後夜祭5
「この学園の理事長は、実は――」
「私だが?」
紅の言葉に被せるように、入り口付近から低い声が響いた。見ればそこには櫻井のおじ様が立っている。世界を飛び回ってお忙しいだろうに、このためにわざわざいらして下さったのなら非常に申し訳ない。
「親父!」
自分が呼んだはずなのに、当の紅が一番驚いている。どうしてだろう。「この学園の理事長は、実は――欠席!」とでも言うつもりだったのだろうか?
理事長であり大財閥の総帥ということもあって、櫻井のおじ様は纏うオーラと威厳のレベルが桁違いだ。それは他の生徒も感じているようで、慌てて道を開けると揃って頭を下げた。
おじ様は悠々と進んでくる。
けれどどこか冷たい笑みは、話しかけられるのを拒絶しているようにも見えた。
「やあ、紫ちゃん。紅輝、蒼士、黄司もしばらくぶりだ」
私は頭を下げて挨拶した。
おじ様は相変わらずかっこいい。うちの父と違って全然老けないみたいだ。
いたずらが見つかった子供のように顔をしかめる紅。蒼は何度も眼鏡を触るし、黄でさえ真顔だ。かっこいい父親でも、実子である彼らには厳しいのかもしれない。
「紅輝、お前は降格だ。蒼士に代わりをさせる。二人とも、後で理事長室に来るように」
おじ様は、私達だけに聞こえるような小声で言った。神妙な面持ちの紅からマイクを取り上げると、みんなに向かって話し始める。
「先ほど息子が言った通りだ。異論がある者とは私が個別に面談する。申請書を出してくれ。無論、待てない者やそれでも不満がある者は学園を辞めてもらって構わない。道が分かたれるのは残念だが、前途を祈ろう。話は以上だ。後夜祭を心ゆくまで楽しんでくれ」
突然のラスボスの登場に、みんなが言葉を失っている。当然ながら文句を言う者は誰もいない。それを見たおじ様は満足そうに頷くと、再び講堂を出て行った。本当にお忙しいのだろう。わざわざ寄って下さったことが、奇跡みたいだ。
庇ってくれた仲間と理事長であるおじ様のおかげで、この場は何とか収まりそうだ。もちろん私への反発は今後もくすぶるだろうし、学園にも居づらくなるかもしれない。けれど、虹の仲間がいる限り、どんなことになっても乗り越えられる気がする。彼らとの友情は本物で、この世界はゲームじゃないから――
私はこれから、自分の道を自分で選びとることができる。
「覚悟の上だ。親父め、余計なことを」
紅、お口が悪いよ?
後夜祭を中断して勝手にしゃべったから、おじ様が注意したのかな。
「兄さんが勝手なことをするからだろ」
黄、自分のお父さんなんだから歓迎しようね。
「紅と交代するのは構わない。私に特に異論はないな」
蒼、交代するって何を代わるの?
双子だからまさか長男! ……な、わけないか。
真顔になった三兄弟に対して、いち早く気を取り直したのは生徒会だった。さすがは普段から、みんなをまとめているだけのことはある。
「では、後夜祭を続けたいと思います。踊る方は中央フロアに進み出て下さい」
みんなも夢から覚めたように、一斉に相手を選び出した。ファーストダンスが終わったため、ここからは誰でも自由に踊ることができる。
「紫、踊ってくれないか」
蒼が誘ってきた。
紅はブスッとしているけれど、一度くらいはいいでしょう? 私は笑顔で頷くと、蒼の手に自分の手を乗せた。
蒼は濃紺のタキシードで、中のジレはグレー。黒髪が紺色によく映えて、すごくかっこいい。さっき紅が上手くリードしてくれたから、私は女性パートも踊れるようになってきた。ピッタリくっつかなくても大丈夫だし、足を踏む心配はなさそうだ。ステップを数えながら踊っていたら、蒼まで歯の浮くようなセリフを言ってきた。
「すごく綺麗だ。そのドレスもよく似合っている。作っていたとは知らなかった」
「え? このドレスは紅が……」
いけない、もしかして内緒だった?
「あいつめ、何度抜け駆けしたら気が済むんだ。まさか紫、紅と何かあったのか?」
「あ……」
あると言えばあるし、ないと言ってもあるような。紅とキスしたことを思い出した私は、顔が熱くなってしまった。そんな私を見た蒼が悪態をつく。
「くそっ、あいついつの間に」
青い瞳が動揺したのか揺らいでいる。やっぱりあれかな。自分のお兄さんを私に取られるのは、双子だしすごく嫌なのかな?
「ごめん。でも、兄弟仲は邪魔しないから。紅の時間を取らないようになるべく気をつけるよ」
「は? 紫、いったい何を言っているんだ」
「だから、紅と一緒にいる時間を削られるのが嫌なんでしょう? 大丈夫、わかっているから」
私は世話役だったから、兄弟仲がいいのは理解している。だから心配しないで。そう言ったのに、蒼はなぜか自分の額に手を当てている。
「何が大丈夫だ。お前は全然わかっていない」
「わかっていないって何が?」
「何でもない。説明すると長くなりそうだから、またの機会にする」
ひどい言い草だ。
人を鈍いみたいに言うのはやめてほしい。
曲が終わると、今度は橙也がやって来た。メタリックグレーのタキシードでも、橙也が着ると地味にならない。むしろ、茶色とオレンジ色の髪が映えて目立っているような。でもあれ? 彼には順番待ちの列があるはずじゃあ……
「一曲お相手願えますか」
「ええっと、大丈夫?」
驚いて思わず聞いてしまった。
踊るのは構わないけれど、橙也の相手に刺されるのだけはごめんだ。
「もちろん。この回の彼女なら、おでこにキスしただけで快く理解を示してくれたよ」
「そ……そうなんだ」
次の人にもねだられたらどうするつもりなんだろう? キス一つとダンス一回のどっちがお得かはわからないけれど。女子の大半がおでこへのキスを選んだら、橙也の唇がたらこになったりして。おかしくなった私は、思わずくすくす笑ってしまう。
「どうしたの、紫記ちゃん。俺と踊るのがそんなに楽しみ?」
「え? いや……えっと、こっちの話」
「ふうん。まあいいや、踊ろうか」
そう言ってやわらかく微笑んだ橙也が、手を差し出す。さっき助けてもらった恩もあるから、私は素直に従った。ダンスの授業で組んだこともあるし、勝手はわかっている。私は彼の目を見ながら、気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、橙也。どうして最初から私を『ちゃん』づけで呼んでいたの?」
「ん? 君が可愛かったから」
さすがは橙也。
何気ない言葉も口説き文句だ。
「でも、男だったのに?」
「どうかな? 少なくとも俺には、最初から男の子には見えていなかったよ」
「え? じゃあ音楽室の時も……」
「もちろん。でも残念だ。あの時手に入れていれば、今頃君は俺のものだったのに」
橙也の場合、どこまで本気なのかがわからない。まあ私に関して言えば、全部冗談なんだろうけれど。でも、橙也ったら男の子もOKの人じゃなかったのか。女子と遊ぶのはほどほどにね?
「またまた~。人気があるのはわかるけど、私にまで気を遣わなくていいよ?」
「相変わらずつれないな。紅輝にはもったいないよ。待っているから嫌になったらいつでもおいで?」
紅とケンカしたら相談に来いということなのだろうか? さすがは恋愛マスターだ。師匠と呼ばせてもらおう。
「ふふ、持つべきものは友人だね」
「わかってもらえず残念だ」
なぜだろう?
橙也まで私を、鈍感だと思っているような。




