劇の終わりに
学園祭のパンフレットに付いている投票券を、気に入ったクラスの投票箱に入れる。学園の生徒も一般客も一人一票だ。締め切りは今日の夕方五時で、集計結果を生徒会室に報告に行かなければならない。上位クラスはそこから確認が入るというから、結構な手間がかかる。
私は係の子と共に、お客さん達にお礼を言いつつ投票を促していた。
「ありがとうございました。良ければこちらに投票願います」
「投票券が余っている方も是非どうぞ!」
演目が最後の方のクラスは意外と有利だ。まだ投票していない生徒や、帰る間際の観客が気前よく投票してくれるから。
「すごく良かったです! キスシーン、ドキドキしました」
「王子様、素敵でした」
「主役の子すっごく可愛かった。あれってミスの子だろ?」
受け答えをしながら、この役目は失敗だったと反省している。だって、観客の生の声が聞こえてくるから。
王子と姫がお似合いだと言われたり、ラブシーンが良かったと褒められたり。紅にふさわしいのは桃華だと、聞き続けなければならない。これって何の罰ゲーム?
感想を言われて落ち込むなんて、喜んでくれた相手にも失礼だと思う。だから、なんとか笑みを浮かべているけれど、そろそろ限界だ。こんなことなら、そのまま舞台袖にいれば良かったかも。
「あ、貴方、もしかして!」
「キャーッ。握手して下さい」
「ごめん、急いでいるんだ」
黄色い声と共に近付いて来たのは紅だった。舞台上から直行したのか、王子の衣装を着たままだ。ここでもすごく目立っている。会いたくないけど仕方がない。紅も投票が気になるのかな?
「紫記、ちょっと」
「へ? ……って、うわっ」
手首を掴まれ引っ張られた。
彼は私の腕を握ったまま、長い足で外へ向かう。
「ま、待って! 紅、どこへ……」
「待たない。きちんと話さなければいけないことがある」
「だって、まだ終わってない」
「劇は終わった。そもそもお前は投票箱の係ではないだろう? 大道具の片づけも業者がすることになっている」
「それは知ってるけど……」
切羽詰まった顔の紅は何が言いたいんだろう。まさか返事をする前に別れ話?
『好きだと言ったことを撤回したい。演じてみてわかった。やっぱり俺は、花澤桃華がいい』
そう言われたらどうしよう?
ここがゲームの世界だとしたら、それは当たり前なんだけど。運命からは逃れられないのかな。ヒロインでもなく攻略対象でもない中途半端な私では、相手にもされないの?
そうでなくても私は、モテる紅を見る度に複雑な気持ちになってしまう。可愛い女子に囲まれる彼を見て、自分の姿に引け目を感じる。自分がこんなに心が狭いとは思わなかった。これほど嫉妬深いとも。この先ずっとこんな想いを抱えるくらいなら、今のうちに諦めた方がいいのかも。
目立つ衣装の紅と一緒なので、変に注目を集めている。学園祭も終わりかけとはいえ、敷地内には結構人が残っているから。男同士が速足で歩く様子に、驚いて振り返る人もいる。
「ちょっと紅、みんな見てるし変だよ!」
「関係ない。もう少しだからついて来て」
そのまま校舎の中に入ると、見覚えのある部屋に通された。理事長室だ! 中に入った途端、紅が後ろ手にカギをかける。
どういうこと?
私、何か怒らせるようなことをした?
不安で思わず逃げてしまう。
この部屋には、猫のゆかりに餌を与える以外入ったことはない。そのゆかりも遊び疲れて寝ているのか、近くに気配が感じられない。
「ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだ。ゆっくり話をするだけだから。そこに座って」
紅がソファを指し示す。
我が物顔に振る舞っているけど、ここって理事長室だよ? おじ様の許可が必要なんじゃないの? 私は壁に貼りつき、首を横に振った。
「立ったままでいいと言うなら、それでも構わない。話をしよう。紫、劇は最後まで見てくれた?」
私は紅の顔を見据え、首を縦に動かした。何が言いたいんだろう。変更箇所について話し合いたいのかな?
「だったらどうして! いや、最後に姿が見えなかったのは何でだ?」
「最後? ……あ」
紅が言いたいのは、カーテンコールのこと? 確かにあの時、私はロビーに向かっていた。だから演者達が戻って来た時、舞台袖にはいなかった。
「どうしてお前は俺を見ない? 目を離せば他のやつに抱き締められているし」
何のことだろう?
そんなことあったっけ。
首を傾げて考える。
抱き締める?
舞台袖で羽交い締めにはされたけど。思い当たることってそれしかない。まさかそのこと?
でも、待てよ。
紅の方こそ人のことは言えないよね?
劇にかこつけて桃華とキスシーンを演じたり、抱き合ったり。しかも、魔女役の委員長ともベタベタしていた。
「紅の方こそ。委員長や花澤さんに触ったり、大勢の前でキスしたくせに!」
いくらクラスのためとはいえ、そればかりは許せない。あんなに長く、あんなに堂々と口づけることはないじゃない!
「は? まさかお前、キスシーンを誤解しているのか」
「誤解?」
思わず尖った声が出る。
そんなはずはない。
だって、紅と桃華のラブシーンをこの目で見たもの。ヒロインに覆い被さる紅を見て、胸が苦しくなった。事前に監督から、キスの角度のことも聞いている。
「誤解なんて言葉で、ごまかそうとしないで!」
思わず涙が浮かんでくる。
紅は怒鳴る私を見ながら近づくと、自分の顔を手で覆った。
「はあぁ、やっぱりそうか。だから劇の前に話しておきたかったのに」
「話すって何を!」
「キスシーンの箇所、勘違いしないで欲しいって言っただろ?」
「勘違いも何も。実際、の……濃厚だったよね」
言いながら私は目を逸らした。
思い出すだけで悲しくなる。紅と桃華のキスなんて、たとえ劇でも見たくなかった。
片手を首に当てた紅が、ため息を吐きながら口を開く。
「だろうな。そう見えるよう心がけたから」
「心がける?」
「そう。もしかしてお前、監督や演出から何も聞いていないのか?」
「か……角度のことしか聞いてないけど。キスの」
私が答えると、紅はギョッとしたように動きを止めた。思わず見上げた私の目に、驚く彼の顔が映る。
「キスの角度? 何だそれは」
「客席からよく見えるように、紅輝が上手く角度を調節するからって、監督が」
「くそっ、何だあいつ。きちんと説明したんじゃないのか」
「説明……されたけど」
ショックで後半聞いていない。
だけど、大道具に必要な変更箇所については話してもらったはずだ。
「だったらどうして変なことを言う。キスしたように見せかけるため、俺が台を調節するって聞かなかったのか?」
「……台?」
「ああ。大道具はリハーサル通り可動式の台を準備するだけでいい。時間がないから角度はその場で俺が調節するからって、言ってあったはずだけど?」
「か、角度ってまさかそのこと?」
「当たり前だろう! スイッチが下の方にあるせいで、花澤に被さらなければ手が届かなかった。お陰でそれらしく見えたと言われたが。まさかお前まで本当にキスしたと思っているとは……」
紅が絶句している。
ちょっと待って。
じゃあ実際に、紅は桃華にキスしてないの? 彼女に長く覆い被さったのは、台のスイッチを操作していたため? それならまだ紅は桃華のものじゃないってこと? だけど――
「じゃあ、最後までちゃんと見とけよって言ったのはどうして? 変更した魔女のシーンを私に見せたかったからでしょう」
「ああ。それこそ俺が、お前に言いたかったことだ」
紅の言葉に、私は目の前が真っ暗になった気がした。




