで出した話であって、彼らもそれに合わせただけのはずなんじゃあ……
「婚約するより男装を選ぶなんて。いつも一緒にいたのに嫌がられているようで、ショックだったな」
紅が悲しそうに言うと蒼も同意した。
「そうだぞ。私は紫のために、部分的に細胞を活性化させる薬を泊まり込みで研究していたのに」
あ……なんかわかっちゃった。
それって、私が一番気にしている部分の細胞でしょ。蒼まで藍人と同じ考えとは思わなかった。まあ一番の理由は、小さな私がいつも大きなレナさんと比べていたからなんだろうけれど。
「僕もだよ? 早くモデルの仕事で有名になって、紫ちゃんと一緒に記者会見したかったのに」
ま、待って。黄が芸能界で有名になるのは容易に想像がつくけれど、どうして私と記者会見? そんな言い方をしたら、蒼も黄も私のことが好きなように聞こえるよ?
「お前らに紫は渡さない」
蒼と黄に文句を言った紅が、何を思ったのか私を抱きしめてきた。綺麗な顔が近づいてくると思ったら、そのまま唇を重ねようとする。
「うわ、だめーー!」
弟達がいるのに何で?
手に力を込めた私は、紅の胸を強く押し返した。目の端に呆れた顔の二人が映る。ニヤリと笑う紅は、何とも楽しそうな表情をしていた。
「早く女子寮に移りたい……」
このままでは心臓が持たなくなると思った私は、思わず本音を漏らした。




